ゆうりんご

高度不妊治療である顕微授精予定。:° 整理して書き綴ることで自分の気持ちをあたたかく客…

ゆうりんご

高度不妊治療である顕微授精予定。:° 整理して書き綴ることで自分の気持ちをあたたかく客観的に見守りたいと思いたち始めました🧚 ♩tiktok始めました

最近の記事

子でもあり母でもある私

私は今"子でもあり母でもある" と思います。 母である、というのは気が早いかな。 妊活して、不妊治療をして、 妊娠して、流産して..。 妊娠している時の私はすごかった! どんなにお腹が痛くても 自分のことより お腹の赤ちゃんが心配でたまらない。 我が子が愛おしくて。可愛くて。心配で。不安。 こんなにも大切な存在 この世に出てきたらどう守ればいいの。 体も心も守りぬきたい。尊重したい。 いっきにいろいろな気持ちになり 自分が急に死んだ時の保険を検討し始めました。 ち

    • 初期流産

      6週〜7週で流産となりました。 出血が止まらず ひどい腹痛で起きられず 経験したことのない、耐え難い、 救急車を呼ぶ一歩手前、というくらい 激しい腹痛の夜のあと 4cmほどの血の塊を排出し、のちのちそれが 赤ちゃんと胎嚢だったことがわかりました。 覚悟していたので、4週で流産しているね と誤診された日よりは泣かなかった。 初期流産であり、子宮に問題がないことから 染色体異常などの赤ちゃん自身が原因と診断。 胎嚢などの残りも無く、かきだしたり 何か手を加える必要はあ

      • 母が守りました! 流産誤診の妊娠判定

        ちょっと長くなっちゃいましたが 英雄な私を読んでほしい!という気持ちです。 -------------------- 胚盤胞移植をしてきました。 手術は無麻酔で簡単なものだと聞いていましたが 採卵手術とはまたちがう怖さがあり震えが止まらず 先生の「消毒から行います」という言葉にも お返事できませんでした。 終わってみればあっけなく、 ものの15分で痛みなどもなく終わりました。 すでに卵がお腹の中にいる高揚感をもちつつも 病棟から聞こえてくる他の赤ちゃんの声を聞き う

        • 赤ちゃんに選ばれない私達

          「赤ちゃんは赤ちゃん自身が"いまだ"って思うタイミングで宿ってくれて、自分のタイミングで産まれてくるものだなって思ったの。」 最近出産した友達の言葉です。 流産を経験した彼女は、私にはわからない辛さ悲しさもたくさん抱えながら、無事出産できたことへの喜びを報告してくれました。 私はこの子の話し方や言葉選びが大好きでとても尊敬しています。母子共に健康でありそれを私に教えてくれたことがとても嬉しく幸せな気持ちになりました。 そして、不妊治療の最中にありながら友達の出産を当然のよ

        子でもあり母でもある私

          授かるかもわからぬ我が子のため

          不妊治療中です。 先月、顕微授精のため手術で卵子を取りました。 採卵手術は想像を超えてつらいものでしたし、 思うこともたくさんあったけど、また次回。 最近では授かるかわからない我が子のために 服を買ったり 手作りおもちゃを作ってみたり 名前の画数診断をしてみたり しています。 今はお腹に卵子もないのに 妊娠できるかもわからないのに 気持ち悪いくらいの執着ぶりだと 自分でも思ってしまいます。 変な心配かけないよう人には言っていません。 ここにだけ書かせてください。 洋

          授かるかもわからぬ我が子のため

          高度の乏精子症 記録

          紹介してもらった総合病院を受診し精液検査をしました。 結果は、〈高度の乏精子症〉と診断されました。 無精子なわけではない!(無精子症でも可能性はありますが、より)可能性がないわけではない!という事実にとても喜びましたが、「自然妊娠はできません」という医師の言葉が重く響きました。 それでも2人で安堵して今後どう治療を進めていくか前向きに考えることができました。 数回に渡り2人で受診をしてそれぞれ検査を行いました。 そして、夫の検査結果の数値から、精子が動いていないこと

          高度の乏精子症 記録

          祖父の死

          産院で無精子症の診断を受け 総合病院を受診する2日前 大好きな祖父が死にました。 肺がん末期のため、最期はとても苦しむだろうと言われていましたが、眠るように穏やかでした。 祖父は要介護5です。 体としては、ベッドに寝たきり生活で、車椅子にうつるのも大変なほどでした。 認知症で妄想や幻覚はありつつも、まだまだ私たちのことはよく覚えていましたし、元気でしっかりしている厳格な性格で、孫にはとても弱い可愛らしいおじいさんでした。 自宅で介護をしていました。介護の資格を持つ私がケ

          無精子症?

          夫の精液検査1回目では 精子が少なく動いていないと言われました。 医師からは体調によって変化することを聞き びっくりしつつも、どこか安心していました。 3ヶ月後、2回目の検査結果では 無精子症 と診断されました。 医師は、治療などにより妊娠の可能性がゼロではないということ説明してくださいましたが、自然妊娠ができないという事実を受け入れる必要がありました。 絶望 ってこういうことを言うのかと どうにもならない憤りを感じました。 産院の待合室でお会計を待つ間とてもとても長

          準備を始めた

          「子どもがほしい」とはずっと前から思っていました。むしろ将来当たり前にいるものだとも。 私は保育士です。 福祉の大学へ通っていました。 保育に関する勉強や実習に加え、子どもを取り巻く社会についても学びます。 望まない妊娠、社会に追い詰められる親、行き場のない子ども、障害がある子ども、そのきょうだいの葛藤、出生前診断、など、、 涙が出るような事例も多く学びました。 それでも学んできたことは、基本的に子どもありきのものだったので、自分は当たり前のように子どもを産み育てるこ

          準備を始めた

          言葉の意味

          今まで、ときどき「妊活しています」と 職場の方や友達から聞くことがありました。 妊娠しにくい、子どもを授かりにくい体の人 がいることは もちろん理解していましたが “妊活“という言葉と結びつけてはいませんでした。 妊活しています と聞いた時、私は何と返事をしたんだっけ。 私が今“妊活“という言葉を使うとしたら “不妊治療“を示します。 言葉の使い方は人それぞれで 子どもを授かるために体を整えている方、 基礎体温をつけ始めた方、 医療的に不妊治療をしている方、 妊活とい

          はじめまして

          これから不妊治療の記録を書き留めていきます。 記録といっても その時々で感じた まだ出会わぬ我が子への想いや 未来への葛藤、今ふと思った気持ち など 私が私の心と向き合うために書くつもりです。 どうか近い将来、待望の赤ちゃんを授かって あたたかな幸せに満ちた文章を綴ることができますように。 赤ちゃんに出会うまで時間がかかるとしても そしてもし仮に出会うことのない運命であったとしても どうか このまま夫婦ふたりで息をそろえて 穏やかに 今ふつうと思えている この暮らしを

          はじめまして