どうせまた人に傷つけられるという意識について ココロノマルシェ
こんにちは!
今回は【ココロノマルシェ】に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。
今回のご相談はこちら。
nekoさん、こんにちは(^^)
東北は仙台より、ご相談にお答えしたいと思います。
実は、初めてココロノマルシェのご相談にお答えします。
質問に目を通して、1日経っても一番私の気が引っかかるのがnekoさんのご相談でした。
何か前進のきっかけになるといいなと思います。
まず、
≫「他人を傷付けたくて傷付ける人はいない」ということをたまに聞きますが、わたしは家族から「傷付けたくて傷付けられた」と思っています。 むしゃくしゃするから、という理由で殴られたり怒鳴られたりしました。
冒頭でのこちらの件ですが、
むしゃくしゃするから殴られることも、怒鳴られることも、あってはならないことです。
今も続いていることなのか、子供の頃の話なのか、こちらの文面だけでは分かりませんが、
そんなことが度々あればタイトルの通り「どうせまた傷つけられる」と思ってしまうと思いますし、 2,3行の文章で片付くような出来事ではないと思います。
上手く言葉に出来ないですが、nekoさんはそのことを否定していいし、怒っていいし、受け入れなくていいことだと思いました。
≫「他人を傷付けたくて傷付ける人はいない」ということをたまに聞きますが、(略)
≫「本人も傷付いていたから仕方ない」と言われても、その人はわたしを傷付けて憂さ晴らしをしていたので、「傷付けたくて傷付けた」のではないでしょうか。
これらの言葉は、他人から言われた言葉なのかな?と思って読ませてもらったのですが、
一体誰から言われた言葉なのでしょうか?
カウンセラー目線でそれらの言葉を聞くと、その真意というものは、
相手の立場になって理解することで被害者でも加害者でもなく、無害者になるということを言っているのかな?と私には聞こえました。
だからといって、殴られることや怒鳴ることを受け入れることではありません。
相手の立場に立つとは、自分と違う価値観を理解することであって、共感はしなくてもよいのです。
これを私は大人の目線だと思っています。
こちらの文章を読んだときに、nekoさんが殴られたり怒鳴ったりする家族に共感しようとしすぎているような気がしました。
だから苦しいし納得いかないのではないかと思うのです。
そして、共感しようとする姿に、私は、nekoさんの魅力や才能、価値があるような気がしてなりません。
nekoさんは、子供の頃から、家族からされることを受け入れることでその場を凌いできたのではないでしょうか?
怒鳴られること、手を挙げられること。
子供の頃の弱い自分はそれを受け入れることでしか、その場を凌ぐことってできなかったと思うんです。
それだけ、相手を受け入れる器があるとも言えます。
こんなこと、今までなかったですか?
納得しないことでも、無理してでも相手のことを受け入れようと、無意識にしてしまう。
自分を犠牲的にしても誰かに貢献したり、頑張ったりする。
≫「本人も傷付いていたから仕方ない」と言われても、その人はわたしを傷付けて憂さ晴らしをしていたので、「傷付けたくて傷付けた」のではないでしょうか。
こちらの文章は、理解し、共感して受け入れようとするものの、どうしても無理!と怒っているような怒りの気持ちを感じました。
少し耳の痛い話になるかもしれません。
ここまでの頂いた相談、前半は他人軸なことに気づいていらっしゃいましたか?
家族のお話しでは、家族軸になってしまい、どうしても○○された。という依存な部分が(子供の部分)でてきます。
これは、nekoさんだけでなく、私もそうだし、みんなそうなってしまうものだと思います。
だって家族と愛で繋がれなかったのですから。我慢や犠牲でしか繋がれなかったのですもの。
それだけ家族のために全部受け入れてきたのだから、家族軸になるのも無理ないです。
受け入れることが得意な人って、親のわがままも受け入れてきた優しい子が多いと思うんです。
相手を受け入れる器の大きな、とても女性性豊かで、柔軟な方なのだと思います。
nekoさんはそのような魅力や才能を持った方なのだと思います。
そう言われるとどんな気持ちになりますか?
≫あるあるだと思いますが、こういう経験をしている(というかこういう意識を持っている)わたしは、たまに故意に人を傷付けたくなります。特に弱い立場の人に対してです。
≫人にイライラ、ムカムカするし、傷付けたくなる衝動を抑えられません。今はほとんど衝動だけで抑えられますが、昔は部下を追い詰めて何人も辞めさせました。
これは私の直感なのですが、nekoさん、ご自分のことすごく嫌いではないでしょうか?
もし違ったらごめんなさい。
どうしてそう思ったかというと、故意に人を傷つけたくなる対象が弱い人とのことなのですが、
その弱い人が子供の頃や自分の認めたくない嫌いな自分と重なるからではないかな?と思ったからです。
子供の頃の無力だった弱い自分を職場の人に投影しているように感じました。
実は、私も会社員で管理職時代に、仕事が厳しすぎて部下を辞めるところまで追いつめた過去があります。
当時、そんな自分に自己嫌悪して、自分のことが嫌いだったし、憎かったです。
そして、いつもそんな自分は消えてしまいたい(死にたい)気持ちでした。
≫こんな状態なので、人間という生き物や、生きることにも冷めています。どうせ傷付けられる、人と関わっても何もいいことなんてない、と思っています。冷めています。
私も過去の自分のことを思い出すと、この文章にすごく共感しました。
自分という人間に冷めているので、生きることにも冷めてしまうし、どうせ傷つけられる。
そして、私はどうせ人を傷つけてしまう。人と関わってもいいことない。
nekoさんと同じような事を私自身も思っていました。
≫こんな状態から抜けるにはどうしたらよいでしょうか。
こんな状態から抜け出したら、nekoさんはどんな自分になると思いますか?
生きることに冷めているとは、新しい自分に生まれ変わりたい。なのではないかな?と思うんです。
とにかく、今のこの自分は嫌だ。そんな気持ちはないですか?
そして、どうせまた傷つくというよりも、どうせまた私は人を傷つける悪い人間だ。
の方が本心ではないでしょうか?
私は、nekoさんがここから抜けだしたいと思うのであれば、もう自分だけでなんとかすることから抜け出しましょう。と提案します。
はい、きっとタイトルから察するに、一番抵抗があることかもしれません。(汗)
人を頼ってみる。ことです。
もしくは、白旗を上げること、人に弱音を吐いてみる、助けを求めてみる。などです。
勇気が出る魔法の言葉を教えますね。
「しゃーないやん。」
nekoさんの話を聞いたら、そうなるのも仕方ないことです。
しゃーないやん。って自分に言ってあげましょう(^^)
そして、下の言葉を自分に言ってあげてくださいね。
「私は十分頑張ってきた。
いつも必死に生きてきたし、本当によく頑張ってきた。
だから幸せになる価値があります」
信頼できる友達かパートナーはいますか?
その人たちにも弱音を吐いてみてください。
「なんだか、私ね、一人で頑張るの、もう限界みたい」
「私はいつも必死に生きてきたんだ~、本当に今まで頑張ってきたんだ~」
そんな風に誰かに気持ちを吐き出してみてください。
そして、是非カウンセリングを受けてみてください。
相性もあるので、合う人に出会うまでやってみてください。
nekoさんの文面に怒りを感じると言ったのですが、怒りはこころの成長にとても必要な感情です。
怒りがでてきたのならば、今がnekoさんの成長のタイミングなのかな?と思いました(^^)
どうしてもこちらでは一方的な文なので憶測になってしまうので、相違があるかもしれません。
是非直接お話が聞けたらと思いました。
私が、nekoさんから感じた才能や魅力が、自分の価値として上手に使える日がくることを願っています。
では、何かヒントがありましたら幸いです。
※当カウンセリングサロンは傾聴×提案型です。
傾聴しながら、よりよくするための提案や自宅でできるワーク(宿題)をしながらカウンセリングするスタイルです。
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