猿頰

愛らしい名前の伝統の技

「この和室の障子がサルボオ面取りなんですよ」
中野さんは目を輝かせて障子の詳細の図面を見せてくれた。

障子のデザインというと縦と横の格子のピッチや部材の太さ、素材くらいしか今まで考えたことがなかった私には「サルボオ面取り」という言葉は初耳で音としては頭に入ってきたが、カタカナの読みのままでそれが何を意味するか全くわからない。
私の心を察したのか中野さんは写真を見せながら説明してくれた。


サルボオ面取りというのは伝統の技です。障子をより繊細に見せたいとき格子の部材を細くするわけですが、一般に使う杉や檜は柔らかいので、細くしすぎると、反ったり歪んだりしてしまう。強度を持たせるために格子の各部材はこの写真のように芯のところに硬い部材をはめ込んで作ります。二つの木材の色の違いで、このように二色のストライプのように見えます。さらにより細く見せるために両角の面を取ります。これがサルボオ面取りという伝統技法なのです。
金沢でもこの仕事ができるのは今ではたった一人だそうです」

言い遅れたが、中野さんと私は今、都内で築50年の住宅の増築リフォームの仕事を一緒にしている。閑静な住宅街の一角にあり一本松と大きな屋根、コンクリートを叩き出した仕上げが美しいその家は近所では知らない人はいないほどの端正な佇まいの住宅だった。その住宅の元々の雰囲気を生かしつつさらに匠の技術をあちこちに散りばめリフォームする。中野さんはその全体をプロデュースしている方で、門構えについてもふさわしい計画ができる人ということで共通の友人を通して紹介された。ありがたいけれどかなりの重責で私は紹介者の顔を潰さないよう、必死である。

「門扉は金属で作りますが、この障子のイメージを引っ張りたいんです。なるべく細い部材で縦の格子は2本1組というリズムにしたいのです」
と中野さんは具体的な門扉のイメージを言われた。

「そうしましょう。このデザイン素敵ですよねえ。ところでこのデザインの肝は『サルボオ面取り』ですよね。だったら格子のピッチだけでなく、特徴的な部材の断面も真似したいと思います。ステンレスで作ります。金属なのでさすがに部材を組み込むことはできませんが、長方形断面の部材の角を斜めに面を取るのです。正面だけステンレスの地の色を残し、他の5面を黒く塗り、障子のサルボオ面取りと同じような印象にします。
ただ私は一度もそのデザインを作ってもらったことがないので本当にできるかわかりません。
もし技術的に不可能なら諦めますが、職人に確認してみますね」とお答えした。

アイディアのラフ図を描いてメールで鉄工所に送る。職人は金属加工30年のベテランだ。職人も経験したことがない技術だという。
「言われてることはわかりますが、技術的に可能か考えるので少し時間をください」
と言われた。
半日ほど経って電話がきた。
「社内で話し合いました。1.5cm×3cmのステンレスの無垢材を使えばできそうです。それがミニマムの細さです。それ以上は面が綺麗に切り取れないと思います」
1.5cm×3cmの金属の棒は写真で見た障子よりはだいぶゴツイ。金属だから余計にゴツく感じられる。
無骨になりはしないか?
検証するため職人が言ったサイズの部材で詳細の図面を起こしてみた。
原寸の1/2くらいの大きな縮尺で描いて、バランスをみる。
確かに1.5cmがそのまま正面から見えるとゴツい感じがするが、面をとると随分スッキリとして見える。正面の平らなところは約5mmになるのだ。
そこだけステンレスの地の色を活かす。磨き仕上げが良いと思う。

二次元で描くだけでは想像力の限界がきたのでささっと3Dに立ち上げてもう一度バランスを確認する。

「美しい!」

3Dと図面を職人に送る。それが技術的に可能か、構造的に無理はないか再び検証してもらう。
微修正を数回繰り返してやっと形が決まった。その瞬間、頭の中にパッと何かがはじけたような感覚を覚えた。

「腕が鳴ります! 任せてください」
経験を積んだ職人ならではの力強い声だった。

鉄を叩いて形作る鍛鉄という技法はよく用いるが、このようにわずか3cm×1.5cmの断面のステンレスの棒材の角を面取りし、面で色をぬり分ける細工は今まで職人に依頼したことがないし、見たこともない。

早速中野さんに見てもらった。金属でここまでの加工ができると思わなかったようで大変喜んでくれた。施主にも気に入っていただき、このプランで進めることが決まった。暮れも押し迫ってのことだった。
今は周りの部分の工事を進めているところで、実際にこの門扉を製作して現場に納品するのはまだ3ヶ月ほど先のことになる。
いうまでもなく建築は設計だけでは完成しない。多くの職方の協力あってこそ。今回はその中でも指折りの職人の技が集結して完成する美術館のような建物だ。
門扉は奇をてらった派手なデザインではなく、伝統を模して生まれたミリ単位の繊細な大人のデザインで建物の他の部分と響き合う。このような仕事に関わることができたことに心から感謝している。
まだ工事は始まったばかり。門扉を設置する周りの部分もそれに釣り合った形で計画した。
光と影のでき方、コンクリートの壁の厚み、はめ込む積層ガラスの厚み、照明計画……。緻密に考えた。
門扉は展示品ではない。使用する周りの場所あってこそ! 最終的には門扉が設置されたその周りの門構えの空間、さらには建物全体と一体になって一つのアートが完成する。

門扉のデザインが決定した時中野さんに聞いてみた。
「あの、サルボオ面取りってどういう字を書くのですか?」
「猿の頰ってほら、こう、ムンクの叫びみたいにコケているでしょう? 猿の頰のようだから猿頰面取りなんですよ」

とても高度で難しい技術なのになんと可愛らしいネーミングなんだろう!

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