誇れる仕事、価値ある仕事
今回は”仕事”、”職業”について書いていきたい。
私は来年の春から人材会社で新卒入社する予定なので、人の働き方について興味がある。まだ22歳なので出会ったことがある職種は限られるけど、友達の中や家族の中から知っている職業を言っていけば様々な職業があることがわかる。
でも、日本だけに限らないけど、職業や仕事ってどうしても格差や格を付けられる。
私が就活中に、そして就活を終えてみて思ったことは、全ての仕事は素敵なのになぜそこまで”商社”に人気があるのだろうかということ。もちろん商社を否定するわけではないし、かっこいいことは確かだと思うけど、日本人の学生て就活するとき、とりま商社に憧れを持つと思う。それは大手の就活ページやランキングで年収や知名度が上位だからだと思う。あとはグローバル化している世界では必須だし需要も増えるから。
でも実際のところこういうランキング上位の会社を受ける人、合格する人は少ないと思う。ちゃんと就活をしていけば商社や銀行やメディア以外にもいろいろな業種や職種があることに気づくから。
にもかかわらず、学生に人気な職業にこうした職種が上がるのは、お金や名声が重宝される資本主義社会からだと思う。
ここでやりがいの話になるけど、私が昔読んだ本でいまだに印象に強く残っている本に、”パリの国連で夢を食う”という本がある。これは、パリの国連で働いていた作者のエッセイで、誰もが名声的には憧れるであろうパリの国連がいかに事務作業や、いわゆる”つまらない”作業の繰り返しかというもの。私がこの本で受け取ったメッセージは、憧れのパリの国連でも自分が好きなことや、やりがいを持てる・感じれる職場じゃないと働いている意味がないということだ。
最近受け取った高校の同窓会誌にも、ニューヨークの国連で働いていた先輩の話が載っており、そこにも国連は華やかな職場ではないし、事務作業ばかりで縦割りの厳しい社会だということが書かれていた。結局国連でも縦割りだし改革はなされづらいのか、と現実を突きつけられた気がした。そう考えると名もないベンチャー企業とかのほうがよっぽど働きやすさも働く甲斐もありそうだ。
それなのになぜ名声や大手という言葉につられてしまうのかな。もちろん大手に魅力はたくさんあるし、国連で働ければ事務作業でも全然かまわないという人もいると思う。でも、そうした大多数の声や名声に負けて自分が本当にやりたいことを見失ったり知らぬ間に隠してしまうのは、もったいない。
私が尊敬する友達に、大手からの内定をすごく迷った末に蹴って、インターンをしていた中小企業に就職した子がいて、その子は本当にそこで働くことが楽しそうで、まさに自分がやりたいことをやっているって感じがしてさらに憧れが増した。
ここで私が言いたいことは、大手がダメとか商社がダメとか事務ばかりの国連職員がダメとかではなく、世界にたくさんあり世界を成り立たせてくれている様々な職業、それから自分の声にも耳を傾けて自分のやりたいことを見つけて楽しく働いてほしいということ。
職業に上も下もないってわかれば、名声とかそういう外枠にとらわれずみんなが自信を持って楽しく働けるはず。
来年から、私はそうした気持ちを持って働ける人が増えるように、日本の組織や社会構造がより良く変われるようにお手伝いをしていきたい。
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