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ゆたかさを考える

去年のある日のことだ。
戸山キャンパスのカフェテリアで、友達は僕にこう言った。

「私、最近ゆたかな暮らしをしたいんだよね。これマイブーム。忙しすぎたり、何かに追われながら生きるのなんか面倒くさくて。」

僕は250%同意した。

「マジで分かるわ。ただ生きてるだけでハッピーになりたいよな。」

ゆたかな暮らしをしたい。ただ生活しているだけで充足したい。忙しさで擦り切れてしまうような毎日を過ごすよりも、日々にゆとりを持ち、こだわりを持って毎日を生きていきたい。

そう思いながら、特別美味しくも不味くもない400円のうどんをすすった。割り箸は斜めに割れていた。

ゆたかな暮らしとは、何だろうか。僕はあの時、確かに「ゆたかな暮らし」を想像しながら友達とうどんを食べていた。

あの瞬間に頭の中にあった、少し高いカフェでコーヒーを飲むことや、予定のない日に理由なく集まって友達と本を読むことは、ゆたかな暮らしにつながるのだろうか。

ゆたかな暮らしって何だろう。
ゆたかさって何だろう。

そんなことを考えながら、誕生日プレゼントでもらった玄米茶を飲み、こたつで暖をとる誕生日の夜。せっかくなので文字に起こして文章にしてみた。暇つぶしにどうぞ。

ゆたかさって何だろう

ゆたかさを考えるにあたって、答えなければならない問いは2つある。

ひとつは、ゆたかな人生とは何か、ということである。僕は、僕の人生におけるゆたかさを考えたいのであって、この問いに答えない限りは「ゆたかさとは何か」という問いに答えは出ない。

もうひとつは、ゆたかな社会とは何か、ということである。人間である以上、人生を歩んでいくにあたって、社会との関わりは避けて通ることができないものだ。社会について考えない限り、人生におけるゆたかさを考えることはできない。

社会について考えたのちに、人生におけるゆたかさを考えることで、「ゆたかさって何だろう」という問いへの僕の答えとしようと思う。

※最近知った言葉を用いて、大したインプット無しにアウトプットしているので、知識不足に関してはご容赦願いたい。自分の思考を整理し、自分なりの考えを持った上で検証するように文献にあたりたい。つまりこの文章は、勉強する前の思考の整理のための殴り書きといったところで、故にいつも通り駄文である。

(これは僕が21年間の人生を経て得た暫定解だ。社会を知らないガキの戯言に興味のある方は、ぜひ読んだ後に「甘い」「浅い」「つまらない」というコメントをください。)

ゆたかな社会

まずは、社会におけるゆたかさから考えていこうと思う。社会に対して「ゆたかではないな」と思うことが多々あるので、どんな点でゆたかではないと感じているのかを考えていきたい。

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
社会学に明るい人であれば、こんな言葉は基本中の基本かもしれないが、なにせ僕は文学部の端くれであるから、つい数週間前にこれらの言葉の意味を知った。

テンニースの著書『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の邦訳は『共同社会と利益社会』である。ゲマインシャフトとは共同社会を指し、ゲゼルシャフトとは利益社会を指す。家族や親戚、生まれ育った故郷のようなローカルな共同社会をゲマインシャフトと言い、国や市民社会のような普遍的な広がりを持ち、作為的で人工的な利益社会をゲゼルシャフトと言う。(違っていたらコメントをください。文献をちゃんと読みます。)

ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行するときに商品経済が絡んでくる。商品交換が行われることでアノニマスな関係性が生じ、ゲゼルシャフト的な社会が形成されていく。ゲマインシャフト的な共同体ではその共同体を維持することが目的である一方、ゲゼルシャフト的な共同体では商品交換をもとに関係が出来上がっており、利益の生産が目的である。「人」ではなく「商品」が主であり、労働力でさえも商品化される。「人と人との関係」は「物と物との関係」に置き換わる。

東京は人どうしの関係が希薄で、地方はそうではないという話はまさにこれに該当する。資本主義が発達していて、ゲゼルシャフト的な共同体が大きい「東京」という地では、人の顔は見えづらい。対して地方では、ゲマインシャフト的な共同体の要素が強く、労働力の商品化も比較的緩い。この間出席した、「益田暮らしオンライントークセッション」というイベントで、代表の方が「ここの魅力は例えば車が壊れたときに“車屋さんにお願いしよう“ではなくて“〇〇さんにお願いしよう“というように顔と名前が思い浮かぶこと」と言っていたのは、まさにこのことではないだろうか。

乖離が生むゲマインシャフトへの希求
資本主義社会においてこのゲマインシャフトとゲゼルシャフトは乖離しているように思える。そしてそこに、「ゆたかではない」と感じる要因がある。ゲマインシャフト的な要素とゲゼルシャフト的な要素が両立せず、「人と人との関係」が「物と物との関係」に置き換わった状態に耐えることができなくなってしまう。そうすると、ゲマインシャフトへの希求が生まれる。資本主義への違和感、数字を追うことの切なさ、社会に適合できない新卒1年目、このようなよく聞くワードはこういった背景で生まれているような気がしている。

ゲマインシャフトへの希求が生まれると、コミュニティといったような言葉が先走りしがちなように思えるが、これは危険である。なぜならゲマインシャフト的な共同体は閉鎖的なものであるからだ。閉鎖的な共同体で出来上がる社会に良いイメージは持てない。単なるゲマインシャフトが理想ではないのである。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行していくときに、それら2つが乖離してしまうのは自然のことであるということを理解した上で、どう世界を構築していくか、またはどの位置で自分は生きていきたいのかを考えることが重要なポイントである。(ここはまだ考えられていない。本を漁って考えたいところだ。)

結論は出ないという結論
結局、社会におけるゆたかさに関して、納得のいく答えは出ていないというのが結論である。ここまで考えてきたような(僕の目に現状うつる)社会の中で、どう生きることがゆたかなのかを考えていきたい。

ゆたかな人生

豊かな人生とは何だろうか。「人と人との関係」が「物と物との関係」に置き換わってしまいがちなこの社会において、どう生きていくのがゆたかなのだろうか。ゆたかな人生に必要な要素を考えていきたい。

主体性
主体性という言葉がひとつ重要な視点になると思っている。アノニマスな存在になってしまうことを防ぐために、自らの主体を確立すること。自分は何者であるのか、それを確かめながら歩んでいくこと。何を考え、どう行動し、誰と生きていくのかを選ぶこと。それらを認識すること。相対的に「何者か」になる必要はない。絶対的に「何者であるのか」を認識することが必要なのである。少なくとも僕はそう考えている。

日常を愛する
日常という言葉も大切だ。日々何をして生きているのか。何に触れ、何と交わって何を感じているのか。そういったひとつひとつの小さな充足にちゃんと目を向けること。それらを見失わないこと。見失ってしまうと、ゆたかではない。

没頭すること
物事に没頭することも、僕のゆたかさには必要な要素である。自分の好きなことや、興味関心のあるもの、心動かされるものにとことんのめり込むこと。行動を起こし続け、楽しみながら学んでいくこと。ひとつの目的に向かってひたむきに走り続けること。何かに没頭している時間はゆたかである。

聞いてくれる人がいること
主体を持ち、日常を愛し、何かに没頭して生きていたとしても、独りで生きる人生は全くゆたかではない。自分という存在に人として興味を持ってくれる人がいること。存在を愛してくれる人がいて、存在を愛している人がいること。自分の中にみんながいて、みんなの中に自分がいるという感覚を忘れずに生きていくこと。「人」の存在は、ゆたかな人生に必要不可欠な要素である。

ゆたかな誕生日だった

ここまで長々と「ゆたかさ」という言葉に向き合ってきたが、僕は今、けっこう「ゆたかな暮らし」をしていると思う。というのも、今日(日付的にはもう昨日)、僕は21歳の誕生日を迎えたのだが、思っていた以上にたくさんの人達からお祝いの言葉をいただいた。自分の誕生日をおめでたいと思ったことはないが、生きている中での人とのつながりを再認識できたような感覚になり、感謝の気持ちが湧いている。

20歳の1年間は、プライベートでもちょっと色々あり、新型コロナウイルスの流行もあったことで、決して華やかな1年間ではなかったように思える。しかし、そんな中でも1人の人間として、周りの人と関わり合って生きていたのだなということを、改めて認識した日となった。全ての関係性に自然とありがとうが溢れてくる誕生日は初めてのような気がする。ありがとうございます。

久しぶりに連絡をくれた人も、最近仲良くしている人も、ずっと仲が良い人も、ちゃんと自分の中に生きていて、関係性の中で生きているということ。それを忘れずに生きていくことができれば、「ゆたか」じゃなくなることはないんだろうな、とそんなことを考える誕生日だった。忘れてしまいがちで、そして蔑ろにしてしまいがちなのだけれど。このnoteは戒めとしての側面もあるのかもしれない。

そろそろ玄米茶も冷めてきたので締めよう。

このnoteは、一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー主催の「益田暮らしオンライントークセッション」のイベントレポートとして書いているつもりです。内容は全くレポートしていませんが、このイベントで「豊かな暮らし」「地方と東京」「資本主義との距離」「人との関係性」というような観点をもらい、最近読んだ本や記事で得た知識とリンクし、自分なりの「ゆたかさ」に関する思考が深まりました。ありがとうございました。

HPを一応貼っておこう。

ゆたかな暮らしって何だろう、という問いを持っている方は、是非語りましょう。連絡ください。締まらんな。以上。ハッピーバースデー、俺。

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