見出し画像

大好きな祖母の死が教えてくれたこと

1年前の今日、大好きな祖母が亡くなりました。少しは心の準備ができていたはず。だけど言葉にできないほどの人生で一番の悲しみを感じました。が、同時にほっとした自分もいました。だってもう祖母が苦しんでいないか、どうしているのか心配しなくてもよくなったから…。

祖母は苦しんでいない。でももう祖母はこの世にいない。二度と話すことはできないし、温かい祖母に触れることはできない。どう頑張ってもその事実を前向きに捉えることはできなかったけど、心配せずにやっと深い深い悲しみの中にただただ沈むことができました。

突然の宣告。まだまだ一緒に過ごせると思ってた…

昨年6月、大好きな祖母が末期の膵臓癌だと宣告されました。もって年内だろうと(つまり余命半年)。

それを母から聞いた時、衝撃すぎて絶対に信じたくなかった。だって祖母は元気だったから。祖父が亡くなってからも約15年間、広い家や庭を綺麗に保って、広い畑でたくさんの野菜を育てて、健康に人一倍気をつけて、元気に一人暮らしをしていたから。

私は2歳半まで祖母の家で育ててもらっていました。子供の頃は年に2回は遊びに行っていたし、何か行事がある時は祖母が会いに来てくれていました。大人になってからもほぼ毎年会っていたし、連絡は頻繁に取っていました。転勤族だった私にとって、子供の頃からの思い出が詰まっている唯一の場所が祖母の家でした。祖母のことが子供の頃からずっと大好きで、初任給で祖母にお財布を買ってプレゼントしました。

コロナ禍になって、なかなか直接会いに行くことができなくて、でもSkypeは頻繁に繋いで話していたんです。私たちがアメリカに行く前には絶対に会いに行くからね。アメリカに行ってもSkypeはできるから今とそんなに変わらないよ。って話していたんです。

祖母の癌が見つかったのは、コロナの情勢がわからず渡米を年末に延期した頃でした。え、じゃあアメリカに行く前におばあちゃんはいなくなっちゃうの…?

そんなの絶対に信じたくなかった。誰かに嘘だよって言ってもらいたかった。治療すれば治るよって言ってほしかった。でも調べれば調べるほど膵臓癌は進行が早く予後が悪いことがわかりました。

大好きな祖母に一生分会いに行く

毎日泣きながら「自分にできることは何か?」を問いました。でも結局、私にできることなんて一つもなくて、絶望しました。病気の進行を止めることはできないし、症状を取り除いであげることもできない。会いに行って元気づけたいけど、それが負担になってしまうかもしれない…。

「相手のためにできること」はなかった。じゃあもう「自分がおばあちゃんにしたいこと」をしよう。祖母のためじゃなくて、自分のために。自分が将来後悔しないように。わがままかもしれないけど、そう思うことにしました。

「自分がおばあちゃんにしたいこと」を考えたら、「とにかく会いたい」「大好きなこと、今までの感謝を伝えたい」と思いました。だから宣告されて(祖母はまだ知らない)すぐに、今まで一緒に撮った写真でアルバムを作って、子供たちを連れて会いに行きました。検査入院中でしたが、外出許可をもらい、一緒に家に行ったり外食したりもできました。

この時、一緒に畑にも行って野菜をもらいました。おそらく祖母が大好きな畑に行ったのはこれが最後です。叔父に「ゆかりが来たから最後の力を振り絞った」と後日言っていたそうです。

体も弱っていたし、食事の量も本当に少なくなっていて…でも今までどおりお喋りできて、優しい大好きな祖母に会えたこと。まだちゃんと生きてることが実感できて本当に嬉しかったです。でも遠くない将来、会えなくなってしまうことがどうしても受け入れられなくて、祖母と離れると涙が止まりませんでした。

帰宅してから急いで祖母に手紙を書きました。「ゆかりはそっけない時もあったけど、今回は優しかったよ」と母に言っていたと聞いて、こんなにずっと大好きだったことをちゃんと言葉にして今のうちに伝えなきゃ!と思ったのです。

祖母のことが子供の頃から本当にずっとずっと大好きだったこと、祖母のように愛に溢れていて自立した女性になりたいこと、これまでしてもらったことへの感謝、私のこれからの人生についてなど伝えたいことを全部書きました。

その後、祖母の病状は信じられないほど早く進行していきました。できるだけ自宅で過ごしたいと願っていた祖母。母と叔父、私の妹が順番に祖母の家に泊まって、祖母を1人にしないようにしていました。私も力になりたいし、祖母とももっと一緒にいたい。でも小さい子供2人を連れて行っても迷惑をかけてしまう…。めちゃくちゃ苦しかったです。

どうしても誰も仕事の都合がつけられなかった7月の約1週間、子供たちを連れて祖母の家に泊まりました。結局祖母はその期間入院してしまっていましたが、大好きな祖母の家で子供たちと過ごせたこと、祖母の近くにいられたこと、直接話したり触れたりできたこと、本当に本当に良かったと思っています。

最初年内と余命宣告をされていた祖母ですが、8月中ということもあるかもしれないと言われました。入院して痛みをコントロールしていましたが、本当にどんどん弱っていきました。病院には子供は入れないので、夫が休みの週末に日帰りで1人祖母に会いに通いました。寝ている時間が長くなっていましたが、毎回笑顔で楽しく話せる時間があって、本当に本当に幸せな時間でした。

一番辛いのは祖母なのに、いつも周囲に気遣って、感謝を伝える祖母を心の底から尊敬しました。

人は当たり前に死ぬ

そして2020年8月28日の朝、祖母は病院で亡くなりました。膵臓癌が見つかってからわずか2ヶ月でした。

翌日私は祖母に会いに行く予定でした。間に合わなかった。

でも亡くなる直前、夢で祖母は会いに来てくれました。祖母の家で穏やかに笑っていました。きっと夢で知らせに来てくれたんだと思っています。

頭では亡くなったことを理解しているけど、どうしても祖母がもうこの世にいないということが受け入れられない。1年経った今でも。

だってどこにでも祖母がいるから。何をしていても祖母を思い出すから。大好きな祖母の家には、いつも笑顔の祖母がいて、美味しいご飯を作って出迎えてくれる。私のことをいつも気にかけてくれて、子供たちの成長も一緒に喜んでくれる。そんな祖母の姿しか思い出せないから。

生まれてから30年間ずっとそばで見守ってくれていた祖母。きっと私が死ぬまで忘れることはないし、日常の中でふと思い出すことがずっとあるんだろうなと思っています。今はまだ思い出すと涙が止まらないけど、時間が経ったら悲しみは消えるのかな。でも悲しくなくなるのも今は寂しいです。

あんなに元気で、いつも近くにいてくれた祖母も死んでしまいました。人は必ず死ぬっていう当たり前のことを教えてくれました。いるのが当たり前で、祖母がいない世界なんて知らないし想像もしたくなかったのに、当たり前にいなくなって、当たり前に世界は続いています。

この1年は祖母の死を通じて、「生きる」こと「人生の意味」などについて深く考えた1年でした。

「絶対にわかっていることは、誰でも死ぬということ」「じゃあ何のために人は生まれてくるのか」ということを考え続けています。

現時点で一番しっくりきているのは、「人は生きるために生まれてくる」という考えです。「生きる」こと自体が人生の目的なんだ。だったら生きている今を全力で楽しもう。そう思って自分の人生とより真剣に向き合えるようになりました。

大好きな祖母が繋いでくれた命を大切に、精一杯生きよう。そう思って前を向いています。

どうしても祖母への気持ちを残しておきたくて、でもなかなか書けなくて、一周忌を機に書いてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?