僕は_理系のキミたち_に武器をくばりたい

僕は「理系のキミたち」に武器を配りたい

これを読んでるひとは、理系だったりそうでなかったりするのかもしれない。


理系じゃないと意味がない文章を書こうとかいうつもりはないが、理系の人たちに向けたメッセージを自分なりに書きたいと思う。


この記事を読まなくていい人

・現状で満足している人
・大学院にいって、就職するという未来を楽しみにしている人
・文系の人(自分の中で文系なら…という置き換えをすれば読めるかも)

このあたりに当てはまる人は、この記事は読まなくていいように思う。

いろんな価値観があると思うし、個人の幸せまで定義するような傲慢なことはあまりしたくないので、最初に断っておく。


まずは、自己紹介

ぼくは、いま大阪大学工学部応用理工学科という学科の2回生。

なぜ、理系にいったのか?というと昔から物理とか宇宙が好きだった。飛行機が大好きだったし、どうして飛行機が飛ぶのか?ということも興味があった。それに次は宇宙の神秘・不思議さに触れ、もっともっと勉強して世界を解き明かしたいと思うようになった。


勉強は好きだった。新しいことを学ぶことは、自分の世界を広げてくれる気がして、自分の得た知識で自分なりに宇宙を解き明かそうなんて意気込んでた時期もあった。

時がたち、漠然と起業に興味がわいてきた。きっかけは、スティーブ・ジョブズ。世界を驚かせるようなプロダクトを作れるような人になりたいと中2ぐらいにおもった。でも、当時は思っただけだった。


そんな僕が今、実は、就活サービスの立ち上げにかかわっていると聞くと驚く人もいるかもしれない。どうして理系がそんなことをしているのか?

そんなことをしてなんの意味があるのか?と思う人がいてもいいと思う。


どうして僕が今の思考にいたったのか?という経緯を追いながら、みなさんにこれから生きるための「武器」を配りたいと思う。


※ここまで読んで気づいた人もいるかもしれないが、この記事は瀧本哲史氏の著書『僕は君たちに武器を配りたい』から多大な影響を受けており、それを理系に言い換えるとどうなるのか?を自分なりの言葉でつづったものである。ちなみにこの本と落合陽一氏の『これからの世界をつくる仲間たちへ』は大学生は必読だと思う。



勉強ができる人の将来

僕たちは何のために勉強しているのだろうと思うことはないだろうか?

僕はあった。大学に入ってすぐに大学の勉強は楽しくないなと思った。
なぜだろう?


それは、

自分の将来にわくわくしなかったから。


こんな感情をみなさんは抱いたことがあるだろうか?

自分の将来が楽しくないという確信を持ってしまったのである。
いや、もっと前から気づいていた。
けど、そんなことからは目を背け、受験勉強という逃げ道を作ることで自分を保っていたのかもしれない。


でも、これは「僕だから」将来にわくわくしないのではないように思う。


確かに、理系のほうが文系に比べ就職しやすいというのは事実としてあるが、勉強のできる学生なんてごまんといるので、

企業側からすれば、勉強のできるあなたを採用する特別な理由はない

ということになる。つまり、企業にとってある一定のラインを超えた人材はすべて同じとみなされる。


これを「コモディティ化」という。


勉強ができるというだけでは、差別化にならない。

差異が生まれないということは、その人自体に特別な価値は生まれないから、「買いたたかれる」のである。

「買いたたかれたい」だろうか?もっと自分には価値があると言いたいだろう。


そこでどうするか?

理系なら専門性をもって、差別化をしようとするのである。


個人が専門性や技術力をもつことに反対することはないし、これが差別化を生み出す上では簡単だし、理系という環境に身におきながら、その選択をするのはなんら不自然ではない。

しかし、ただ大学院にいって卒業するだけでは、それはコモディティ人材になる一途をたどるだけのように感じる。


そこで差別化を生むなら、相当いい研究結果や研究者やその分野で突出するという覚悟がないといけない。

でも、実際はどうだろう?

僕も含め、理系として生きる覚悟がある人はどれだけいるだろうか?


僕はあまりいないように感じる。

覚悟はないのだが、理系に進んでしまった以上、理系に進まなくてはいけないという思い込みやあきらめのようなものを抱いている人が多いように思えてならないのである。


どうすれば「コモディティ人材」にならずにすむのか?

ある一定レベルまで行くと、差異がなくなり買いたたかれるような人材のことを「コモディティ人材」というのであった。


では、コモディティ人材になるのを避けるにはどうすればいいだろうか?


この世界にお金を稼ぐには6タイプあるということを知っておこう。

・トレーダー
これは、単純に商品を右から左へ流すことで、利益を得るタイプである。明らかにこれはコモディティだとわかる。なぜなら、商品を右から左に流すだけでは商品やサービス自体に差異を作ることは難しいからだ。具体的に、商社はこれにあたる。転売屋なんかもこれにあたるかもしれない。

このタイプは今後価値を失っていくだろう。


・エキスパート
これが理系に当てはまる、まさに専門性をもって利益を生むタイプである。(実は理系にかぎった話ではなく、営業力なんかもエキスパートタイプである)
専門性をもつとは、どうゆうことか?その分野に精通するということである。だが、今の世の中を見てほしい。今はこれをやっておけば時代の波に乗れている!と確信をもって言えるものがあるだろうか?
今までのどんな時代よりも変化のスピードが速く、振れ幅も大きい時代である。

つまり、一瞬でその専門性が価値を失うことがある。専門性が価値を失えば、専門を身に着けている人間の価値もさがる。こうして、エキスパートの価値はさがっていくのである。

※持論だが、エキスパートがすべて悪いとか価値を失うとは思わない。ただ、栄枯盛衰があるという話だとおもうのだ。波にうまく乗り、乗り換えることができるなら、エキスパートとして生きる道もあるのだと思う。


以上、今後価値を失っていくであろう2つのタイプであった。

これらを根拠に僕の主張は成り立っている。


自分の中で確固たる信念があるわけでもない人がおおいのに、今後価値を失う可能性のあるエキスパートに身を任せる必要はないのではないか?それより別の生き方を模索してもいいのではないか?というのが僕の主張だ。


では、ほかの4つのタイプは何か?

今後、変化の大きい世の中になっても価値を失いずらいだろうタイプである。(ここで言いきらないのは、未来のことなどわからないからだ)


ここでは多くを語らないことにするが、

・マーケター
・イノベーター
・リーダー
・インベスター

この4つのタイプが、今後も価値を失わない、もしくは自分の価値を上げてくれる可能性のあるタイプである。詳しくは『僕は君たちに武器を配りたい』を参照してもらえるといい。


どうだろう。

自分が今のまま勉強して、就職しても将来に漠然とした不安を抱いている人は、その感情への説明はついたのではないだろうか?(その感情を抱いていない人はこの記事の対象ではない)


自分がこのままではいけない!と思った人もいるのではないだろうか?


最後にもう一回僕の主張

もう一度、最後に僕の主張を伝えておこうと思う。


理系の勉強が楽しくないという人はいるし、たとえそんな人がこの社会に出ても、その価値はたかが知れている。なぜなら、本当に専門性をもった人には勝てないし、エキスパートは前述通り価値を失う可能性が高いからだ。それなのに、理系の道に進んでしまったからという理由で、現状に甘んじているのはすごくもったいないと思う。それよりもっといい道を選んでみようよ。そんな選択肢もあるよ。

というのが僕の主張だ。


ご案内

僕は、理系の皆さんが、今後、より輝かしい未来を築くための組織を作ろうと構想中です。

ぜひ、興味を持っていただいた方は、(特に関西在住の方)

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