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ここで生きることを選んだから

 先日、条件付き採用がとれて、無事に正職員になりました。入社して半年が経ったんだよね。早いなあ。まだまだ未熟には変わりないけれども、仕事内容、"働く"ということ、環境や生活習慣、色々なことに慣れてきたかなと思う。

 今の職場に入社を決めた日、つまり、地元に残ることを選んだ日。ものすごく色んなことを考えた。ずっと都会に行きたかったのに、ド田舎でいいの? コンビニの駐車場は馬鹿みたいに広いし、バスの時刻表は空白の方が多いんだよ? そもそもわたしは地元が嫌いなのに? この閉鎖的な場所で、昔の嫌な記憶と共に生きられるの?

 誰もがそうなのかもしれないけれど、私は人生の岐路に立たされたとき、正解を探そうとしてしまう。どの学校に行けば正解?どの会社に行けば成功?誰と付き合えば、結婚すれば、幸せになれるのかな?
 選択肢が多様化して、色々なことを選べるようになった今、【正解を探す行為】は一層困難になったように思う。社会的知名度がある会社に入社することは必ずしも幸福にはつながらないし、結婚だけが人生じゃない。でも勿論、結婚して子どもを産む人生が幸せである人もいて、何が正解かなんて、誰にもわからない。
 それでも、出来ることなら幸せになりやすい選択をしたいし、それならばと大多数の人が考える【幸せの王道コース】を求めて、あらゆる選択をくだす人が多いのかなと思う。知名度が低い会社よりも誰もが知ってる大企業のほうが幸せになりやすいだろうし、結婚したほうが幸せになれそうな気がする。だって一人は寂しいし。

 当然、選択だけで人生が決まるわけではなく、選択した瞬間がスタートになる。正解を選んだら幸せになれるわけじゃない。というかそもそも、正解なんて無いし、手札に正解があるかすらも分からない。
 やっぱり、一番大事なことは選んだモノを正解にしようとする心構えなんじゃないだろうか。
 

 例えばわたしは地元を選んだし、一般に安定していると言われる職業についた。とりあえず60歳(定年伸びるんだっけ?嫌だなあ)までは一定の収入は得られるし、世間的には成功と言われる人生を歩み始めてるのかもしれない。でも、この選択が私にとってプラスに働くのかは分からない。
 今でも苦手だった中学の先輩の実家の前を通ると気持ちが沈むし、昔通っていた学習塾の近くはできるだけ避けて遠回りしている。嫌な記憶が戻ってきそうな場所がたくさんあって、出来るだけ実家の近くは歩きたくない。ふとした瞬間に、苦しい思い出が沢山フラッシュバックするから。
 早く忘れたいことって、なかなか忘れられないんだよね。

 昔の記憶がフラッシュバックするとき、「私はここで良かったの?」「全部を忘れて、捨て去って、なかったことにして、新しい自分でリスタートしたほうが良かったんじゃないの?」って嫌なくらい自問自答する。リセットしちゃえば悩むことなんて無かったのに。そりゃ勿論、新天地ならではの悩みはあるかもしれないけど、過去に縛られることは無いんだから。

 でも、いつか「これを選んで良かった!」と言える人生を送りたい。選んだときの私に、「あんたのおかげで今幸せだよ、自信持って進みなよ!」って言ってあげたい。だって当時の私が真剣に考えて決めた答えなんだもん、責任を持って絶対正解にしてあげなきゃ。

 良かったのか、悪かったのかは、きっと死ぬ瞬間まで分からない。もしかしたら「あの時都会に出ていればのぅ」なんてヨボヨボしながら呟いちゃうダルい老人になってるかもしれない。けど、ここで頑張るって決めた以上、まずは頑張りたいから。頑張ったうえで、"なんか違ったな"って思ったら、その時改めて考えようと思う。



 とりあえず今は、職場の近くのランチを虱潰しに回っている。昨日は炭焼ハンバーグを食べたよ。思ったより店内がもくもくしてて、午後の私は臭かったと思う。

 ここで生きる意味はまだ見つけられてないけれど、当分は美味しいごはん屋さん探しに勤しもうかな。

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