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変化聯を終えて

変化聯を終えてはや1ヶ月。今更振り返りかよって、正直思ってます。ただまあ、自分の忘備録的な感じで、今回変化聯についてかけたらと思います。

note書いておきながらいうのもなんですが、僕は代表でも発起人でもないです。

変化聯ってカオス。

目次


変化聯とは

そもそも変化聯ってなんぞや。いや僕も思ってました。なにそれ。正直、運営全員が正確に理解できてるか怪しい。だって、「君たちはどう生きるか」ばりに発起人の思いは濃いし、ドロドロしてるし、全くもって原液を薄める気がない。私たち運営も各々解釈して、共感した上で携わっていたと思います(あれ?僕だけ?)原液を感じたい人は以下のnoteを読んでください。読みましょう。

読んだみなさん、なんとなーーーくわかったような、わかってないような。

そう、それが変化聯です。

僕の解釈はこんなかんじ。


変化聯の目的はなんなのか、なんのために徳島でイベントを行なったのか。

それは「競争ではなく共創を実現するために、big issueに対して私たちが走り続けるために、組織同士の共同体を作って横のつながりを作る、そんなきっかけになる場所を、イベントを作り上げる」これが私の解釈です。

お盆という、ハレとケでいうところの「ハレ」に日常を離れ、非日常な「徳島」に集まって、ワークショップを行う。そして本場の阿波おどりをみんなで踊って、influenceを身をもって体験し、自然豊かな徳島を五感を使って過ごす。どんなハイブランドを身につけるよりも、どんな高級料理を食べるよりも、これ以上に価値のあるものもはない。心の底からそう思います。
何よりも価値のあるイベント、それが変化聯です。

変化聯を運営して

変化聯の運営を本格的にやり始めたのは4月に入ってから。6月くらいから自分の中で本格的にブーストが入りました。きっかけは友人が主催していた音楽イベント「せれんでぃぴてぃ」でした。
せれんでぃぴてぃというのは偶発的出会いがもたらす幸運という意味の言葉で、この音楽イベントはまさにそれを体現しているイベントでした。

このイベントにカメラマンとして参加して、見て聴いて感じて、徳島にあつまった若者が、徳島で、変化聯で、偶発的出会いによって何かしらの化学反応を起こし、今後の活動の礎になってほしいと思う思いが、自分の中で大きく芽生えました。そこからは怒涛の日々でした。
主にデザイン面は全てやらせてもらいました。スライド作って、宣伝用のフライヤー作って、当日の物品作成して、みんなのアイコン作って、もう1人のデザイン担当の子の協力のもと投稿を作成して、とにかくいろいろ作りまくってました。

愛のこもったグッズ達


ちなみに、6月はほぼ1ヶ月間まるまる扁桃炎になったりと、体調不良が続いていたので、よく頑張ったな自分と、褒めたいとおもいます笑
(いま思い出したけど、事後投稿全然作れてなかった…徐々に作っていけたらと思います)

そんなこんなで、参加者各々が拠点に戻ってからも、この夏の変化聯が彼らの走る燃料になる、そんなイベントにしたいしたいと考えながら運営していました。

IVSのアフターパーティだけ参加する変な奴ら

運営に関わり始めてから本番までの期間で、あ、こいつら最高じゃんって思った瞬間を共有させてください。
うちら変化聯、認知度全然ないし、集客も頑張ってるけどなかなかSNS上だけだと無理があるなと思ってたとある日。Twitterで何やら盛り上がってるイベントを見つけました。それがIVSでした。
IVSのサイドイベントに、変化聯がターゲットにする、Z世代の若者が集まるらしい。

なんなら、同世代の若者が運営してるぽいぞ?!?!

これは、変化聯のことを多くの人に知ってもらうチャンス!思い立ったが吉日。すぐに行くか否かを打診。(実はイベント当日はテストの前日。正直行くかかなり迷ってました。)
そんな時から一言。

😇

行くことが決まりました👏 車で3時間の超超弾丸の京都遠征👏18時出発、午前2時帰宅の鬼スケジュール。ギリギリまでちゃんとテスト勉強してから行きました笑

行くと決まったからには爪痕残さなければってことで、自他ともに認める、ふざけ倒している名刺を作成していざ出発。

名刺表面
名刺裏面

IVSの本イベントに参加してないのに何故かアフターパーティだけ参加して、ふざけた名刺を配り続けました。

名刺配り切るまで帰らないと意気込む代表



以下、変化聯代表のIVSレポートです。

IVSのafterpartyに徳島県から参加しました。
○参加目的
私自身徳島県で若者同士の繋がりを作り、交流や新たな挑戦を促すコワーキングスペースを運営しており、そこで開催するイベントと非常に趣旨がにているイベントで、参考になればと参加しました。あとはシンプルに若者が集まるイベントとして全国的に有名な本イベントに興味があって参加しました。
○感想
①明確な参加目的を持っていてよかった
②自身が活動している経験があって良かった
③知り合いがいてよかった
の3つでした。
①イベントコンセプトは理解していたものの、トークテーマやイベント企画はなく、本当に自由な交流会だと行った瞬間に認識したため、気合いを入れました。参加目的を持たずに参加すると、人の勢いに飲まれてしまいそうだなと感じつつ、ここに来ている以上目的のない人はいなくて(仮に自分ではないと思っていても必ずあって)、それをこの混沌とした交流会で行き当たりばったりの人と話す中で言語化できるという魅力もあるのかなと感じました。
②自分の想いをどれだけ端的に話すことが重要なのかを身に染みて感じました。それを裏付けてくれるものの一つに、自分が行ってきた活動や実績があり、上手く活用して話す術を早急に身につけようと、沢山の方と話して思いました。他分野の人が入り交じっていたため、理解力が追いつかないことも多々ありました。
③徳島から参加していたため、知り合いなんていないと思っていましたが、東京にいたときのコミュニティ仲間や同郷の人も多く、話のきっかけになったり今後の協力に繋げられたことが、非常に有意義でした。

原風花によるレポ

いや、本当に参加してよかった!!!
ノリと勢いで行くことを決めたものの、参加して、本当に何か持って帰れってこれるのか、正直不安ではありましたが、、、
この日をきっかけに大きく動きました。
というのも、この日、代表の熱い話に感化され、1人の若者が運営に入ってくれたのです。
それが2023の広報担当でかつ2024の代表である穴田くんです。
広報を統括してくれて徳島県外の若者に届けるにはどうすればいいのか、また、自分の身の回りで興味のありそうな若者を巻き込んでくれました。
個人的には彼がいなければ開催すら危うかったのではないかというくらいにはめちゃくちゃ貢献してくれました。

穴田くん、すごい!!!穴田くんを仲間に引き入れた代表、すごい!!!

そんなこんなで人も集まったことだし、いざ当日

の前に

変化聯前朝祭〜TKGを食べよう〜

変化聯3日前、僕がタイから帰国した日。
発起人兼渉外担当の福本さんから一通のラインが。
「変化聯前日こんなイベントやるから、部室貸してくれない?」
※当時僕はとあるサークルの部長を務めてました。

TKGお姉さんことゆずさんのツイート

何をするのかと思っていたらTKGを食べる朝会をするとのこと。なんでTKGなんだろうと疑問に思いつつ、二つ返事でOKを出しました。
翌朝、いざTKGの会が始まってみると全てを理解しました。

しゃもじの方が人よりもでかい

こ、こんなでかいしゃもじ見たことない
なるほど、そら、ピザパとかじゃなくてTKGを食べようってなるか。

そんなこんなで阿波踊りの桟敷のネーミングライツをとっていたベンチャーキャピタリスト、木下さん初め起業家の方々、市長とともに変化聯前朝祭TKGの会は、めちゃくちゃ楽しく終えることができました。普段話せない人と話すのって楽しいですよね。まじでいい時間でした。

ちなみにこのあと神山高専はじめ、木下さんご一行の神山巡りに同行させてもらいました。めちゃ楽しかったです。

変化聯当日を終えて

ここまで長かった…
ワークショップに、寶船さんの公演、色々とありましたが、参加者は総じて「満足」してくれてました。来年間参加したいの声も多数!!
徳島の伝統である阿波踊りの踊り方もみんなで習い、夜行われる阿波踊りに踊り込めるようにみんなで練習しました。

踊り方を覚えてノリノリのみんな

徳島県の若者に聞くと、は徳島は何んもないってよく耳にしますが、そんなことはありませんでした。
ここには伝統があり、改革があり、未来がありました。でなきゃわざわざ徳島まで阿波踊りに毎年あんなにも多くの人が来るなんてことはないし、今回の参加者から、来年も参加したいっていう声が上がるはずがありません。
来年もこの徳島の地で、若者が集まり、熱狂し、狂乱、舞い踊るイベントを行いたいと思います。
拙い文章でなかなか伝わらないことの方が多いので、この辺で筆を置かせてください。
とにかくこのnoteで書きたかったのは
・徳島になんか熱い奴らがいるぞ
・阿波踊り楽しいよ
この2点につきます。

とりあえず参加しましょう。変化聯2024もお待ちしてます。

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