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裏切られるくらいなら、期待を排除する。

人に対して怒りを覚える時はどんな時か。それは自分に都合の悪いことをされた時だと考えています。

別に自分になにも影響されないことをされても、何も感じません。例えば、ある喫茶店の店員が態度が悪いとします。自分がその喫茶店を利用しない場合、どうでもいい話です。ただ、そこを利用するってなった場合、話は違ってきます。客に対して態度が悪く、接客も雑。それに対しては、怒って当然です。

同じ態度の悪い店員ではありますが、自分に関わるか否かで、それに対してどういった感情を抱くのかが変わってきます。

自分に直接かかわっていなかったとしても、その店員の話を友人がしたとします。その場合、一緒に怒れる人は、「友人の気分を害す=自分の大切なものを傷つける」という構図がその人の中に出来上がります。だから、一緒に怒れるのだと思います。

ここでいう都合は、なにでできているのか。それは期待だと思っています。

「お店を利用しているお客様に対して、丁寧な接客はして当然だ」

また、

「人と接する時は丁寧に、そして尊敬の念を持つのは当然だ」

というのは、社会において常識だとしている人は多いでしょう。だからこそ、自分の思う正しい接客をして貰えるだろうと期待するんです。友人の話に当てはめると「友人=自分の大切な存在」となります。故に、その大切なものは傷つけられないだろう、と期待してしまいます。(大切じゃなきゃ傷つけていいなんて話ではないですよ…。)

都合がいいものに対しては、嬉しいや楽しい等の、都合が悪いものに対しては、怒りが悲しみ等の感情が生まれます。その都合の大部分は、期待で出来ていて。だから、期待に添えれば良くて、期待を裏切られると駄目なんです。

怒りの感情は、些か扱いづらい。自分の力になる時もありますが、それ以上に損として返ってくることが多いですし、何より疲れる。

なら、自分の中から『期待』を無くせさえすれば、何かに対して怒ることもなくなるかもしれません。自分にとって得しかない都合も生まれにくくなりますし、そうすれば少なくとも、自分自身の中での裏切りも次第になくなっていくでしょう。

嬉しいや楽しいみたいな良い感情も少なくはなるでしょうが、期待をしないのは±0なので、そこからいいことが起きれば、少なくともプラスになるので大丈夫でしょう。

なんて、机上の空論を並べてみましたが、期待を全くしないなんて、都合のいい思考も、中々できないでしょう。どう頑張っても、期待をしてしまうのが人間でしょうから。

ただ、アンガーマネジメントとして、こういう考え方も一つだとは思います。こういう机上の空論でも繰り返せば、いつか怒りをコントロールできるかもしれませんね。

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