公園で気付いた。物事は俯瞰して見ると大切な事が分かる
接客業から福祉職へ転職し、今は児童支援をしています。僕は二児の父でもあるので公私ともに子どもとほとんど時間を共にしています。
今日は公園に行った時に、知らない子どもがのびのびと遊んでいる姿を見てたまにはこういう時間も必要だよなと思った事を記事にしてみたいと思います。
この記事で伝えたいことは物事を俯瞰して見ると大切な思いに気付くことが出来るということです。
公園にて
仕事で児童達と公園に行く事があります。公園に到着すると、僕の役割は子ども達の水筒の入ったリュックが盗まれないように荷物当番です。「じゃあ30分後におやつだから帰ってきてねー」というと子どもたちは蜘蛛の子を散らすように、ささーと遊具のほうに走っていきます。
児童達を遠目から見守りをしていると家族連れをよく目にします。ローラーすべり台を必死にスマホにおさめるお父さんや、一緒に鬼ごっこをしているお母さん。
仕事で一緒に来ている児童達は、このような姿を見て家に帰りたいとならないか心配なとこでもありますが、そんな心配をかきけすように必死に鬼ごっこを楽しんでいます。
家族連れの遊んでいる光景を見ていると、「子ども愛されているなー」と微笑ましくなります。
僕も自分の子どもがいるので、公園によく連れていきますが、実際はこんなに微笑ましい心情にはいられない時があります。
なかなか公園から娘が離れられなく、夜になっても公園で遊んでいたりしました。またアスレチックを一人で出来なくて〈6歳〜12歳〉と書かれたアスレチックに無理やり「パパー来てー!」と連れられて汗だくになります。
もう公園行きたくないと思った事は何度もありました。
しかし、荷物当番をしながら家族連れを見るととても微笑ましく思えます。不思議なことに自分の子ども達を休日に公園に連れていきたくなっていきます。
「もっと自分の子どもと関わりたい!」と思えるようになっていきます。
第三者として俯瞰して見る
このように自分と同じような家族構成を第三者として俯瞰して見る機会は滅多にない事です。
僕も児童支援をしていなかったら、公園に行く家族連れを微笑ましく見る事はなかったと思います。
見たとしても、荷物当番のようにその場から動かずにじっくり時間をかけて考える時間もなかったように思います。
偶然、家族というものを第三者として俯瞰して見た事で、自分の家族をより愛する思考回路になれたのかなと。
まとめ
今日は公園で家族連れを俯瞰して見れた事がきっかけで、自分の家族をより愛する事が出来た事を記事にしてみました。
それは家族だけに限らず、仕事、友人、趣味、健康なども同じ事が言えるのではないのでしょうか。
自分のやっていることを俯瞰して観察した時に、「もっとやりたい」「もっと工夫してやりたい」などの感情が出てくる場合があります。
自分ごとで捉えてしまうと極端に人は視野が狭くなります。知らず知らずのうちに積み重なってきた思考の癖、こだわりが視野を狭くしてしまいます。
一歩後ろに下がって自分を含めた出来事を俯瞰して見てみる。
そうすると大切な気持ちや思いに気付く事が出来ると思います。
もしご家庭で悩みがある方は自分の家族構成と同じような家族が集まる場所にお一人で行ってみてベンチに腰をかけてコーヒーでも飲みながらゆったりする事をオススメします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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