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ネガティブなときめき

「これ楽しい」とか「これ興味ある」とか「これやってみたい」っていう感覚を持つのは楽しく生きていくうえでは大事だと思う。まぁつまりときめける感性は大事だよなぁと思う。

半年くらい前の自分の場合だと、「シェアハウスに住んだら楽しそう!住んでみたい!」とか「感性を殺さずに仕事をできたら幸せそうだ!」とか思っていた。

だけど、上記含め最近あんまりこういう感じになれなかった。ズーンとしていた。

最近はむしろ、この世の中これからどうなっていくんだとか、どうやって生きていくのがいいのだろうかとか、自分もっと色々できると思ったのにとか。ネガティブなことを考える時間が増えていた。

で、そういうことを考えていると、なんだか悲しくなったり、喪失感を感じたり、今まで歩いてきた道が良かったのだろうかと迷いに迷ったりしていた。

そんな中で「これ楽しい」とか「これ興味ある!」みたいなときめく感覚を持てていないような気がして、そんな状態に不服だったのでいろいろ考えていた。

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で、気づいたのは、そんな楽しくない状態でも決して「ときめいていない」わけではないということだった。

この世の中これからどうなっていくんだとか、どうやって生きていくのがいいのだろうかとか、自分もっと色々できると思ったのにとか。そういうことに向き合うともちろんネガティブな感情になるんだけど、この感情は自虐したいとも違うし、単純なつらさを感じることだけではないことに気づいた。

その感情を感じることとか、そのネガティブな事柄自体に「興味がある」とか「より知っていきたい」という感覚もあることに気づいた。つまりときめいているのだ、ネガティブな事柄に。
なんだかわかったようなわからない感じだが、多分そうなんだと思う。

たとえネガティブにしても、その感情や感覚を大切にして動いていくと、心身がありたい状態に向かって言っているような感じがある。

辞書的なときめきの意味とはだいぶ違う気がするが、なんかとりあえずそんな感じがした。

ネガティブなときめきは、ポジティブで塗り固められないネガティブにたいして向き合う一つの在り方なのかもしれない。

うまくできているなぁ。人間。