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マジックルーム


 私の叔父はマジシャンだった。

 だった、と言うのも、私がモノ心がついた頃にはすっかり廃業し、会社勤めをしていた。

 昔取った杵柄というやつなのだろう。会うたびに、手から花を出したり、ロープの結び目が一瞬で増えたり消えたり、トランプが移動するマジックなどを披露してくれた。

 大人になった今からすれば、子供だましの単純なマジックだった気もしないではない。それでも、少年だった私を楽しませるには十分だった。

 ある日のことだった。叔父と当時はまだ健在だった祖母が二人で暮らしていた、母の実家に行ったとき、私は寄り道もせずに叔父の部屋に向かった。

 叔父の名を呼びながら扉を開けてみたものの、叔父の姿はどこにもなかった。多少なりともガッカリした。しかし、戸棚に小さな箱を見つけて好奇心がムクリと起き上がった。いつも叔父はその箱から道具をだしてはマジックを見せてくれていたからだ。

 叔父はマジックは見せてくれても、種の方は絶対に教えてくれなかった。
 叔父のいない今、道具を見ればその種のひとつでもわかるんじゃないのだろうか? 幼かった私はそう思った。

 戸棚を開き、イスを移動させ、道具箱を床に下ろし、フタを投げ捨てた。
 ワクワクしをガッカリに張り倒された気分だった。そこにあったのは、ただのロープやただのトランプでしかなかったからだ。いちおう手にはとってみたものの、マジックの種は一粒も見つけることができなかった。

 その代わり、シルクハットを見つけた。

 やや赤よりのピンクのリボンがついたシルクハット。それには見覚えがあった。叔父の部屋に飾っている写真――タキシードを着た若き日の叔父が頭に乗せていたものだ。

「あぶない!」

 私がシルクハットを手に取った瞬間だった。突然の後からの怒声に振り返ると、急ぎ足で叔父が近づいてきて、私の手からシルクハットを奪い取るように取り上げた。

「勝手に触るんじゃない! 何かあったらどうするんだ!」

 いつも温厚な叔父がこれほどまで取り乱し、
怒り狂う姿を見たのはその時は初めてで、最後だった。
 私がもう少し幼かったら泣きわめいていてもおかしくないほどの勢いがあった。
 小さな声で謝ると、叔父は我に返り、怒りすぎたと何度も、何度も私に謝罪した。

「でも、これは勝手に触っていいものじゃないんだよ」
 いつまでもしょげている私を見て、叔父は深いため息をついた。

「いいかい、これは何でも飲み込んでしまうんだよ」
 叔父は卓上のペン立てからボールペンを一本取ると、逆さ向けたシルクハットの中にポイっと放り込んだ。
「ほら」
 叔父がシルクハットを床に向けると、放り込んだボールペンが出てくることはなかった。
「信じていないね。やってごらん」
 叔父にボールペンを渡され、言われるままに同じことをすると、結果も同じだった。
 私はどこに行ったのか聞いた。叔父が私の知らないマジックを見せてくれたと思ったのだ。

「それは、僕にもわからない。これは、マジックでもなんでもないんだよ。消したモノを取り出せないんじゃぁマジックにはならないからね」

 叔父はまるで自分自身に言い聞かせるような言い方をした。
「その気になれば、冷蔵庫だって、ゾウだって飲み込める」
 叔父はシルクハットを箱にしまうと戸棚に戻した。
 それ以来、その戸棚には鍵が掛けられるようになった。



 そんな叔父は突然亡くなった。
 事故死だった。夜、信号無視をした車に撥ねられたのだ。即死だった。夜の散歩は叔父の日課だったのだ。

 葬儀の用意で騒がしいなか、私は一人叔父の部屋でタバコを吸いながら叔父とのことを思いだしていた。

 大人になってからはさほど会うこともなかったので、思い出らしい思い出は子供頃にしかない。それで思いだしたのが今も鍵の掛かった戸棚の箱内にあるであろう、不思議なシルクハットのことだった。

 あれ以来、あのシルクハットを目にした記憶はない。

 部屋の外に人の気配を感じた。すぐに扉が開くと、そこには紺色のスーツを着た老紳士が立っていた。鼻の下には白髪まじりの立派なヒゲを蓄えている。
「もしかして、甥っ子さんですかな?」
 そうだと答えると、老紳士は笑顔を見せた。笑うと目尻に深いシワが寄る。
「弁護士ですよ」
 誰かと聞くと予想していなかった答えが返ってきた。
「あなたにお渡ししなくてはいけないモノがあるのですよ」
 老紳士は上着の内ポケットから封筒と取り出すと、机の上に置いた。
「彼の遺書です。彼はもし、突然なにか会った場合、あなたに個人的にお伝えしたいことがあったようでしてね」
 老紳士は「では」と軽く頭を下げ、部屋を出て行った。彼の要件はごく簡単にすんでしまったようだ。

 机に残された封筒を手に取る。裏にはロウでしっかりと封がされていた。ペン立てにあったハサミを使う。中身はは一枚だけだった。

『これを読んでいるということは、僕はすでにこの世にはいないということだ――』
 ドラマか映画で聞いたような文章で始まっていた。
 内容はあのシルクハットについてだった。

 叔父が亡くなればシルクハットの所有者は私になる。
 シルクハットの秘密を知った者が、次の所有者候補となる。
 所有者が死ぬことで、次の所有者に自動的に移ることになる。
 処分は出来ない。
 所有者は飲み込まれない。
 そんなことだけがつらつらと書かれていた。

 そして私への頼みごととして、午前六時、正午、午後六時に食事を放り込んで欲しい、と書かれてあった。

 遺書に書かれていた通り、戸棚の鍵は机の中にあった。
 あの日以来、私はシルクハットを手に取った。

 恐る恐る、シルクハットに手を入れてみた。
 私が、吸い込まれることはなかった。いたって普通のシルクハットでしかなかった。底に手がついたのだ。

 あの時と同じく、ボールペンを放り込むと、やはり結果は同じだった。

 ハサミ、ペーパーナイフ、ペン立て、吸い殻、灰皿、文庫本、キーホルダー、ペンダント、シルクハットはありとあらゆるものを吸い込んだ。そして吐き出すことはなかった。

 ためしにシルクハットが吸い込むには無理のあるサイズの図鑑を入れてみた。
 やや無理矢理であったが、それすらも飲み込んでしまった。
 この勢いなら、叔父が言ったように、ゾウだって飲み込んでしまうかもしれなと、さすがに試しようのないことをぼんやりと思った。
 叔父が危険だと言って激怒した心境が今ならわかる。
 厄介な遺産をすでに持て余しているとき、ふと嫌な考えが頭をよぎった。

 わざわざ食事を入れる時間を指定してきた理由は?
 ゾウだって吸い込めるのなら……。

「あら、こんなところにいたの」 
 老紳士はちゃんと扉を閉めていかなったのだろうか、薄く開いた隙間から母が顔をのぞかせ、扉を開いた。
 葬儀の時間が決まったらしく、それに合わせて何時までに食事しておけだの、礼服は家のどこに入っているだのと、母は義務的に私に言って聞かせた。

 生返事でそれらを聞き流し、私は叔父の恋人や友人、あるいは周囲の誰かで行方不明になった人がいないか問うた。叔父は未婚で子供もいない。私が知る限り、恋人もいない。

「人には過去があるものよ」

 母が閉めた扉の音は、やけに冷たく聞こえた。

 それは私の欲しい答えではなかった。言われなくてもわかっていることでしかない。
 シルクハットを手に取る。手を入れれば触れる底が見えなかった。そこには漆黒の闇が広がっていた。

 この先に、誰かがいるのだろうか?
 それは誰なのだろうか?
 恋人か?
 友人か?
 それとも永遠に生かしたい誰かか?
 母はそれが誰か知っているのか?
 食事の時間を指定しているのは、時間を知らせるためじゃないのだろうか?
 叔父がマジシャンを辞めたのも、このシルクハットのせいだろうか?
 もしかしたら暴走しないためにシルクハットが食べるのか?


 無数の疑問の答えすら、闇に飲み込まれているかのようだった。

 

 叔父が亡くなって三年がたった。
 主人のいなくなっていたこの家に、妻と住みはじめて半年がたった。
 妻の目を盗むのも面倒なものの、叔父の頼みごとはなんとか守っている。
 私はスマートフォンで動画を観ながら、ロープの手品を完成させた。


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