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『ミザリー』を読みました。そして観ました。



『ミザリー』

著者:スティーブン・キング
翻訳:矢野浩三郎


内容紹介
ミザリーシリーズで人気の作家、ポール・シェルダンは辟易していた。
人気作家で子供も大学に行かせられたのも、ミザリーのおかげだったにも関わらず、それだけの作家と思われ、終って行きたくはなかった。
ミザリーシリーズを終わらせるために、作中でミザリーを殺し、新境地を開くために新たな作品を書き上げ、エージェントの元に向かう途中、吹雪に事故を起こししてしまう。
元看護婦のアニーに助けられ一命をとりとめたものの、両足は複雑骨折してて、ベットからは動ける状態では無かった。
そしてアニーはは熱烈なミザリーファンであり。。。


何年か前からか、テーマを決めて読書している。

ノンフィクションだったり、自伝評伝だったり、海外ミステリーだったり、まあ、色々とやってきた。

テーマというのは、重点的にそれ系の本を読むということ。

以前は年間テーマだったけど、一年を通してだと途中で失速しちゃうし、休み休み続けたりしてたけれど、最近は半年か、飽きたらやめる感じでやったりしている。

先月ぐらいからまたはじめるつもりでいたけど、急にスティーブン・キングの本を読みたくなり、迷ってけっきょくスティーブン・キングをテーマにすることにした。

キングも作品の多い作家さんなので、読むには困らない。

で、なにから始めるかと思い、本書『ミザリー』からはじめることにした。
まあ、『ミザリーから始めよ』って言うしな。うん、言うしな。

そしてBlu-rayも買って、観たからせっかくなのでそっちも交えてみたいと思う。

■■以下ネタバレもあり■■







まず違うな、と思ったのが、アニーの描き方だ。

アニーは熱烈なファン、というだけではない。

新作にして最後の『ミザリーの子供』を読んで激怒し、新境地のために書いた小説の原稿を焼かせ、そして、「ミザリーを生き返らせろ」と新たなミザリーシリーズをポールに書かせる。

ミザリーという作品自体そういう話だけれども、物語の途中で、アニーが殺人犯、どうやら連続殺人犯であると言うことがわかる。

そもそもヤバイ人だと思ってたけど、思ってた以上にヤバイ人だったのだ。
映画では、はじめは助けられたことに感謝し、わりといい関係で始まる。
それから徐々に、言動の端々にヤバさがにじみ出してきて、先に言った、原稿焼却執筆あたりから、「とんでもない人に助けられた」という展開になる。

しかし、小説の方では、初めからアニーはヤバいと認識しているのだ。

その辺りは、どっちが正しい展開か、というよりは、どっちが好きな展開かという所だろう。

アニーのためのミザリーシリーズの新作、『ミザリーの生還』を執筆しはじめ、冒頭部分を書き上げたのをアニーが読み、「これじゃだめ」と否定する。

ここでアニーはロケットマンの話を始める。

アニーが子供の頃はまだ映画が主流で、連続活劇というので毎週一話放映されていて、そのロケットマンが車に乗ったまま崖から転落した、ところで映画が終わったことがあった。

それはいわゆるクリフハンガー、ぶら下がりという、いいところで来週に続かせて視聴者に来週も観させるという、ドラマや漫画などでも使われる技だ。

アニーは楽しみに、楽しみにし、続きを観ると、ロケットマンは車からあっさり脱出し助かった。

アニーはそこで、「先週と違うじゃない!」と劇場で叫んで追い出されてしまった。

アニー曰く、もし、飛行機が墜落する、という終わり方をしたとき、偶然パラシュートがあって助かった、というのは許せる。
しかし、その飛行機が墜落せずに助かった、と言う展開は許せないと言うのだ。

イイ悪いは別にして、そんなのはフェアじゃない。

ポール自身、適当に書いて誤魔化そう、そんな意図がバレてしまった、と思ったりしてしまう。

むしろ、状況はどうあれ、作家としての手を抜いてしまったことを後悔してしまった、読んでいてそう感じた。

しかし、テレビ放送では意味の無い部分と思われたらしく、カットされていたようだ。(このシーンは吹き替えられていなかった)

細かいところを比較していたらいつまでも終わらないので、大きく違うところを2つ。


ひとつは映画に登場した老保安官マーシャだ。

ポールの車が発見され、州警察は、

「ポールは車から脱出しどこかで亡くなっているだろう。死体は雪の中だし、発見される前に動物に喰い荒らされるだろう」

といって早々にあきらめてしまったににも関わらず、マーシャは一人ポールの捜索を続ける。

このマーシャ、登場時は田舎の老警官でやる気がみじんも感じないぼんくらに思えたのに、一人捜査を続ければ続けるほど、勘の鋭さをハッキさせ、アニーの元までたどりついてしまうのだ。

ヨレヨレのレインコートにもじゃもじゃ頭。いまいちぱっとしない見た目なのに、勘の鋭さとねちっこい捜査で、数々の殺人犯を逮捕したロサンゼルス警察殺人課警部、コロンボを思い出させる。

あるいは、田舎の妊婦保安官で、こんなヤツはたいしたことはできないだろう、と思わせておいてちゃんと事件を解決してしまう、映画『ファーゴ』のマージを思い出す。


ふたつめは残酷表現だ。

映画では、部屋を出ていたことがバレたりして、足をハンマーでぶん殴られてしまう。

しかし小説の方では、足を切断されてしまうのだ。
しかも、拇指まで切り落とされてしまう。

残忍さは原作方ではかなり非道い。
ちなみに斧を持ってアニーが現われ、切り落とされてしまう、という場面に入ってから、なかなか切り落とさず引っ張るのでキングの悪い演出には脱帽でした。

あとちょっとした違いで言うと、最後に書き上げたミザリーの生還を燃やすところで、原作ではニセの原稿を燃やすというところぐらいか。

ちなみに、小説のハードカバー版は、カバーを外すとミザリーの生還の表紙になっているので、古本屋などで見かけた際にはぜひ確認してください。


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