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『死霊のえじき オリジナル脚本』を読みました。

死霊のえじき オリジナル脚本


著者:ジョージ・A・ロメロ
翻訳:伊藤美和

内容紹介
とつじょ現われたゾンビによって荒廃ししまった世界。
南米ゲリラのサラ、その恋人のミゲラは仲間数人で小型ボートで移動しながら安全な場所を探していた。
他の生存者とプライベート・ドックで銃撃戦を繰り広げた末、元フロリダ州知事に支配された離島にたどり着く。
この島の地下施設では、いまや元州知事の支配となった軍人や科学者たちがゾンビを兵士として利用するために研究を続けていた。
こうした行為を悪魔の所業だと信じる反乱軍は、捕虜収容所に身を潜めながら蜂起するための機会をうかがっていた。
恋人や仲間を元知事軍に殺されたサラは、なりゆきから反乱軍と行動を共にすることになる……。


ドラキュラってどういうモンスター?
と聞かれて答えられない人がいるだろうか?

ではフランケンシュタインは?
そしてゾンビは?
狼男だって答えられるだろう。

ドラキュラは吸血鬼で、フランケンシュタインはあのデッカくて首にボルトが刺さった怪物だし、ゾンビは死んだのに起き上がって人を襲って食べたりして、襲われた人もゾンビになってしまう。

そんな説明誰だってできるだろう。

もっと言えば、ドラキュラは伯爵の名前で、フランケンシュタインは怪物を作った博士の名前で、『フランケンシュタインの怪物』が正しい。

引っかかりましたか?
引っかけましたよ、えぇ。

ドラキュラは1987年にブラム・ストーカーによって書かれた小説に登場する人物で、フランケンシュタインは1818年にメアリー・シェリーによって書かれた小説が元だ。
半獣半人の狼男にいたっては紀元前から存在していた(Wiki調べ)。

ハマー映画の影響なんかが大きな理由、かと思うが、これらの怪物、モンスターはどういったものか簡単に説明できるほどのアイコンとなっているのだ。

では、ゾンビは?

その歴史をひもとけば、元々はブドゥー教で、ゾンビパウダーなるものをつかい、仮死状態にした人を物言わぬ労働力として使っていたものだ。

ひもとけばと言ったものの、ちゃんと調べてみれば間違っている可能性はあるかもしれない。

しかし、ゾンビというものがはじめて映画に登場した『ホワイトゾンビ』では、ゾンビとはそういうモノだった。

コレが今、我々が認識しているゾンビになったのはいつなのか。
それは1968年に公開された、ジョージ・A・ロメロ監督作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』からだ。

この作品以降、ゾンビというモノが、今の姿でアイコンとなったのだ。
ロメロ監督はその後もゾンビ映画を制作し、2017年に亡くなるまでに6本の映画を制作している。

その内、初期の三部作とも言われている、三本目の作品が『DAY OF THE DEAD』すなわち『邦題:死霊のえじき』だ。

この映画は公開されるまで紆余曲折があり、まず200ページを超える脚本を書いた。
そこから122ページまで切り詰めた。

ところが制作会社が「制作費がかかりすぎる」と難色をしめされたため、更に書き直し、第3稿は165ページ、104ページの第4稿を書き上げた。
それでも制作会社は首を立てに振らず、GOサインを出さず、

「750万ドルでR指定作品にするか、350万ドルでレイティングを気にせずに撮るか」

の二択をせまった。
そこでロメロが選択したのが、第3稿の内容を大幅に変更し、88ページの完成版脚本を書き上げ、350万ドルで好きに撮り、完成にこぎつけた。

そんな事情があったせいか、一作目の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、二作目の大作、『邦題:ゾンビ』に比べ、どうも影が薄い気がして悲しい三作目。

個人的には三部作では一番好きなんだけど、その話をしだすと朝までコースになってしまう。

この邦題死霊のえじきは今年の2月5日に、HDニューマスター・スペシャルエディションBlu-rayが発売され、それのメモリアル・コレクション初回生産限定版の特典に、第3稿のいわゆるオリジナル脚本、がついていた。

実はこの脚本、2004年に発売されたDVDにも特典としてついていて、DVDをパソコンに入れれPDFファイルとして読むことはできた。
それが今回は本の形となって、特典としてついていた。

これは嬉しい。

DVDを買った当時プリンターを持っていなかったし、パソコン画面で読むの疲れるので読んでなかっったから、やっぱり嬉しい。

元々、このオリジナル脚本を元に邦題死霊のえじきの脚本が書かれたので、同じ部分、違う部分あたりが知れて、やっぱり嬉しい。

オリジナル脚本で大幅にカットされた部分は、内容説明でもわかるように、後に撮られた『ランド・オブ・デッド』に流用したようだ。



以下ちょいとネタバレ
オリジナル脚本で特に注目した部分は、ゾンビ兵、そしてなりより、恋人ミゲラがゾンビとして復活しなかったことだ。
それはゾンビの終焉を意味するのか。
あるいはまた、別の展開があったのか。
歴史にもしはないが、やっぱりこのオリジナル脚本のまま、制作されるべきだったかもしれない。




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