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あれから20年。一生忘れることのできないあの日に、アメリカ現地で僕が目にしたことと、争いや対立が絶えない現状を改善するにはどうしたら良いか、考えてみた

あれから20年もの月日が流れたけど、あの日のことは永遠に忘れることができない。

2001年9月11日。

当時僕はアメリカのとある大学の4年生で、1限目の授業へ向かう前にシリアルを勢いよく頬張りながらCNNテレビを見るのがルーティーンだったが、テレビをつけた瞬間信じられない光景が目に入ってきた。

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画像)CNNの当時の速報画面

ニューヨークの象徴とも言えるワールドトレードセンター(WTC)ビルから黒煙が舞い上がり、一瞬で「大変なことが起きた」ことに気づいた。

日本人留学生の親友が僕の部屋を訪れて、一緒にその授業へ向かうのがルーティーンだったが、彼と一緒にテレビに釘付けになっていたその時、2機目がWTCに突っ込んだのをライブで見てしまった。

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画像)2機目衝突の瞬間

全授業がキャンセルとなり、その日をどう過ごせばよいのか分からないまま時間が経過。そのうちに刻々と状況が悪化し、数時間の間に信じられない出来事が一気に起きて、アメリカ中が大混乱に陥った。

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画像)飛行機が激突した後のペンタゴン

ニューヨークからは遠い場所にあるアメリカ南部の大学だったが、生徒の多くがアメリカ北東部出身。当時僕は「Resident Adviser」と呼ばれる大学寮の管理業務をやっていたが、寮生が「パパがあのタワーの中にいるの!」と泣き叫んでいるのを見て、自分もどういう声をかけてあげたら良いのか分からなくなり、何千キロも離れているここでも影響が出ていたことにショックを受けた。

また、早くもキャンパス内でイスラム系に対し多くの人種差別的な発言が聞かれたことも衝撃的だった。差別が比較的存在する、と言われていた土地ではあったものの、僕が卒業した大学はアメリカだけでなく世界中から留学生が集まる多様性に富んだ環境で、普段はお互いの違いを認め合う雰囲気が流れていたので、このキャンパスでは差別のようなことは起きないだろう、と思っていただけに・・・そういったことが「起きない」という「絶対」は無いんだ、と痛感させられたし、一部の人間の奥底に潜んでいた闇のようなものを見てしまった気がして、複雑な思いに駆られた。

夜にはResident Adviser仲間で集まり、今後寮生のメンタルケアをどうしたら良いのかが話し合われた。その後に米軍がアフガニスタンへ報復攻撃を開始したという速報が流れ、「これは戦争になる・・・」と誰もが頭を抱えていた。

その後、キャンパス内でも「報復は憎しみしか生まない」「報復されたら復讐することでしか自己防衛はできない」と意見が真っ二つに分かれた。後者の考え方を持つ人間は「パールハーバーの再来だ!」と発言していたのを聞き、日本人として複雑な思いを抱かざるを得なかった。

翌々日に授業が再開されたが、経営学部の授業だったにも関わらず、再開後初回の授業テーマは「今後アメリカはどういう方向に進んでいくべきか」だった。出席者全員が発言を求められ、当然僕も発言をした。

どんなことを話したのかハッキリとは覚えていないが、その授業では日本人は僕一人だったこともあり、少なからず過去に米国と戦争をしていた国の人間としてどう考えるのか、授業に参加していた人たちは僕の話に少なからず興味を持ってくれていたように見えたのは覚えている。

最も衝撃的だったのは、全米一のパーティースクールと言われている大学で、生徒たちのアルコール消費量も遊び方も半端なく、平日から泥酔している者も多くいたのだが、あの日以降数日間はそんな様子がなかったことだ。大学寮の管理業務の一つに夜20時ごろの寮内パトロールがあり、通常では必ず毎晩数件ノイズの苦情や泥酔者への対応があったのだが、あの日以降数日はとても平穏で、パトロールの必要がないんじゃないか、と話していたほどだった。

そのうちキャンパスは平穏を取り戻し、通常のキャンパスライフに戻ったのを見て、色々な意味で切り替えが早いのがこの国の人たちの特徴だな、とも感じた。僕もそれに便乗するような形で、忙しい学生生活を取り戻していきながら、就職活動を進めていった。

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画像)大学のキャンパス

翌月にはボストンで開催された日本人向けキャリアフォーラムに参加していた。テロの影響や日本での就職氷河期の影響からか、参加社数が半分以下に減っていたのが印象的だった。

ネクタイの締め方を覚えたばかりだった僕は、慣れないスーツ姿でいくつかの会社のブースを回り、「ネクタイの締め方間違ってるよw」と指摘されながらも面談を進めて行った。が、参加社数の少なさからか予定より2日も早くスケジュールが終わってしまったのを覚えている。ちなみにそのキャリアフォーラムの開催場所がボストンの「ワールドトレードセンター」というのは何という皮肉だろう、と思っていた。テロの舞台となってしまった建物と同名という何とも言えない不気味さも、企業側が参加を取りやめた理由だったのだろうか。

人々はしばらくメディアから流れてくる国の対応をこまめにチェックしていた。これからアメリカはこの混乱にどう対応し、テロとどう対峙していくのか。その後については皆さんもよくご存知かと思うので割愛する。

翌年の春、日本から会いに来てくれた親友と一緒にニューヨークへ行き、WTC跡地へ足を運んだ。ニューヨーク全体はテロ前に行った時とさほど変わりのない様子だったが、WTC周辺だけは様子が違った。人々が祈りを捧げ、多くのメッセージや花束が飾られていた。僕たちも犠牲者の冥福を祈った。

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画像)現在のWTC跡地

テロとの戦いは、20年経っても未だに決着していない。そして今はコロナとの戦いも続いている。

当時も今も変わらない思いとしては、人々の価値観や道理、バックグラウンドは違って当たり前。それをお互いどう尊重していくかによって、争いや憎しみを増幅するのか軽減するのかが決まってくる。

全ての争いを消滅させることは現実的には不可能だし、ぶつかることで絆が深まることもある。ただ、ここで言う「争い」は、いがみ合って傷跡を残すようなもので、それ自体を減らすに越したことはないはずだ。

これからも異なった価値観がぶつかり合うことは無くならないだろう(個人的には、直近で「ワクチン推進派」vs「ワクチン反対派」の二分化と衝突を特に懸念している)。ただ、自分とは異なる意見を真っ向から反対するのではなく、まずはその意見を聞いて、その中で「これは活用できる」というアイデアがあり、それを取り入れたほうが良いと感じたら取り入れる。つまり「黒か白か」のゼロヒャク思考ではなく、「グレーもありかな」くらいが丁度いいのかもしれない。

また、他者の欠点を受け入れる姿勢を持つことも大切だと最近感じている。他者の欠点を受け入れることは、言うのは簡単だけどとても難しい。ただ、具体的にどうやったらそれができるようになるのか、先日読んだ「夢をかなえるゾウ4」に書かれていたので、それをシェアしたい。

①他人の見る場所を変える:欠点が見えたら、そこから目線を変えてすぐさまその人の長所を見る。例えば、すぐに人の悪口を言うのが欠点だと捉えたら、そこに執着せず、「この人は組織が良くなることを真剣に考えられる長所を持っている人だ」と目線を変えてみる
②相手の背景を想像する:なぜこの人はこういう行動(自分が気に入らなかったり、「欠点」というラベルを貼るような行動)をとるのか、どんなことがあったのか、を想像する。例えば、人の悪口を言うのが欠点なら、小さい頃に親が人の悪口を言うような人で、そういう環境で育ったからかもしれない、だからその人が悪いわけではなく、環境が影響しているのかもしれない、と想像する
③他人に完璧さを求めている自分に気づく:相手の欠点が見えているということは、その人に「完璧さ」を求めている可能性がある。誰かの悪口を言う、という欠点がある、と感じているのは、「悪口は一切言ってはならない」という完璧さを求めているから。まずはそれを求めていないかどうかに気づくこと。そうすると、「たまには悪口を言いたくなるときもあるよな・・・ていうか自分もどこかで言ってるかもしれないし」と、完璧さを求めなくなり、実は完璧さを求める理由は自分自身が完璧主義だから、ということにも気づけるようになる。(完璧主義は「黒か白か」のゼロヒャク思考で、争いを生みやすい)

僕自身、特に仕事においては交戦的になりやすい性格で、以前はそれで人間関係を思い切り悪くさせてしまったことが多々あった。なので自戒の意味も含めてシェアさせてもらった。この本はそれ以外にも、「これを行動に移せば今よりも面白い人生を歩めるかもしれない」と思わせる学びがたくさんあり、個人的にはこれまで読んだ本の中で間違いなくトップ3に入るので、是非おすすめしたい。

まとまりのない文章になってしまったが、一生忘れることの出来ないあの日のことを思い出しながら、今後もし世の中で分断や対立が多くなってしまった時にどうすれば良いのかを考え、著書も引用してシェアさせてもらった。今日も皆さんにとって平穏で楽しい1日になることを祈りつつ。

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