日記2024年3月⑧

3月24日
大学の後輩と会う予定だったのだが妻の体調不良により中止した。ダラダラしていたら子供が退屈して乱暴になり、注意するとしくしく泣いた。テーブルにらくがき帳が出ていて、「よ」「ち」「ま」「し」「つ」と書いてあった。電車で東京駅まで出かけた。車内で落ち着きのない男性が弘中綾香の『アンクールな人生』を読んでいた。同行者と仲がよさそうだったが、風船が割れるように話し始めるので驚いた。子供は寝ていた。『イギリス人の患者』を少し読み進めた。戦場での死を看護することと死地に若者を送り込む権力者へのハナの怒りが書かれている。戦闘の終わった廃墟から撤退せずに残ったハナとイギリス人の患者のもとに戦争でそれぞれの傷を負った人が訪れ、ともに時間を過ごすうちにさまざまなことが少しずつ語られはじめる。昨日の柴崎友香さんと滝口悠生さんの対談の中で何かの渦中にあることを書く難しさが話されていた。戦争のような巨大な出来事、しかもそれはあまりに理不尽で意味不明な暴力で、その中にあるときに人はそれに慣れてしまう。災禍を災禍として語れるのは過去になりはじめてから、遠くへ離れはじめてからなのだろう。
子供がスキップを混ぜた歩き方をする。手を繋いでいると腕が波打つ。新しくレゴのキットを買った。レゴのお店はいつもだいたい子供が泣いている。7歳以上が対象だがひとりで作っている。こちらに背を向けて黙って作っている。あっというまに電車が完成した。

3月25日
昼頃まで雨が降っていた。ダラダラしてしまう。昨日発見した「ライフドキュメントの風土記の部分」は良い部分ツイートであったと思うし、「シラケつつ海苔」も良いダジャレであったと思う。今朝も法事の香典返しの海苔を食べた。今朝の子供は少し怒りっぽくて、朝食中にすぐどっかに行ってしまう。パンを残してお菓子を食べたいと言う。私は小さい頃からご飯を食べるのが好きで、大人の食べるものを奪っていたくらいだったから、自分の子が食事をとりたがらない気持ちがよくわからない。私はお菓子もほとんど食べなくて、小さい頃はお団子とか、もっと大きくなってからはおやつにお茶漬けを食べていて、とにかくお腹にたまるものが好きだった。だから今、子供がほかほかのふりかけご飯に一口も手をつけずにチョコレートを食べたがる毎日であっても、いまだにそんな子供の挙動が信じられない。こんなに美味しいものが冷めて乾いていくなんて、と悲しくなって時には腹が立つ。心情的に遥か遠くにいる子供を頭で理解してなんとか繋ぎ止める。家族であることを試される瞬間である。
いつも読んでいるnote。逃げた猫を探す。

私も、実家にいた頃、猫が逃げてしまったことがある。マンションの外壁補修工事のときに窓の外に足場が組まれ、たまたま窓の鍵をかけ忘れたすきに3番目の猫がするっと抜け出してしまった。猫は足場を伝って下まで降りていき、そこで心細くなって丸まって鳴いていた。気の弱い甘えん坊でよかった。普段その猫は一番人間の気持ちに構わないというか、人間を大きくて温かい肉体と見ている感じがして、ソファに座っていると走ってきて足場にするし、寝るときは湯たんぽにしていた。でもそれがその猫らしいところで、人間としてもその猫のことを思い出すときはあの小柄な背中の尖りとか、短毛の滑らかさ、少しマズルの長い顔、私の膝や肩に足をかけたときの肉球の冷たさ、そういう肉体的な記憶がよみがえる。もう死んで7年経った。一緒に暮らす存在と何を介してどのように関係を結ぶかというのは案外多様なのだと思う。
公園でシャボン玉をやった。私が吹くと子供は喜んだ。シャボン玉との戦いらしい。最初うまく吹けないなあと思っていたが、シャボン棒(?)を口に近づけたらシャボン液が風を受けてたくさん生まれた。コツというのは気づくまで気づかないが気づけば気づかなかったことが不思議に思える。子供がはしゃいで大きな声を出して、周りの家にしっかり聞こえていただろう。家で待っていた妻にも聞こえたかもしれない。公園のすぐ隣の家には子供が派手にシャボン液をこぼしてしまったところでおひらきにして、子供の髪を切りに行った。土日遊びすぎていたために切るタイミングを逃し続けて、だいぶ伸びてしまった。子供は切ってもらうあいだに珍しくクレヨンしんちゃんのDVDを観ていた。前髪を切るときにすこし顔を顰めていた。子供の髪はあっというまに短くなる。次の予約をきちんと取り、フードコートでラーメンを食べた。高校生くらいの男の子たちが「あそこの店員まじ態度悪いんだけど」と憤っていた。私も今より高校生の頃のほうがそういうことが気になっていたように思うけれど、もしかしたらそれは今よりも当時のほうが子供として軽んじられることが多かったからかもしれないとも思った。帰りの電車で大学生くらいの男性2人、女性1人のグループがいて、仲良く話していたのだけれど、よく話す男性1人が先に「じゃあね〜」と降りていき、2人になったら全く話さなくなった。男はスマホをいじっていた。もっと会話を楽しんだらいい。
帰り道を歩きながら子供が「きょうはすっごくたのしかったね」と言った。親としては子供に我慢させてしまった部分のほうが多かったと思うけれど、子供はそのときの思いが今の全てをその都度作ってしまう力があるから、こうやって全てを肯定してしまう。すごいことだと思う。お風呂に入れて寝かせた。私はラーメンの油と塩分に負けてひどい下痢になって夜中まで眠れなかった。

3月26日
子供の幼稚園のリュックを持たずに出てきてしまった。前は幼稚園のリュックを持って自分のリュックを忘れたことがある。そのときは背中が軽いので気づいた。雨が降っている。子供の傘の骨が一本曲がっていた。幼稚園の先生で年度の途中でお辞めになった人がいて、もし送り迎えのときに担任の先生に会えたらあの先生にもよろしくお伝えくださいと今年度中にご挨拶しようと思っているのだが、今日も会えず、急ぎの用でもないのでなんだかタイミングを逃し続けている。妻は今日仕事に復帰したがまだ体力はきつそうである。
月の初めに詩を書こうと試みていたのだがいつのまにか力尽き、書きかけのノートを3週間眠らせていたのだけれど、お昼休みに勇気を持って開いてみた。色々なメモや断片が書きつけてあり、それだけで特定のイメージを指し示してはいると思うのだけれど、散漫でかつ展開に乏しく、音韻的なおもしろさもない。何か別の糸を撚り合わせたいように思う。コツコツと取り組む。
新しい傘がほしいと言うのでみんなで西松屋に行った。パウパトロールの傘とパウパトロールの雨ガッパとパウパトロールの映画のDVDを買った。傘は前のものより少し長かった。前の傘は2年前に葛西の地下鉄博物館で買ったものだった。あの頃はまだ車掌さんのシミュレーターを体験できる年齢ではなかったが、今ならできるかもしれない。ファミレスでパンケーキを食べて帰った。家で子供がジタバタした脚が当たって痛かったので喧嘩になった。
マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』Ⅲ章「いつか、火」。ハナは夜にキップのテントに通い、腕を抱き、耳を当て、口づけをし、眠る。キップも地雷を処理する任務の中でハナの存在にだけ安堵を見出す。二人の関係は恋愛と言ってしまうことができるけれど、死線を潜ってきたキップの視線の中心にあるのは常に危険でありハナではない。危険なものから目を逸らすことができない。災禍を経た二人の関係は普通の恋愛にならない。カラバッジョおじさんはこんなところから去って子供を産んで普通に暮らせと煽る。戦争を過去にしてしまえと。しかしハナにもキップにもカラバッジョにもそうはできそうにない。みな、戦争が終わったとされた場所で戦争が終わっていないことを自分の中に発見している。戦争が過去にならない。打ち捨てられて過去にされた廃墟にしか彼らの現在が生きられない。

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