猫を探す

2月の夜に猫が逃げた。平年より高めの気温が1週間続いた後、ぎりっとした2月の冷え込みが戻ってきたその日に、首輪もしていない猫は生まれて初めて外に出ていった。

猫が出ていった時、家にはわたししかいなかった。夕方に帰宅した際にわたしはたくさんの荷物を両手に持ち腕にも抱えていて、玄関のドアを肩で押して閉めたのだがきちんと閉まらなかったのだと思う。施錠もしていなかった。気温がぐっと下がった上に刺すような冷たい風が強く吹く日で、おそらくその風圧でドアが開いたのだろうが、洗面所にこもっていたわたしはそれにまったく気がつかず、用が済んで戻った時には玄関のドアが開いていて、薄暗い居間に氷のような外気が冷たく吹き込んでいた。

猫がいつもいる場所におらず、寒さを避けて奥の部屋に逃げ込んだのかと思い、名前を呼びながら探したが家の中のどこにもいなかった。何度も同じ所を行ったり来たりしたが、猫の気配は消えていて、いやーなあせりがひたひたと迫ってきた。がらんとした家に自分の呼び声が響く。とても切羽詰まっていて同時にすごくまぬけだ。呼びかけはただ吸い込まれて何も返ってこない。

とりあえず外に出て猫のおやつが入った袋を振ってガサガサガサガサと鳴らしてみる。名前を呼ぶ。薄暗いあたりを見回しても猫の姿はない。どこに行ったというんだ、外なんて出たがる素振りを見せたこともなくて、しかもよりによって気温が下がるこんな日に。

家の前の道に出て、何軒かの距離を歩いてみる。もちー、もちー、と調子はずれに猫の名を呼びながら、おやつの袋を上下にザンザカ振って歩く。いない。家を出て右に曲がったのか左に曲がったのか、それも分からないし見当もつかない。周りの人に聞かれるのは恥ずかしいが、聞こえるようにしなければ猫に届かない。氷のように冷たくてざらりと硬いアスファルトの上を、あの柔らかいピンクの肉球がさまよい歩いているのかと思うといたたまれなくなる。

猫が逃げた時にどうすればいいかをネットで調べる。猫のトイレを玄関先に置いておけと書いてある。あとは餌も。とりあえずそれらを出す。Youtubeにある猫の鳴き声を集めたビデオが効果があるというので、それを携帯で鳴らしながら路上に繰り出す。ザンザカやりながら名前を呼ぶ。猫が見つけてくれるならなんでもやる。

歩いているとポメラニアンを散歩に連れ出そうとしているおばさんがいた。その人の家はうちから4軒くらい離れている。小柄でたばこを吸っていた。わたしのやっていることはまあまあ挙動不審だろうと思うので、自分からすすんで説明することにした。うちの猫が逃げてしまって探しているんです。わりと親身に話を聞いてくれ、模様や色なんかも伝えた気がする。散歩しながら気をつけて見ておくわねと言っておばさんは犬と一緒に向こうへ行った。

それからいったん部活上がりの娘を迎えに行くために中断したが、その後も車で近所をゆっくり回ってみる。あてがないまま広く探そうと思ってそうするが、暗くてよく見えない。やはり歩いて探す。

さっきのおばさんが犬の散歩から戻っていて、近くで猫を見たと言う。グレーと白でしょ、裏庭を横切って向こうに行ったわよ、と言われる。フェンスなどで区切られている上に、雪の季節なのでたいていの家は庭に雪が積もったままになっているから、隙間をすり抜けて移動するのはそんなに簡単ではないと思うが、とにかく道路ではなく裏庭の方にいるらしい。隣の家の裏庭に入らせてもらい、名前を呼んだりザンザカしたり猫の鳴き声を流したりする。反応はない。

だんなが仕事を終えて帰ってきた。この時点でもう21時になろうとしていたくらいだと思う。猫が逃げたと伝えると、顔色を変えて探しに出ていった。タフな仕事のあった日で彼もかなり疲れていたとは思うが、その飛び出しようには一切迷いがなかった。それぞれ別れて探していてかなり長い時間が経ったが、22時をすぎた頃にだんなから電話がかかってきて、家から400mくらいのところでもちを見つけたが、何度もニアミスしては逃げられていて、名前を呼んでもこちらに来ないと言う。おびきよせるためのえさを持ってそこへ向かった。

えさを置いておくと、こんなに外を歩いている猫がいるのかと思うほどわらわらとやってくる。5匹以上はいるかも。そいつらを追い払いつつ隠れながら辛抱強く待っていると、もちが姿を現した。えさの匂いを嗅いで食べ始めるが、近づくと逃げてしまう。

すごく警戒しているとも言えるし、見方によってはすごくいきいきしているとも言えるようなもちの様子に、だんなもわたしもどこか傷ついたのだった。傷つくなんてばかみたいに聞こえるかもしれないが、わたしたちの家はそんなにつまらなかったかい、暖かくてご飯の食べられる家で、かわいがられながら暇を持て余して暮らすより、厳しい寒さのこんな夜に、食べるものもろくに食べれなくても自由に歩き回れて他の猫とつるむほうが楽しいのかい、そっちがよくて家にはもう帰りたくないのかい、というしみったれた卑屈な問いが頭に浮かんでしまう。

車に乗っているとは言え、エンジンをかけずに動かずじっと待っていると、骨の髄まで寒さがしみこんでくる。ノースフェイスの長めのダウンジャケットを着込んでいても寒い。日付が変わった夜中の1時まで粘っても猫が再び現れることはなく、あきらめて家に帰った。

今日はもう見つからないだろうということで、SPAという公共の動物愛護団体のホームページから迷い猫の登録をする。疲れとストレスからだんなとのやりとりがずっととげとげしい。ほぼお互い様だが、向こうからの当たりが若干よりきつい。ベッドに横になるとだんなが「こんな寒い中で生き残れる訳がない。きっと凍え死んじまうんだ」などとつぶやくから、思わずガーーーンとなり、いてもたってもいられず、もう一度ひとりで路上に戻る。車でじっと待ったが、もう他の猫すら見かけなかった。気温は-15℃まで下がっていた。結局家に帰ったのは午前3時、絶望的な気分でふとんにもぐりこむが、体の芯にべったりと寒気がこびりついていて深く眠れず、目を閉じても半分覚醒した状態のまま、不気味な身震いを何度も繰り返した。

朝6時、ろくに寝れなかったが重い体をひきずるようにしてベッドから出て、外へ猫を探しに出る。玄関先に出しておいた猫缶と飲み水がどちらもかちんかちんに凍っていて、思わずううっとなる。こんな寒い中であのやわらかい生き物は何をしているんだろう。無防備で甘えんぼうでよく眠るあたたかい猫。どうかまだあたたかいままでいてくれと心の中で泣いて祈りながら、近所を車でのろのろと徘徊する。自分がそうなってみて初めて分かることって実際にたくさんあると思うが、近所にそろりそろりと進む or 停めてあるのに運転手が降りない不審な車があったら、猫を探している可能性があるんだな、というのを身をもって知った。

朝の通勤や通学で人通りが激しいのだが、逆に猫が外で活発になる時間帯ではないようで、リモートワーク開始時間ぎりぎりまで粘ったが猫の姿はなく、とりあえず家で仕事を始める。もう近所でただ張り込みをしていても限界を感じ、この寒さでは早く見つけなければもちの命に関わるので、だんなと相談して次の手段を取ることにした。

— 近所の電柱やスーパー、薬局にビラを貼りまくる
— 市内や近郊の「迷子の動物探してます/見つけました」Facebookグループに登録してポストする

これを印刷して電柱に貼りまくり、Facebookにもポストした

土壇場の午後休を取り、だんなとふたりで近所の何十本もの電柱に貼りまくり、スーパーや薬局にも貼らせてもらった。通りすがりの人にも手渡しで直にお願いする。この時、ふたりの男性に「うちの猫に似てるなあ」と言われた。そう言われると、なんだかじんわりとイヤな気分になる。もしかしてもうこの人に拾われてしまってこの人の家の猫にされてるんじゃないか、とか思っちゃうんだな。

まあとにかくそうやって自力だけでなく他力も巻き込んでもちを見つけ出さなくてはと思っていた。こんな寒い中で猫を逃がすなんて、とんでもなく間抜けで無責任な飼い主だと思われるかもしれない、と考えていたが、いろんなFacebookの動物探しのグループに投稿をしていると、他にも猫探しの投稿がいくつかあり、よりによってこのくそ寒い中で迷子になっているのはうちの猫だけではなかった。みんな切実な気持ちでこうやってポストしてるんだよね、というのが分かって、安心するわけではないが連帯感をおぼえる。どの猫もお家でのんびりしているような写真なのがまた切ない。どうかすべての迷い猫が、もといたお家に帰れますようにとしみじみ願う。

猫見つけましたというポストもけっこうあった。そういう人は迷い猫をベランダや玄関にいさせたままのケースが多い。すでに飼い猫がいたりすると、知らない猫を保護して家に入れるのは簡単に気安くできることではない。まあ逆に言えば、外でもなんだかんだ生きてる猫がいるということだから、希望を捨てずにいなければ、とまた夕方から張り込みに出かけることにした。

猫がいなくなってから24時間が経つ頃、昨日からの定位置で待っていると、もちの育ての親である元保護主のAさんからDMが来た。おそらくどれかのFacebookのポストを見たのだろう。彼女はもちの家出をいちばん知って欲しくなかった人だった。

Aさんは引き渡しの時に、実はもちは譲渡せずに自分の猫として飼い続けようかと思っていたのだと打ち明けてきた。そのくらい愛着があったのだろう。でももちが人なつこい性格の猫で里親が見つかりやすいはずだから、やはりしっかり向き合って面倒を見てくれる家族に送り出してあげようと決めたという。彼女は保護団体と連携してたくさんの猫の面倒を家で見ているから、個体の出入りする回転がめまぐるしく、どうしてもケアを分散させざるを得ない。Aさんは動物への愛情からこうした役割を引き受けているのだが、いわゆる普通のペットとの長いタームでの一対一の絆は、彼女には得難いものでもある。それをわたしも知っていたので、今回のことで非難されるのを危惧していたというよりは、Aさんを悲しい気持ちにさせたくなかった。

Aさんに猫を逃がしてしまったことを申し訳ないと伝えると「自分を責める必要はないですよ、お手伝いしますから、今日はもちが暖かいお家で眠れるように必ず見つけましょう!」と言ってくれて、さっそく保護団体つながりでいろんな人へ連絡を取ってくれた。捕獲用のケージを手配したり、猫の保護のエキスパートみたいな人たちに取り次いでくれたりして、逐一メッセンジャーでやりとりをした。こうして2回目の夜の路上の張り込みはいろんな人からのヘルプを得ながら始めることができたので、心身ともに疲れていた中、とても心強かった。

遠いフランスから妙なDMを送ってきた知らない人がいて、内容も「はあ?」という感じだったのだが、すでにわたしは上記の人たちと具体策を練りDMをバンバン送り合っていた最中だったので、その意味不明なDMには適当にお礼を言って放っておいたが、今振り返るとご祈祷系のサギだったようだ。他の迷い猫のポストを見ていると、こういったサギ師はDMだけではなくスレッドに書きこんでくるケースもあるようだった。弱みにつけこんで金を取ろうとする輩はどこにでも現れるというのに呆れる。

18時半を回る頃、もちがひょいっと現れた。その姿を見て頭の中でドーパミンが炸裂するようだった。生きてた…しかも弱った様子もない。うれしくなって思わず帰宅途中のだんなに電話すると、感激のあまり彼は運転しながらフグゥと変な声を出してむせび泣いていた。その道中、だんなは捕獲用のでかいケージを借りてきて、アドバイスされたように猫缶だけでなくツナ缶だのサバ缶だのサーディン缶だの、猫が引き寄せられるような匂いのするものをしこたまセットし、上等のまたたびもまき散らして、もちが現れるのをひたすら待ち続けた。

そのケージを貸してくれた保護猫エキスパートの人によると、逃げた自分の猫に近寄ってさらに逃げられる飼い主というのはめずらしくないらしい。猫はいつもと違う環境の中でサバイバルモードに入って興奮状態になってしまうから、飼い主を認識しないということはよくあるようだ。人が戦場に行って性格が変わったようになってしまうのと似ているのかもしれない。だんなはそれを聞いて、もちは俺のことを嫌いになったわけじゃないんだな、といくらか安心していたようだった。

ケージを仕掛けたのはおそらく20時すぎで、しばらくだんながひとりで見張りをしていた。いろんな猫を追い払い、ようやくもちが現れてケージに入りかけては後ずさりして逃げる、というのを何度も繰り返していたが、22時くらいにだんなが寒さと尿意と我慢の限界になり交代を頼まれた。缶詰の類が凍ってしまっていて匂いが立たなくなるので、新しいものと交換したりしながらひたすらもちを待つ。その夜も前日同様に寒かった。-12℃。今日は本当に家に連れて帰らなければならない。なにがなんでも絶対に…と思いながら車内からケージを凝視していた。

23時過ぎ、だんなからなぜかビデオ通話が入る。こっからが本番なのになんだよと思いながら出ると「もうやめて帰ってこい」とのたまう。何言ってんのまだ捕まえてないよ、と言いかけたが、画面に猫が映った。

はい?

なんともちが家に帰ってきていた。

え、ええーっ、何どういうこと?! 嬉しいのだがそれより訳が分からず混乱する。もちは自分で戻ってきたのではなく、近所の人が連れてきてくれたのだという。その家のカーポートのわずかな照明のあたたかさを求めてすみっこにうずくまっていたもちを、その人がたばこを吸いに外に出た時に見つけ、わたしたちの家に届けてくれたのだった。もちは抵抗なく抱き上げられ、寒さにぶるぶる震えていたという。その人は、わたしが昨日いちばん最初に話しかけたポメラニアンを飼っている喫煙者のおばさんだった。

安堵が押し寄せ、脱力すると同時に「わたしらが昨日からガッツリ見張っていたあの猫はもちではなかった」というなんとも愚鈍なオチがついた。もちにそっくりなその猫は、すんごい元気でピンピンしていて、寒さに震えてなどいなくて、何度も罠にかかりそうになりながらも捕まらない狡猾さがあった。30時間ものあいだ、わたしたちはてんで的外れな方向を必死に追いかけにらみつけていたのだ。なんということだ。そうしている横で、見つけられなかった本物のもちは確実に弱っていっていたのだから。間に合って生きて帰ってきたからかろうじて笑えるようなものの、実際のところまったく冗談にならないお話ではある。

だからふたりの男性に「うちの猫に似てるなあ」と言われたのはまさに事実で、この界隈にはもちに似ているやつが本当にいるのだ。顔の形や模様の感じなど、わたしたちはあれが自分たちの猫だと信じ切っていた。常に暗がりの中をすばしっこく動き、首輪も付けていないハチワレの猫を、遠くから眺めるだけでしっかり個体識別するのは、思っていたよりずっと難しいことなのだろう。もちの体の特徴をもっと把握しておくべきだった。

ケージを車の後部座席に積み込んで家に帰ると、疲れ切った様子のもちが寝そべっていた。ああよかった。おかえり、おかえり。やわらかくあたたかい猫のからだに触れながら、生きて帰ってきたことに心から感謝した。Aさんをはじめ、サポートしてくれた保護猫エキスパートのみなさんにもちの無事を報告すると、みんな喜んでくれた。もちは肉球のいくつかに霜焼けができていて、しばらくの間お腹がゆるかったが、それも数日のうちに良くなった。Facebookのポストには見つかりましたと追記をし、近所に貼りまくったビラを全てはがした。発見者のおばさんには、だんなが花束とワインを持ってお礼に行きましたとさ。めでたしめでたし。

教訓としては、自分の猫の模様とかしっぽの特徴は「これだ」という決め手になるものじゃなきゃならねえ、遠くから見ても分かるくらいなるたけ細部までよおく覚えとけ、特定するには思い込みじゃなくて写真と実物を比べる必要もあるかも分かんねえな、猫は初めての家出でそんな遠くまで行かねえよ、インターネットでさがすのも悪かねえが結局は現場のネットワークしか勝たん…というあたりか。夏になるとおそらくまた外に出たがるであろうから、それまでに何らかの対策は練っておかねばならないなと思った。もう迷子にならんでくれ。


猫がいなかった2日間は音楽どころではなかったが、見つかってから少ししたらまた聴きたい欲が出てくるようになった。

Wisdom Teethの新しいコンピ、ドラムンベース色が濃くていい。女子高生だったころは帰宅がてら町田駅で途中下車して、R&Sのドラムンベースのコンピを聴きながらデパ地下を練り歩くのが大好きだった。あのごった返すデパ地下の雰囲気と食欲というストレートなエネルギーのBGMにバシッとはまっていた気がする。大学に入ってからはドラムンベースのイベントに通った時期もあった。このコンピはそんな時のことを思い出させてくれるけど、懐古的ではない。K-LONEってけっこういろんなジャンルの曲をリリースしていて、作風が幅広いのに今さらながら驚くが、どれもちゃんとK-LONEらしい感じがするから不思議だ。こういうのって音楽の何をもってそういうふうに聞こえているのかなあと思う。わたしは音楽の何を聴いているんだろうな。

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Laura Grovesの去年リリースのアルバム「Radio Red」がすごくよくて好きだったのだけど、まさかSadeのAndrew Haleと組むとは思わなかった。彼女の声って、少女のような可憐さと成熟した感情の機微の同居がすごく魅力的で、その声がいかにもクワイエット・ストームなひんやりしたバックトラックに乗せられると、妙に人間の生きている熱みたいなものが静かに引き立てられてきて、それがまたいい。

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4月リリースのアルバムからの先行シングル2曲、どちらもいいけど特に「Closer」が好きで、なんとも切ない気持ちになる。静かであたたかく、何かがにじんでとろっとこぼれる。もの寂しくてかすかに痛いのだけど、いつまでもそれを感じていたい。水面は波立たなくても胸の奥深くではあふれそうになっている。ここにはいない大切な人のことを考える時、こういう音楽が聞こえてきている。

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Speedometer.は90年代の終わりから00年代の初期に「...Or Not.」と「Private」をけっこう聴きこんでいた。中学の頃からNHKラジオの気象通報をたまに聞きたくなることがあったのだが(当時はヘクトパスカルじゃなくてミリバールだった)、あの淡々とした天気の読み上げがブレイクビーツに乗せられた「Wake Up Afternoon」は、こんな曲作ってくれる人が世の中にいたのか、と、何とも言えない気持ちになった。午後にまどろんでいるとラジオから4時ごろの気象通報が聞こえてくる時のあの感覚が、まるで写真に撮られるように音像で切り取られていて、聴くたびによみがえってくる。
彼はいくつか名義を持っていたがしばらく活動が止まっていて、2020年に「DARK, TROPICAL」で戻ってきた時は静かに興奮したし、作品のサウンドスケープの緻密さに唸った。その次の年のEPも胸を打つものがあったなあ。去年にこの「Afterglow」をリリースしていたのはつい最近知ったが、やはり音が喚起する空気感がとてもよい。昔の作風にさらに深みが加わっているように感じる。まあ、もういい大人だから自然なことかもしれないが。90年代から音楽をやってきた人たちが、今も創作していてその作品が贔屓目なしに実際に良いものであることって、やっぱりなんかうれしい。
最近の旧Twitterの書き込みで、先日Speedmeter.がRoni Sizeの前座をやったというのを見た。長いこと生きてると、こういうエエコトもあるもんですね、と書いておられたが、他人事ながらほんとよかったし納得の人選だと思う。つうか前売り券3000円てすごい安くて驚愕。どういう会場だったのか知らないのだけど、外タレだしあのRoni Sizeだし、こんな安く見られるってなんだか信じられない。

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外タレと言えば、4月1日にJeff Millsが戸川純とやるという一日だけのライブ、見に行ける人すごくうらやましい。あまり人をうらやまない性格なのだが、これは包み隠さずうらやんでしまう。一体どんなライブになるんだろう…仕方ないのでわたしはこれを聴きながら我慢するしかありませんな。

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