地域住民の「主体的な参加」とは(2)
大型類人猿の「住民参加型保全」のあり方について、私自身が経験から学んだことのうち、一番たいせつなのは参加の意思決定を住民に委ねることだと前回記事で述べました。
このことは、とてもあたりまえのことに思われますが、それをきちんと述べたものはあまり(ほとんど)見たことがありません。当たり前すぎて言わないだけなのかもしれませんが、これをきちんと言わないために、しばしば、現場では真逆のことが行われます。
今回は少し遊び心を出してみます。ChatGPTさんに「アフリカ大型類人猿の保全における住民参加型保全のあり方は?」と尋ねてみました。以下が回答です。
みごとな「模範解答」です。こんなレポートが出てきたら高評価ですね。実は私は近々発刊されるとある事典で「住民参加型保全」の項目を執筆していますが(出版社より案内が出たら書名等を公表します)、このようなことを書きました。
しかし、この回答には重大な欠落があります。これらのことをやるのは誰か、という、保全活動の主体が書かれていないのです。そして、ニュアンスを読み取る限りでは、その主体は住民ではなく、外部からやってきて「住民参加型保全をやるぞ」と言う人たちのようです。
それでは、まるっきりだめなんです。
こうしたアプローチが有効なのは、これらを住民が行う時に限ってです。1)コミュニティメンバーが、他の住民の参加を促し、教育やトレーニングプログラムを企画する。2)住民自身が保全と両立する生計手段を考案する。3)住民が保護区を自主管理する。4)住民自らの文化や在来知を保全計画に組み込む努力をする。
これならば、きっとうまくいくでしょう。しかし、実際に現場で横行しているのは、そうではありません。まず、外から——多くの場合多額の援助・投資金をひっさげて——やってきた保全団体や政府機関が「これから住民参加型保全を行う、参加するよね」と上から説明し、形だけの「住民の合意」をとりつけます。そして、その合意を住民参加の証として、かれらが用意したトレーニングプログラムを受講させ、修了証をもらった者を優先的に雇用して差別化を図り、自分たちに対して従順な者をコミュニティ代表として保護区の運営会議のメンバーにして形だけの発言をさせ、とってつけたような伝統文化のイベントを行う。ここまであしざまに言うとちょっとひどすぎますが、まあ、こんな感じのことが多いです。これでは、住民参加型ではなく、住民従属型保全です。
難しいのは、だからといって「住民参加型保全」に取り組もうとしている外部の人(私も含めて)がみなこのように軽薄で不誠実ではないということです。だから、住民従属型に陥っている活動をただ非難しても仕方がありません。現実が理想的でないことを嘆くのではなく、どうすれば本当に住民の主体的な参加が得られるかを考えてゆく必要があります。
とはいうものの、そうした議論を重ねていくなかで、同じ価値観を共有していると思っていた人に対して「ああ、この人は最終的には住民を導きたいのであって、住民と一緒にやりたいわけではないのだな」と実感してしまうことがあります。そういうときは、ほんとうにがっくりきます。
住民参加型保全については、あと一回で区切りをつけます。
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