アメリカでの出会い~ドクター編2~
オミクロン株大暴れ中でですが、皆様、体調や気持ちはどんよりしてないでしょうか?このよくわからない状況、時代も貴重な経験と捉えて、もう少し耐え抜きましょう。
では本題に。
今日は僕とドクターが二人で何に取り組んだか?
この事について書こうと思います。
この時、僕は全てが上手くいかず、何をしても自分自身、理解も納得もできない状況でした。
そんな中でドクターに練習場に呼び出され「9時に来い」と言われていたので僕は8時に練習場へ行きバッティング練習をしながらドクターを待ちました。するとそこへ来たドクターが呆れた様にバッティングマシンの電源を引き抜きました。
「何をしてるんだ?誰も打っておけとは言ってないだろ?そんな練習してどうする?私がここに来たのはこんな事をさせるためじゃない。」
そういって僕からバットを取り上げ、なんとも無残にロッカーへ僕のバットを放り投げました。
「よし。これでいい。座ってゆっくり話そう。」
とコーヒーをくれ、二人で椅子に腰を掛けドクターの話を聞きました。
日本のプロ野球でプレーするアメリカ人を見るために日本に来た事がある事。日本人メジャーリーガーの面白い話。息子や孫たちの事。
野球の技術やビジョントレーニングの事ではなく、本当にただの世間話の様な事ばかりでした。この時、僕は初めて会った時の事を思い出し「まさか」と思っていました。このまま終わるぞと。(笑)
するとドクターはファイルの様な物を取り出し机の上に置いたので、やっと本題だなと。よし。と思い野球のモードに入ろうとしたのですが、そのファイルは写真のアルバムでした。(笑)
さすがの僕もこの時はもう笑うしかありませんでした。ただそのアルバムはドクターがビジョントレーニングと共に歩んできた何よりの証拠でした。
「もうビジョントレーニングをやり始めて50年以上だよ。」と、そこには戦闘機の前で笑顔で写真を撮るドクターとパイロットの方の古い写真がありました。ビジョントレーニングはこのパイロットの為に作り出したんだよと。ドクターは感慨深そうに教えてくれました。
そこから僕はそのアルバムの説明を食い入るように聞きました。
パイロットからアスリートへ。ドクターもこんな事になるとは思ってもみなかったと言ってました。
多種多様なアスリート達が写る写真はどこかの博物館にあっても多くの人が手に取り見るようなすごいものでした。
「オリンピック金メダリスト」「メジャーリーグホームラン王、ワールドチャンピオン」「賞金王のプロゴルファー」
ありがたい事に全員が私の元にビジョントレーニングがしたいと来てくれたんだよ。
お前も初めて会った時「どうしていいかわからない。」そう言ってたね?私の所に来た選手は全員そう言っていたんだよ。それがどういう意味か分かる?
そう問われた僕は答えがわからなかったのですが、ドクターは僕の目を見て
「絶対にこの状況から抜け出せるって事。抜け出せるように力を貸すから。次のレベルに向かうために悩むことは普通の事で、次のレベルに行けない選手は自分の課題も弱点にも気づけない選手だから。そうゆう選手もたくさん見てきたけど、お前は違う。できる。やろう。」
この一通りの会話の中で僕は「やれる。やろう。」強い決心が固まりました。
野球とは全く関係ない話をしていたはずなのに僕は気づけば野球への気持ちを新たにしてもらっていました。
僕はアメリカでコーチ、指導者とはその競技の技術だけを教える事がコーチではないと学びました。「選手が何をしたいか」「何を求めているか」上げればきりのない要素を見抜き選手と向き合うことが「良いコーチ」なのではないのかなと思っています。
気持ちを新たにと言いますか、切り替えてと言いますか…ぼんやりしている言葉ではありますが、それがどれほど大切な事なのか、ここから僕は学びました。
もやもやした気持ちから再び強い気持ちを持ったことで僕の気持ちも調子も上向いていくことになります。
僕の練習にビジョントレーニングが加わり。と言いますか…僕をサポートしてくれる人の中にドクターが加わってくれた事がものすごく大きかったです。
練習してはドクターの病院、トレーニング施設に行き、「ビジョントレーニング」「目」への理解を深めていきました。
ビジョントレーニングに関してはより専門的に詳しく書きたいと思っているのでまた出来次第アップします!
練習の中でドクターは僕に、お前は打てるんだから「どうやって打つか」ではなく「どの球を打つか」に考えを変えなさいと言われ。「打つ」事より「見る」事を大切にし日々のトレーニングに取り組みました。
少し具体的な練習方法を書きます。
バッティング練習中にストライクゾーンを打つ事は当たり前なのですが、そのストライクゾーンの中でもさらにコースを限定し、インサイドに決めているのであれば、たとえアウトサイドにストライクボールが来ても見逃す。絶対にインサイドのボールしか打ち返さないなど。コースを自分自身に理解させる練習に取り組んでいました。
もちろん真ん中、外と同じ練習をします。最終的にはストライクゾーンを9分割するところまで行いました。
守備でもまず「捕球」ではなくまず打球を「見る」意識を強く持ちました。
「見る」ことがしっかり意識して行えるようになった頃に、全てのプレーに対して余裕が生まれていることに気づきました。余裕が生まれたことにより他の事への準備ができる。それが僕のプレーをよりよくしてくれた要因だと僕は考えています。
練習が楽しくなり、新たな事を習得する余裕も生まれ、レギュラーを確保し、打順を上げ、チームからプレーに要望を出されるようになるまで信頼を得ていました。
シーズンが終わるころにはリーグ選抜に選ばれ遠征に行き、若手の秋季キャンプに呼ばれ、シーズンスタートとは信じがたいほど成長できたシーズンになっていました。
確実に僕の「目」は新たな武器になっていたのだと思います。
その成長と結果を間近で見てくれていたドクターも喜んでくれると思っていたのですがドクターに言われた言葉は
「こうなるとは思っていた。初めて会った時、本当に悔しくて、くるしかったんだろ?私が会って見てきた選手達の中でもお前ほど必死に取り組んで自分を変えようとしてくれた選手は思い出せるだけでも50年で数人しかいない。私は結果が出たことよりも、お前が私のビジョントレーニングにあんなにも取り組んでくれた事が私の誇りだよ。」
なんて人だと。僕には仏様にしか見えませんでした(笑)アメリカでは何人かの仏に出会ってます。(笑)
あの時、ドクターに出会ってなければ僕はあのまま野球を投げ出していたかもしれないし嫌いになっていたかもしれません。僕は野球を通してほんとに多くの人に応援してもらい、そして助けられてきました。
そんな色々な出会いや出来事が今、僕がドクターのビジョントレーニングを日本に持ち帰り展開を始めた大きな理由になります。
この次に僕のドクターへの思い。ドクターの作り出したビジョントレーニングへの思いを次で書いてドクター編は終わろうと思います。ドクターへの思いはありすぎて上手くまとまるかはわかりませんが…
お付き合いしていただき、みなさんにこんなドクターがいたんだ。と知ってもらえたらうれしいです。
では。
Y&T Athletics K.Y
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?