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365日後、多くは期待できないけれど。

寝坊をした。Longchampの鞄にお弁当とジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」を突っ込んで、口紅を塗らずにマスクをして、Spotifyでマカロニえんぴつを聞きながら、急いで会社に向かう。

早歩きで東京駅を歩いて、冬なのに汗だくになりながら、始業時間の2分前にデスクに着いた。あやうく、遅刻するところだった。

こんな仕事をしていていいのだろうか、と思いながら、書類の形式面を確認したり、データを入力したり、頭よりも手を動かすような仕事をして。色んな人の配属やら異動ニュースを小耳に挟んで、それを噂して。それなりに忙しかったはずなのに、会社にいた8時間を思い返すと、ぽっかり空いた空洞のような、それでも心はしっかり疲れてて。でも最後にだいすきな先輩と40分近くくだらない話をして。それは楽しかった。

今日は何をnoteに書こうかと思いながら、帰り道、東京駅のカフェでiPhoneで今これを書いている。帰ったら、工事を終えた新しいお風呂が待っている。

そんな今日を、わたしの人生で特に思い入れのない2020年11月26日の一日を、一年後のわたしはどう感じるんだろうか。プラスの感情か、マイナスの感情か、どちらだろうか。

・・・

#1年後の私へ というお題に、書いてみようかなとnoteを開いたものの、しばらく何も思いつかなかった。

昔から、将来の夢を描くのが苦手だった。想像の範囲が、自分の身の回りから超えることがなくて、幼稚園の頃の夢は幼稚園の先生だったし、それからの夢はめぼしい物を覚えていない。

だからか、わたしは未来の自分に漠然と期待はしているけれど、1年という間にどんな変化があるか(起こって欲しいか)を考えたときに、どうしても現実的に考えて「それは望んでもきっと無理なんだろうな」と思ってしまう節があった。

たしかに、この一年、わたしは今の自分を脱したいと、色んなものに投資をした。オンラインサロン、webデザインなどのスキルを身につけるスクール、ヨガのスクール…どれも、中途半端だった。熱意があって申し込んでも実際は続ききれない自分がいた。

また、この一年、二度自己流で挑んだ転職志望の会社が叶わなかった。手当たり次第に受けるのではなく、じっくり考えて本当に好きだと、行きたい、この一員になりたいと思った会社だったから、かなり落ち込んだ。もちろん今考えればたくさんの不足点が見つかるけれど、なんとなく今の状況を脱するのは想像以上に大変だと学んでいた。

色んなものが叶わなかったこの一年を振り返った上で、一年後、365日後という具体的な日数が目の前にあると、どこかとびきりの期待をかけられない自分がいた。

・・・

それでも、こうは捉えられないだろうか。わたしはこの一年挑んだ。挑んで、ダメだったんだ。今の位置に安住することなく、自分の中の違和感に目を向け、前に進もうとした。それは想像よりずっと難しい道だった、それだけだ。そう、自分の心の奥に潜むポジティブモンスターが囁く。

何度も「わたしはどこで間違えてしまったんだろう」と今の自分の立ち位置を見て思うことがあるけれど、この道を歩まなければ出会えなかった人も、モノも、想いもたくさんあって、それらに出会えなかった人生は、それはそれで嫌だな、と思ったりする。だからなんてことない今日も、それはそれなりに受け入れられているんだ。

これからの1年365日、多くは期待できないし、こんなはずじゃなかったと思うことも、敵わないと嘆くこともたくさんあると思うけれど、それでも、そんな道の上にも気付きや出会いがたくさんあるんだと、それらがわたしの人生を面白くするんだと信じたい。

だから、楽観的に、チャーミングに、ゆるく、生きててほしい。きっと、受けた傷は、いつかのわたしの指針になって、新たな出会いはわたしを支えるクッションになる。だからどうか、枠にはまらず、エゴに、自分の違和感を無視せず、強く、優しく、在れたらと願う。

今の私では想像できない挑戦を、傷を、出会いを、受けた来年の自分に会えることを楽しみに思うよ。がんばれ、わたし。

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