見出し画像

治療と薬と生活。

何ヶ月ぶりかの更新になった。

この数ヶ月、治験に参加してカウンセリングを受けたり、薬が増えたり減ったり、体重も増加の一途を辿っている。

カウンセリングにも回数という限度があり、来年からカウンセリングだけ大学病院で受けることになった。

受けること自体に抵抗感はないが、これによって罪悪感や嫌悪感を思い出して生活が荒れてしまうのではないかと心配している。

人と話す時はなんとも思わなかったことも家に帰り寝る前に今日一日の出来事を振り返ると悲しい気持ちでいっぱいになる。

これは薬を飲んだりリフレッシュすることでは解決しない。
タバコを吸って気を紛らわしまた元の生活に戻れるまで辛抱するしかない。

「なんでこうなっちゃったんだろう。私の生きている意味は?もういつ死んでもいいや。」

私がいつも考えることはこれの繰り返し。

勝手に生まれたのなら、勝手に死ぬことも許して欲しいと思うほどドン底な気持ちになる。

幸い、ここ数ヶ月、リストカットはしなくなった。
だがタバコの本数が依存症の人と同じ。
ついに依存症の人の自助グループへの参加まで勧められた。

なにをやっても病気扱い、というか病気。

「普通」を追い求めていた今まではなんだったのか、「普通」とはなんなのか、「普通」な人はいないのではないか。

またこれを繰り返し考えて悩む日々だ。

今月28歳になった。
23歳に発症してからもう5年も経つ。
この5年間、自分は何を変えられただろうか。

多分、「何も変われてない」が正解だ。

23歳の時、初めて心療内科に行った時、苦しいのは数年で良くなると期待していた。でも23年間培ってきた記憶はそうそう無くなってはくれない。いい思い出も悪い思い出も。

なんなら悪化の一途を辿っているので当てもなくただただ生かされている。

私の人生ってなんなんだろう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?