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僕にマッサージしている彼の娘が鬼に囲まれて不登校になった話

僕は月に1回、マッサージに行きます。

普段から毎日くらいの勢いで筋トレをしていて、自他ともに認める丁寧な暮らしを実践している意識高い系男子なのですが、やっぱり身体のメンテナンスというのは必要です。
※オススメのマッサージ屋さんはカラダファクトリー
※カラダファクトリーのアプローチは付け焼き刃ではなくソリューション

という事で、よくマッサージに行くんですけど、僕の185cm、105kgの巨大な体躯。マッサージ台に横たわると、

「あなたはだぁれ?」的な感じで、
メイちゃんと初めてエンカウントしたトトロのような存在感。僕はトトロではないよ。それでも圧倒的な安心感。

そんなオーラが滲み出ているのか。僕がお客さんであること関係なしにマッサージ師の相談に乗ることが多いんですね。
※逆にね
※普通、逆だと思うんですけど

今回担当いただいたマッサージ師の方。
50代の小太りな小さいおじさん。IT系で営業をされていたいたそうなのですが、なんやかんや嫌になって現職についているんだそう。

ふ〜ん、と話を聞いていると、
「私には小学校高学年になる娘が居てね、不登校なんですよ」と。

ほうほう。なんだか話が突然、ギュン!って重くなったな。
おじさんの指圧にも力がこもるのを背中越しに感じる。
※脱サラの話も重いけどね

そんな不登校な娘さんがハマっているのが、『約束のネバーランド』と『すとぷり』なんですって。

なるほど。完全にコチラ側ですね。と、オタク歴20年の僕は察する訳です。
ああ〜もう完全にコッチ側の人間に一直線だな〜
なんて思って話を聞いていると。

もうそれはそれはとんでもないハマりようで、
学校に行かず、ずっとコンテンツを消費し続けていると。
アニメ・マンガ、そしてYouTube。YouTubeなんかは無限に観ているそうです。

約ネバなんかはマンガ全巻読み切って、ミュージカルまで観に行って、それはもう大層にめちゃめちゃハマっていると。

おじさんは、続ける。
「それでね、娘にね。なんでそんなにハマってるのか聞いたんですよ」

たしかに、それは気になる。
コンテンツ業界の端くれに佇む僕としては、小学校高学年女子が、一体どういう理由で約ネバにハマるのか、すごい気になる。

おじさんに頭をギュッギュッと押されながら意識も朦朧になりながら、話を聞く僕。
※バリバリ、マッサージ中です

「どうやらね。彼女からすると、約ネバに出てくる鬼は、大人達で。グレイスフィールドの外は、社会なんですって。」

聞いた瞬間、僕の筋肉は強張った。

ああ。たしかにそうだ。
そういう解釈もできるのか。と。

家の外の社会は、意味不明で荒唐無稽で理不尽なルールに縛られている。
社会に出ている僕達からすれば当たり前のような事も
彼女にとって残虐な世界で。
自分を取って食うかのようにルールを押し付けてくる大人達は鬼に見えていると。
※一応、僕はプロの編集者でもあります
※子供の感性の豊かさには気づきをもらえる

少し悲しくなった。
でも、わかる。その気持ち。

お父さんとしては不安だと思う
でもちょっと安心してほしい。完全にこっちルートなだけだと思った。

うちの妻はニコニコ動画で育ち、今でも同人関連の友達とキャッキャしているし。
僕も小中とガンダムに激ハマりして死ぬほどガンプラを作った挙げ句、ヒロインと無人島で愛を育みたかった青春を過ごしたし、自分がニュータイプだって信じたい子供でした。運命に逆らってエゴを貫きたい人生でした。
※高校に入ってハルヒ激ハマりして僕の人生は決まりました
※大人はツラいよ

でも引き続き話を聞いていると、
僕が子供の頃とちょっと様子が違っていて…

コンテンツに対する愛情表現って色々あると思うんですけど、
妻だったら同人描いてますし、僕はガンプラ作ったりGジェネやったりしてました。が、
そういうのお父さんが勧めると「わたしにはオリジナリティがないから」って言うんですって。

これが、僕としては1番ショックでした。

本来、人が物事に対して愛情を表現するのに、
オリジナリティや優劣は必要ないはずなんですよね。

なのに、見栄えを気にする。なぜなのか?

考えてみました。

いまってグローバル化が進んで、本当に見えなくても良いところまで丸見えな世界になってる。ゲームをやっても1位からビリまでランキングが出せるようになってきました。

僕が小学生の頃、スマブラが流行っていたんですけど、街で一番強いやつは尊敬されていましたが、いまだとオンラインでランキングが見えるので、そういった感じではない。友達に攻略方法を聞くのではなく、配信者から学ぶ時代。

みんなが小さいコミュニティごとに、何かしら自尊心を育めたところから。グローバル化がその境界を溶かしていった。

クラスで一番の◯◯も、街で一番の××も。
そんなもの、なにもかも意味がなくなってきている。
小学生の頃から才能なんて言葉に縛られている。

そして、
自分の自尊心を保つ「何か」がなくなり、全てに無気力になる。

すごい、わかる。

そんな中で必要なことって一体なんだろう?
僕は「偏愛」だろうなって思うんです。

好きだから、やりたいから、だからこそやるってのが必要。
でもこの物事を愛することってスゴい難しいし、行動の原動力になるくらい愛情が生まれることってのも、少ない。

だからこそ、自分の心が動く、一瞬の機微を見逃さずに、自分に正直に生きたい。

そして、僕や僕の仲間達が夢中になってやっている。
やりたいからやっている創作活動で、誰かの偏愛を生むことができるのであれば、それは立派な社会貢献だなぁと感じました。

あとがき

ここまで読んでいただいてありがとうございます!
こちらの記事は僕の運営しているオンラインサロンで投稿した内容をリメイクしたものになります。興味のある方はコチラの記事からどうぞ👇

今回はエッセイみたいな内容でしたが、普段は細かいノウハウや、5秒でエンゲージメントするコンテンツ制作の詳しい情報などもサロン内で言及したりしております。

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それでは、また!

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