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【にほんご日誌(23/3/9)】日本語教師が知らない「生活者のための」日本語

オンラインで日本語の個人レッスンをしている。

そのひとりに、Mさんという中国人の女性がいる。東京近郊に住み日本の企業で仕事をしているMさんは、この4月から関西に転居し、大学院に通うことになっている。

現在は彼氏と同居中だが、当面はひとり暮らしをし、彼が転居してくるのを待つ予定だという。

Mさんは日本で初めての引っ越しを控えて、とてもワクワクしている。その気持ちはこちらにも伝わるので、私もレッスンをしていて未知の世界に飛び立つような緊張感と楽しさがある。

レッスンの教材は、Mさんが「先生といっしょに読みたいです」と言って用意した、初めて一人暮らしをする若者向けに編集された本だ。

たとえば、Mさんに本を音読してもらいながら、登場する調理器具の名前やその使い方を解説する。

先日のレッスンでは、Mさんは「ラップ」が何を指すのかわからなかった。

私は驚きながらも、その意味を“wrap”を持ち出しながら説明した。もちろん毎日料理をしているのだからラップを使わないわけがない。Mさんはすぐに理解し「あれはラップというんですね!」と驚いたように言った。そして、「日本で生きていて、ラップの名前を知らなかったなんて」とおかしそうにケラケラ笑っていた。


昨日のレッスンでは「どんぶり」という言葉が出てきた。

「どんぶり……?」と不思議そうな表情を浮かべるMさんに、「どんぶり」の画像を検索してシェアした。そして、どんぶりはうどんやそば、ラーメンなどの麺類の器であるとともに、かつ丼や天丼、牛丼など、丼物と言われる料理のカテゴリーを表すということを話した。

Mさんはなるほどという表情を浮かべながら少しずつ理解してくれたが、それでも不思議そうな顔をしている。

一方で私の方こそ、名前を知ることなく、Mさんが日本で3年間も仕事をし家庭生活を営んできたことに、不思議な気持ちがしていた。多分、名前を意識することなく購入したり、名前を知らないままに日々それを使っていることは、私が想像するよりもはるかに多いのだろう。

しかし、ラップやどんぶりのような生活に密着した言葉は、外国から日本にやってきた人たちは(性別を問わず)どうやって教えられ、身につけるのだろう? 

私たち日本人には当たり前すぎて、教えるべき語彙リストに入れることすら忘れている言葉が、じつは数多くあるのではないだろうか。名前を知らなくても買い物ができる今の社会では、それは死角のように忘れられたことなのに違いない。

Mさんはレッスンの最後に「こういう言葉がわかると、日本の文化がもっと身近なものになりそうですね」としみじみと言った。

まさに。

多文化共生のために大切なのは、お客様をおもてなしすることなどでないのだ。

Mさんがラップやどんぶりを知らなかったのはMさんの不勉強のせいではなく、外国人をいまだお客様だったり、排除すべきマイノリティと考えている日本人のせいに違いない。3年遅れで覗いた日本文化は、Mさんにはどのように見えただろうか。


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