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お金を頂く、ということ。

▼誤解を恐れずに申せば「お金はもらって当然」だと考えている。

▼しかし、そこには、「価値を提供したら」と前書きが付くことが前提条件だ。
私にとっての「価値」は提供できる「仕事」だ。

▼ぼくは20代のころ、システムエンジニアをしていた。
その時に、「お金はもらって当然」と考えていた。
しかし、前書きはついていなかった。
朝、会社に行き…定時に帰る。
夏なんかひどいもので、汗が引くまで午前中はほぼ何にもせず…
午後はランチを平らげたら、うとうと昼寝状態…そして、定時で帰る。
進捗なんか遅れて当然、品質も悪い。
でも、会社に行っているんだから、お金はもらって当然。

・・・。
穴があったら入りたいと言うが…今でも思い出すたびに赤面する。

▼時は流れ、舞台演出をしつつ、フリーのエンジニアや、企業向けライター、音響制作などをするようになって、件の前書きを強く意識し始めた。

何時間、働こうが、難しい案件だろうが…納期を守れなければ、もちろんお金にならないし…いい加減な仕事をすれば、次の仕事なんか来ない。

それを「信用」というかもしれないが…
私はすこし違った捉え方をしている。

▼もちろん、仕事を頂くのはある種の契約で…その契約を守れるかどうかは「信用」されるかどうかだと思っている。

まったくの新規の仕事の場合は、最初から書いたり、作ったりするが…
たまに、新規の案件であっても…自分が過去に「書き溜めたもの」や「創ったもの」を利用し、納品することがある。
別に法にふれるわけでもないし、お客様に「作った過程」など関係ない。

新規の仕事と「再」利用の仕事が同じ労力がかかっているか、と言われれば…
仕事を受けた時点から納品までとしたら、同じではない。過去の作成期間を考えれば同じかもしれない。

仕事の成果物の品質が同じであれば、同じ価値だとは私も思う。が。
その仕事をする際に「ま、いっか、前と同じで」という気持ちが少しでもあったら…「信用」に値するのか、と考えてしまう。

▼また、納期を過ぎてしまったという場合だ。
もちろん、納期は守るのは当たり前だ。
しかし、納期を過ぎた時に…ユーザビリティを高くするためや、読みやすくするため、聞きやすくするために時間がかかってしまうというのは「信用」に値するのではないかと考えている。

▼だからといって、常に納期は守らない、となれば…やはり仕事はこなくなるだろう。

▼仕事の「価値」というのは色々な見方によって変わってくると思っている。
しかしながら、お客様が求めるものは、「仕事の結果」であることには変わりない。
その仕事の結果をご覧になり、お客様が「価値がある」とご判断されえば、「対価」としてお金をもらうことができると思っている。
そして、その評価が私自身の価値を高めてくださるとも感じている。

▼仕事の結果を出すためにはやはり、工夫も必要だ。
どんな仕事にも、労力、時間、手間がかかっている。そして、気持ちがこめないと…価値はないと考えている。

▼もちろん、価値がなければ、お金をもらわない、ということではない。
労働に対する対価は必ず必要だ、と考えている。

▼と同時に、どんな仕事でも「価値」はあるはずだ、と感じている。
この記事でも書いたが…たとえ無償でも、どんな仕事にも敬意を持たなければならないと考えている。

▼私がこうした「価値」ということを思い出す時に…祖父と父の事を考える。
祖父は他界し、父は引退しているが、襖職人・掛け軸職人だった。
大経師・表具師だった。

当時お店に来ていたお客様からは「腕の良い職人さん」と言われていた。
もちろん、お世辞にもあったかもしれないが…
二人の作る襖はとても美しく、機能的にも、使いやすかった。

当然と言われれば当然かもしれないが…
父が店を閉め引退した時は、信じられないくらいのお客様が引退を惜しんでくれたし、引退して5年ほど経つが…未だに連絡をくれる方もいらっしゃる。

▼私が今、活動している中で・・・
私が求めている仕事の価値というのは・・・「仕事」そのものに対してもそうだが…求められる「腕」を磨いていくことだとも思っている。

私の今の仕事が…父の仕事と同じように多くの人に求められ、そして、いつまでも必要とされるようになっていきたい。

「お金をもらって当然」と胸をはって言いつづけられる価値を磨いていくつもりだ。



舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!