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穏やかに

ぼくは人の心の中には誰しも獣と言いますか、化け物が住んでいると感じています。

それはぼくらの生活に悪影響を及ぼすこともあれば、不思議な力を発揮させることもあると考えています。

▼人の心の中に

よく漫画などで―――登場人物がお財布を拾ったりして心の中の天使と悪魔が登場人物の判断に影響を及ぼす描写がある時があります。

『いいじゃねーか、誰も見ていないんだからこのままネコババしちまえよ』と悪魔がささやけば・・・
『ダメ!誰が見ていなくても、このお財布を落として困っている人もいるんだよ、警察に届けないと!』
と天使が言います。

この両者の言い分を聞いて登場人物が行動を決めて行くことで物語が進む・・・というものを目にすることがあります。

ここまではっきりと『自分の中』で”悪”と”正義”が戦う事は―――少なくともぼくには―――あまりありませんが、それでも、心の中には獣、悪魔、化け物・・・表現は様々ですが、そういったモノが住んでいると思っています。

▼心の中の化け物

そういう心の中の化け物は・・・知らず知らずのうちにぼく自身の心を狭め、窮屈な考え方にしてしまうことが多いのです。
『ああ、この仕事がダメだったのは〇〇のせいだ』とか
『うまくいかないのは、〇〇さんが邪魔しているせいだ』とか
『いじわるしちまえ』とか
『むかつくから、もう何にもやらねーよ』とか・・・

こういうことを感じる時に、どこかで「止める」事ができれば良いのですが、そうではない時は―――経験上、もっともっと悪い方向に物事は進んでしまっている時があります。

また、ここまではっきりした『悪』でなくても・・・
『いいところを見せてやろう』とか
『これが出来たら、周りの人は俺を崇めるだろう』とか
『モテたい』
なんていうのも…ぼくはこの心の中の化け物が活躍している時だと考えています。

▼化け物が動く時

この心の中の”化け物”が動く時、たいてい、前兆なんかありません。
急に動き出し、止められなくなることが多くあります。
もちろん、止められる時もあります。

化け物が動き出し、どうにも止められない時には・・・きまって悪い結果になるような気がしてなりません。

また、やっかいなことにこの化け物が動く事を事前に察知したり、止められる事は・・・ぼくにはなかなかできません。

しかしながら…この化け物が動いたとしても『悪い事』にならない事もあります。

▼化け物を統べる

心の中の化け物が動いたとしても…『悪い事』にならない時。
それは、その化け物をコントロール出来ている時はたいてい『悪い事』になりにくいと感じています。

例えば先ほど申しました、
『いいところを見せてやろう』
『これが出来たら、周りの人は俺を崇めるだろう』
『モテたい』
と言った気持ち、心の中の化け物が囁く言葉は仕事をしていく上では特に必要な要素であるとも考えています。

お芝居を創っている時などもそうですが…こうした思いがなければ、新しい事を取り入れる事がなかなかできなかったり、より美しく、かっこよく、かわいく、きれいに、情熱的に、見ていただこうという気持ちが働かなくなるのではないでしょうか。

言わば、こうした化け物が動いた時、ぼくの行動の動機、原動力になることも確かにあるのです。

ただ、この化け物というのがやっかいで・・・
そのまま化け物の言う通りに動いてしまうと…やっぱり悪い方の結果になってしまうことが多いと感じます。
しかし、この化け物をコントロールすることができると…悪い事が減っていくように感じています。

仕事でもなんでもそうですが…
『いいところを見せてやろう』と化け物が囁いた時に、何でもかんでも自分が目立つように行動していれば…他の人が”やりづらい”と感じるかもしれませんし、かといって、他人の事ばかり考えていたら・・・自分の力が発揮できなくなります。

この化け物をコントロールする、ということは、化け物の行動を抑え込むのではなく、心の中の化け物が動いた時にこそ、自分の目、耳、鼻、肌の感覚をフル動員させ、色々な情報を取り入れる事で制御できていくのではないか、と考えています。

▼感覚を使って

自分の目、耳、鼻、肌の感覚を使うということは別に特別な事をする、というわけではありません。
自分の目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻でかいだもの、肌に感じたもの…これを化け物に渡してやる事で、統べる事ができるのではないか、と思っています。

つまり、ぼくが『いいところをみせてやる』と思ってやり始めた事で、他の人がやりづらそうにしていないか、自分のやっている成果・行動を確認できているか、自分の目の前で繰り広げられていることが目的に沿っているか…などなどそうした事を確認する事が心の中の化け物をコントロールすることだと考えています。

きっと、コントロール出来ていない時というのは・・・
こうした見る事、聞くこと、感じる事―――自分の感覚が働かず、心の中の化け物に情報が届いていない時だと考えています。

▼熱くなると・・・

ぼくは物事に熱中し始めるとこの、『心の中の化け物』のコントロールができない時が多いのです。

つまり、心の中の化け物が動き出した時に、目は開いているし、耳にも何か入ってくる…しかし、心の中の化け物はおろか、心にもその光景も、音も、感覚も届いていない時が多いのです。

しかし反面、コントロール出来る時があります。
それは大抵、『平穏』な時です。
化け物の動きが動機となって、行動し始め、気持ちもどんどん熱くなってきても―――平穏、まるで何も変わったことが起きていないような時はだいたい、感覚は生きています。

このぼくの性格では非常に難しい事ですが…
熱い心になったとしても、同時に平穏な心も持ち合わせていないといけませんし、平穏な心だけでは大きなパワーは産み出せません。

この二つの心を持つことが、いつ動くかわからない『心の中の化け物』を統べる唯一無二の方法だと考えています。

▼二つの心を持つには

ぼくは別に医者でもありませんし、専門家でもありません。
ですので、まったく同時に心の中に二つの感情が存在できるのかわかりませんし、実際にしていたとしても、それをどのような方法で維持するかはわかりません。

ただ、やっぱり、まったくの同時か、少しの時差があるかはわかりませんが、この「熱い心」と「平穏な心」は存在していると思うのです。

この二つのバランスが崩れると・・・心の中の化け物が暴れだしてしまい、ぼくにとって悪い結果になることがほとんどであります。

今、新型コロナウィルスによるコロナ禍にあって、ぼくはこの『心の中の化け物』が暴れ出す事が多いな、と感じています。

以前、うちの劇団員の松井も言っていましたが、
「新型コロナウィルスは身体だけでなく、心まで蝕んでいってしまうのではないかという恐怖もあります」
という思いにはぼくは非常に共感を得ました。

今、少なからず、不安や恐怖がコロナ禍によって増幅されている事はあると思います。
しかしながら。
こうした時期だからこそ。平穏に努めて穏やかに過ごしていく事で、この二つの心のバランスが保てるのではないかと感じています。

新型コロナウィルスに身体が罹患しないように努める事はもちろん、心まで侵食されることのないように。

いつ動き出すか分からない心の中の化け物を無理に止めるわけではなく、穏やかな心を持つことで統べていけるようにこれからも努めて行きます。

舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!