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みらいはどっちだ。

安倍晋三総理が辞意を表明された。
先週金曜日、28日の事だ。土日を挟んで朝からテレビや新聞も色々と伝えている。

ぼくはどちらかというと右寄りの思想の持ち主だ。
安倍首相は支持していたが、安倍首相がしてきたこと総てを諸手を挙げて受け入れていたわけではない。
是々非々でモノを考えていたつもりだ。

ただ、安倍首相の辞意表明の記者会見を見て、悔しい気持ちというか無念だったろうなと感じる場面が多かった。
拉致問題、ロシアとの平和条約締結、憲法改正。
どれも道半ばにして・・・自分の身体のことで辞任してしまうことについてはとても悔しい気持ちがあると感じる。

病気に好きでなる人間はいない。
誰でも健康であり、自分の仕事、暮らし、生きる事に懸命に取り組む。
しかし、病気がそれを阻む事がある。
それは誰にでもありえることだ。そんな時、向き合っていたものに真剣であればあるほど、悔しいと感じるのではないだろうか。

8年近く職責を務められた首相であれば尚更ではないだろうか。
不肖ぼくも健康や、天候、天災で自分の思うような事ができなくなってしまったら、悔しい気持ちでいっぱいになる。

辞意を表明した安倍首相に対して「また投げだした」とか「安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」とか「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」とかいろいろ言う人がいる。
言い返して来ない相手に何を言ってもいいとでも思っているのか、ぼくから見れば酷い言い草だ。
世の中は面白いもので、安倍首相に向けたであろう言葉であっても、安倍首相を支持している人、支持はしていなくても実績を認めている人が過敏に反応する。ぼくのように。

それもそのはずだ。
安倍首相は日本国の総理大臣だ。それは選挙という正当な手続きで選ばれた議員を通じて、選出されたのだから。
選挙で自民党候補に投票した人、そうでなくても安倍首相の手腕を評価している人は良い気持ちはしない。

どっかの議員や大学教授だかしらないが、感想を持つのはもちろん自由だが、それを世の中の多くの人間の目に触れるところに出す以上、少なからず「自分とは違う意見」の人からどう見えるかということを気にしないのだろうか。
また安倍首相を応援している人を貶めている事に気付いていないのだろうか。

意見や感想を持つのは自由だ。
それを思ったから、表明したから罰せられるということはない。
しかし、反論や批判はあることは承知していなければならないし、自分が批判した相手と違う人間からの批判もあるかもしれないというのは当然ではないだろうか。

この記事のタイトル「みらいはどっちだ」というのは・・・安倍首相の辞意を受けて次のリーダーを決める際にぼくが気にしている、大切に思っている事を書こうと思う。

それは「盲目にならない」ということだ。
例えばテレビを見れば、「〇〇さんが良い」とか「××さんはダメだ」とかやっている。新聞も各社独自の論調を出している。
ネットも右左色々な意見が出ている。

しかし、これらはぼくの意見や感想ではなく、他人の意見・感想の集合体だ。

よく、世論調査の結果というのが新聞やテレビで流れる事がある。
「大多数の人はこう思っていますよ」と言うような内容だ。
しかし、ぼくはこれを参考にはするけれども、これで自分の意見を変えたりはしない。

何故ならば、世論調査は各社の質問の仕方、集計の仕方で結果が変わってくるからだ。
きっとぼくなんかよりも余程あたまの良い人が質問を考えているんだろけれども、それでも・・・ぼくがもし調査に協力して答えたとしても・・・ぼく自身の意見がそのまま反映されているとは思えないからだ。

つまり、声の大きいメディアや発言力がある人の言説がぼくにとって正しいか、一番良いかなんてことはわからないからだ。
もちろん、そういう場合もあるし、そうでない時もある。

世論や民意というのはぼくたちの意見や考えだ。
誰に左右されるわけでもない。
ましてやメディアや政党に決められるものではない。
盲目にならないということは、こうしたメディアやネットの情報に流されないようにしようということなのだ。

ぼくと意見が似ている、いわゆる保守派の論客の中でも「安倍首相は完璧ではなかった」と発言していたが・・・これこそおかしいことを言うな、とも思っている。
その人の経済的視点などはとっても参考になるし、言っている事に「なるほど」と思う事はよくあるが・・・世の中に完璧な人間などいるのだろうか。もちろんこれは誹謗でも中傷でもないし、貶めているわけではない。
しかし、「完璧ではなかった」という言葉を聞くと、「首相に完璧を求めていたのか、この人は。」という思いと共に、どこか正解のあるゲームやクイズをやっているのかな、とも思ってしまう。

また、よく一括りに「日本人のメンタリティーは大丈夫か」などと云う人もいるが、ものすごく怪しいものだ。
少なくとも、その人に限らず、他の人に「日本人の」と定義されることは非常に嫌な気分がする。

こうした発言はTwitterやYoutubeのフォロワー・登録者が2万人以上いる、拡散力が強いと言われる人々だ。
しかし、フォロワーや登録者が多いからと言って、その人を支持している人ばかりではないだろうし、仮に支持していたとしても、常にその人たちが正解を言っているとは限らない。

ぼくたちのみらいはぼくたちが決める。
メディアや発言力のでかい人がみらいをきめるのではないし、ぼくの意見をきめるのでもない。
はたまた人気やその時の感情できめるものでもない。

盲目にならないこと。
自分でできる範囲の情報をあつめて、たとえそれが結果、間違いであったとしても・・・他人がこう言っているからという理由ではなく、自分自身で意見を持ち、考え、国政選挙などには投票を行うようにしたい。

安倍首相の後継は誰になるかわからない。
ただ、ぼくの意見と近い人がなろうが遠い人がなろうが、今までと同様是々非々で意見をもちたい。
〇〇さんになったから、安心ね、ということや完璧だ、ということはないと考えている。

ぼくは盲目にならない。
みらいはぼく自身で考えたい。

最後に。
安倍晋三総理、長い間お疲れ様でございました。
まだ少しお勤めがあると思います。また非常に悔しい思いをされていると思います。今はお身体を治すことに専念され、また再チャレンジをしてほしいと思います。
総理のポストというのは手段だと考えています。安倍首相がまたやりたい政策を議員として実現していってもらえればと思います。
長い間、ありがとうございました!




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