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美しいものを見た時に。

こんなぼくでも。
美しいものを見る事があります。
そして、美しいものを『美しい』と感じる心があります。

▼嫌な事も……

今日、買い物の帰りに桜を見ました。
近くの公園に咲いていました。

ぼくは美しいものを見ると、さっきまで悩んでいた事、苦しんでいた事、くさくさと考えていた事が晴れるような気がしています。

美しい風景。
美しい絵画。
美しい文章。
そして、美しい人。

ぼくの目から入ったものが美しいと脳が感じた時に、さっきまであった、暗く、混沌としたものはどこかに吹き飛んで行くのです。
無条件に空っぽになれるのです。
そして、空っぽになった心に綺麗な水が満たされていく感覚を覚えます。

▼美しい音も良い香りも

美しい風景や景色だけではなく、美しい音を聞いたり、良い香りを嗅いだり、(ぼくにとって)肌触りの良いものに触れたりすると……やはり、ぼくの頭の中にそれまであった暗く立ち込めた闇は消えていきます。

ただ。
同じ音を聞いたり、同じ風景を見たとしても……必ずそうなるわけではありませんし、同じような匂いを嗅いだとしても、気持ちが切り替わることもあればそうでないこともあります。

それは慣れの為なのか思えば、そうでないようにも感じます。
毎日同じ”美しい”音楽を聞けば、悩みは霧が消えるようになり、やる気に満ち溢れる事もありますし、同じ音を聞いていても……ある日、プツッっと何にも影響されなくなることもあったりします。

▼何かに触れる大切さ

おそらく、その時その時の心の在り処といいますか、感じ方で気持ちが晴れたり、切替わったりするのだと思います。
しかしながら、やっぱり『美しい』何かに触れることは非常に大切な事なんだな、と今日改めて感じました。

ぼくがとっても尊敬する美しい人が居ます。
その人の物腰、喋り方、笑顔はとても美しいですし、考え方も美しいと感じる人です。
その人に会っただけでやはり、それまでの気持ちが大きく変わります。

また、名前も知らない人に心奪われることもあります。
ぼくが単に美人好きということでありません。

例えば、スーパーマーケットで「こんにちは」とスタッフの方に元気よく挨拶されたら、やはり「美しいなぁ」と感じますし、打合せなどで入った喫茶店などで自分の耳に心地よい「美しい声」が聞こえてくると、やっぱり心の中が真っさらな綺麗な水で満たせるような感じがします。

こうした日常にある『美しいもの』に触れることっていうのは生きていく中でとても大切なんだなぁと思っています。

▼生で触れること

今は技術が発達して、綺麗な風景も美しい動きも画像や動画といった映像、音声を電子的に好きな時に好きなだけで観たり聞いたりすることができます。

しかしながら。
やっぱり風景にしても、人にしても、音にしても、触覚、匂いに関しても。
目の前で、自分と同じ空間、自分とおなじ空気に触れている場合、心の動きは何十倍にも変わるのではないでしょうか。

トップ画像は今日、ぼくが見た桜です。
今はSNSが隆盛ですから、色々な方の投稿で”桜”の写真を見る事が出来ます。
しかしながら、やっぱり、生で見た空気、その時の音、その時の匂い……空気感というものは残念ながら画では知ることはできません。

そう考えますと……冒頭申しました、『心の中の闇が晴れる』のは生で見たり聞いたり、嗅いだり、触れたりすることで得られることなのかなぁ~とも思っています。

▼コロナ禍で

コロナ禍でなかなか会えない仲間や友人が何人もいます。
その人たちを会えたら、『美しい』と思えることはたくさんあるはずです。
そして、今、ぼくが抱えている悩みや暗い気持ちもたちまち晴れることでしょう。

今、辛抱をしている時ではあります。
出来る事はしっかりとして、このコロナ禍をもうこれで終わらせる、日本国民の多くが、いや、世界中の人がこのコロナ禍に『うんざり』もしつつ、”終わらせる”為に前を向いていると思います。

そうした中でも、今でも。
ふとした時に『美しいもの』に出会い、『美しいもの』を感じる時はきっとあると思うのです。

▼目をつむったり、耳をふさいだり

ぼくは下を向いて歩く癖があります。
最近は努めて胸をはって歩くようにしています。
そうすると、普段歩きなれている道なのに……その時、その時で風景が変わって見えるような気がしています。

もちろん、大きく変わっているわけではありません。
ごくごく小さい変化ですし、他の考え事をしていたらきっと見逃すような小さい変化です。

しかし、今日、公園の桜を見た時に、
「あゝ、もっと目を開いて、耳をすまさないと」
と強く思いました。

ぼくは幸せなことに、目も見えますし、耳も聞こえます。匂いも嗅げます。
ただ。
風景や人に触れたり会っても――物理的に見えたり、聞こえたりしていても――耳を塞ぎ、目を瞑ってしまっていることが多いんだろうなぁと、改めて感じました。

それは、ぼくの中の固定観念だったり、「どうせ何もないだろう」という思い込みが……物理的に入ってくる情報を――なんと勿体無いことに、捨てている、心まで届かせていないんではないか、と思ったのです。

▼まだまだたくさんの

きっと世の中にはまだまだ、見ていない聞いていない触れていない美しいものがたくさんあるのでしょう。

こんなハゲでもね。
美しいものを美しいと感じる心はあると今日わかりました。

だからこそ。
心を乾かすことのないように。
心に綺麗な美しい水を満たせるように。

出かける前
帰ってきた時

美しいものを美しいと思う気持ちを大切に、また明日からも目を開き、耳をすまし、色々なものに。美しいものに触れていきます。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!