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高校生が松本人志の著書「遺書」を読んでみた感想&個人的な考察

去年の12月末頃から今年の1月上旬頃まで、世間は松本人志の性加害問題のことで持ち切りだった。Twitterを開いても、ニュースサイトを開いても、松本人志のことで埋め尽くされていた。私はそれをよく覚えている。その時から、今まで全くと言っていいほど興味を持てなかった松本人志のこと、お笑いのことについて興味が出てきた。

そして最近、遂に彼の代表的な著書である「遺書」をメルカリで購入した。「遺書」は今からちょうど30年前の1994年に発行された本で、なんと250万部も売り上げ1995年の単行本年間売上で1位に輝いた。そのくらい当時から絶大な影響力を持っていたのだ。芸能という流行り廃りが激しい世界の人物ながら、ここまで長い期間日本社会に大きな影響を与え続けたのは本当に凄いとしか言いようがない。今回はそんな「遺書」をレビューしていこうと思う。

【構成と文体】

どうやら遺書は1993年から1995年にかけて、週刊朝日に自身のエッセイとして載せた文を単行本化したものらしい。なのでひたすら自身の考えや意見を書き連ねるというタイプの本ではなく、全体で60個ほどの章があり、その章のお題ごとに自分が思ったことを書いていくというタイプのものだった。

ただ決して安い仕事ではなかったらしく、数時間かけて考えて書いて、おまけに挿絵(なのでお題の下の方にちょっとだけ可愛らしいイラストがある。)まで自分で描き、それで5万ぽっきり。既に巨万の富を築き上げていた彼に取っては時間の無駄でしかないような仕事だったらしい。しかしダウンタウンのファンの年齢層が広がる(どうやら当時の週刊朝日は読者の殆どがおっさんだったらしい。)というメリットに気がついたのと、そうした層の読者から届く感想文は普段届くような「うっすいうっすいファンレター」とは違いちゃんとした意見が多かったことなどからエッセイを書き続けることを選んだそうだ。

そして文体だが、尊大かつ不遜で、酷く横柄なものだった。また英語圏だとFワードと呼ばれるような罵詈雑言や直球の下ネタが普通に書いてあり、思わずびっくりしてしまった。中には名指しで他人を強い言葉で批判するようなものもあり、特に藤本義一に関しては笑いに携わるのはやめろと書いてあるほどだ。良く言えば松本節全開、悪く言えば下品極まりないものだった。また括弧を使った補足、セルフツッコミがやけに多く、最初こそ読みづれぇ…と思ったが、途中からこれは「ダウンタウンの松本人志」だからこその文体なんだと思った。

遺書内でも何度も述べられている相方浜田のことだが、そこでは「誰の誕生日も覚えないオレだが、浜田の誕生日だけはなぜか覚えてしまっている。」、「あいつ(浜田)のことはだれよりも知っている。」、などが書いてあり浜田への愛が伺える。漫才師という職業は2人が対等な立場で力を合わせて行うという稀有な仕事をするためか、やはり浜田は松本にとって単なる相方ではなく一般人が想像するのもできない領域の人間なのだろう。もしかしたら1人でエッセイを書いている間も、松本の心の中では常に浜田がいて、彼が松本に対しツッコんでいるのかなぁ、などと思ったりした。

【お笑い】

松本人志はお笑いの天才だ。これは誰の目にも明らかだと思う。彼は現在のお笑いの流れはおろか、ルールすら作ってしまっている。彼が作ったレールの上を今のお笑い芸人たちは疑うことなく走っているのだ。ここでは松本人志の才能についてあまり深掘りしないが、とりあえず松本人志という人間はお笑いという分野においては稀代の天才なのだ。

そして自身が不羈の才を持つことを松本ははっきりと自覚しており、なんと週刊朝日に載せた最初のエッセイ(遺書でいう最初の章)で「ダウンタウンは、ほんとうにすごい二人なのである。」、「とくに松本は今世紀最大の天才で、おそらくこの男を、笑いで抜くコメディアンは出てこないであろう。ハッハッハッ。」と書いてしまうほどだ。基本謙遜が美徳とされる日本社会で何故このような本が250万部も売れたのか信じられないほどだ。

また笑いが「わかる」、笑いの「センスがある」、というダウンタウンが生み出した笑いの格差を象徴するようなことが幾つも書かれていた。「センスとオツムがない奴にオレの笑いは理解できない。」、「レベルの高い笑いがわかる人間の絶対数はかなり少ない。」、「(視聴者の皆さんは)おもしろいこととおもしろくないことを区別できない重病人なのです。」などが特に印象的だった。

一方でお笑いにかける気持ちは非常に強いことも伺えた。例えば「ダウンタウンのごっつええ感じ」という当時放送されていた一時間番組を一本撮るのに、なんと丸二日かかっていたそうだ。撮り終わってもすぐに帰るわけではなく三、四時間、来週の打ち合わせをそこまでやらんでもというくらいして、帰る時にはショートコントの台本の束を六十本ほど貰い、家で更にチェック、三本くらいに絞り、四本ほど新たに考え、計七本を現場でさらに練る…という気が遠くなるような仕事をやっていたそうだ。他にも当時「ダウンタウンのごっつええ感じ」以外にも四本の番組を持っていたらしいが、全て自身が携わり、時間を惜しみなく掛けて作っていたそうだ。凄まじい笑いに対する情熱が伺える。そんな松本は自身のことを「笑いに魂を売った男」と表現しており、まるで自身は笑いのみによって構成されてると言わんばかりだ。しかも中には「"笑い"を取られたオレは、何をするか分からんど!」という今でいう無敵の人を連想されるような一文もあり、如何に彼が笑いに掛ける情熱が凄まじかったかがわかる。

また漫才はいかにアドリブっぽく見せれるかという部分が大切だと遺書内で述べていたのも、恐らく自身の持つ生来の才能から来るプライドが理由なのだろう。彼は笑いの基本を意外性だとしており、作られた笑い、形式化された笑いを嫌っていた。そのためギャグ(流行語)も大キライだと言い切っていた。去年松本のことを明確に批判しかなり炎上したオリラジの中田敦彦だが、リズムネタで瞬く間にのし上がった彼が松本に嫌われるのも、ある意味既に定まっていたことなのだろう。

またダウンタウン(当時はダウンタウンというコンビ名前ではなかったそうだが)がテレビに初出演した際、司会を務めていた横山やすしに「そんなもん漫才やない!」、「チンピラの立ち話じゃ!」と酷く罵倒されたことに対し「あの時やっさんを殴っておけばよかった。」と書いているのも印象に残っている。松本は「もともと漫才というのは、そんなに難しいものではないのだ。」という持論を持っており、舞台の上で二人が面白い話をするだけで良い、そこに「漫才とは〜」のようなわけの分からんこだわりは必要ないと述べていた。
流石笑いの天才というべきだろう。松本はM-1の審査員を約20年も続けているが、視聴者側から価値観のズレなどを指摘され降ろされることがないく続けられているのも、松本には形式的な笑いにこだわらない独自の「笑いの基準」があるからなのだろう。

【生い立ち】

遺書には松本人志の生い立ちについても詳しく書かれていた。どうやら松本はかなり貧しい家に生まれたらしく、その家は床が抜けていて、欲しいものも満足に与えられず、自室もなかった。そんな環境下で20歳まで過ごしたらしい。そのためか彼の中で「貧しい環境で幼少期を過ごしたこと」が一つのアイデンティティになっていることが伺えた。遺書内で述べられていた「おもしろいやつの三大条件」の一つに「家が貧乏」であることを挙げているのもそのためだろう。この一見するとこの不自然なアイデンティティはHIPHOPとかによく見られる「ストリート育ち(底辺)からの成り上がり」みたいな感じと言うべきなのだろうか。

話は変わるが少し前にこのような動画を見た。

https://youtu.be/LqRVSVS1Ifc?si=ePoMWXwoD3kbMPVQ

この動画の趣旨を簡単に説明すると、日本で今一つHIPHOPが流行らないのはお笑い(特にダウンタウンの松本人志)が、海外ではHIPHOPが提供している価値観を現代の日本社会で担っているからではないか、というものだ。最初に見た時はかなり納得したが、遺書を読んでからそれがより確信に近づいた気がする。確かに床も抜けていて自室もない環境から「笑い」に魂を捧げ「笑い」一本で芸能界の頂点まで成り上がった松本人志の人生は、HIPHOPで良く表現されている「ストリート育ちからの成り上がり」と酷似している。無理矢理な考察なのは承知の上だが、割と日本社会を考える上で松本人志という1人の人間の生い立ちを知るというのは重要なのかもしれない

そして漫才ブームの時の紳助・竜介に感銘を受けて浜田と共に芸能界に入ったこと、そして全くの無名時代には既に紳助に解散を決意させるほど実力があったこと(勿論島田に全ての面で勝ったとは思ってないそう)、関西で一躍時の人となってから関東へ決死の覚悟で漫才を披露しに行く中で「大阪の芸人は2回売れないといけない」という有名な言葉を残したこと、などなど若き頃から既に天才として相応しい才能、実績があったことが伺える。


【性格と価値観】

遺書には当然松本人志の価値観(あれは好きこれは嫌い等)や自身の性格についても書かれていたのだが、読んでいく上でかなり印象が変わった。私は松本人志のあのギラついた目に生理的な恐怖を覚える陰キャなので今まで松本人志のことは陽キャヤンキーだと思っていたのだが、どうも松本人志はあまり陽キャっぽくない人なのだ。

幼稚園から小学生にかけて、彼はいじめられることが多かったらしい。幼稚園のときのプールの時間、自分の水鉄砲を取られても、ただ泣いてるだけで、先生に泣いている理由を尋ねられても答えられないほど気の弱い子供であったこと。小学校に上がってもそれは変わらず、男友達などまったくいなくて、女の子とばかり遊んでいたこと、そしてそれは今でもあまり変わっていないこと、などが書かれていた。先述した「面白いやつの三大条件」の一つに「クライ奴」を挙げているのもそのためなのかもしれない。本当の彼は、今でいう陰キャなのだ。

ただ内気な少年松本人志にも転機が訪れた。どうやら松本の父はチケットが手に入る仕事をしていたらしく、吉本直営のうめだ花月(演芸場)の招待券を職場で貰ってくるようになり、家族で通い始めたのだ。これがきっかけで松本はお笑いというものに興味を持ち始めた。何度も通っていくうちに、子供ながらに笑いの感覚というものがわかってきたそうだ。

そうして学校でもネタを披露するようになり、ポツリ、ポツリとギャグをかますようになった。松本曰く関西は面白い奴は尊敬されるという土地柄らしく、いつしか誰も松本のことをイジメ無くなっていき、遂には松本の周りにクラスメイトが自ら集まってくるようになっていった。家は貧乏で、勉強も苦手で、後述するようにスポーツも苦手だった松本を助けてくれたのは「笑い」だったのだ。松本の笑いによる成り上がりは少年時代から既に始まっていたのだろう。

そしてもう一つ、印象に残ったのはスポーツについてだ。松本はどうやらスポーツが苦手だったようだ。そのためか、遺書のp57でかなり印象的なことが書かれていた。

「この松本様があえて問う。サッカーがなんじゃい!」

著名人の中でサッカー嫌いの人はほぼいないと思う。少なくとも「嫌い」とはっきり断言している人は初めて見た。サッカー、というか団体スポーツは集団社会の象徴だ。その集団社会の象徴を好きになれない、不快感を覚えてしまうのも彼の根暗な部分が見えるのではないだろうか。また飛躍しすぎかもしれないが、これが松本の性加害問題の問題点にもなるのかもしれない。明確な上下関係に由る権力の支配しかできなかった、プライベートで集団と共存することができなかったんじゃないかと思うのだ。ただまだ裁判の判決が出てない中あれこれ言うのも間違ってるので、ちゃんと判決が出たらまた改めて述べようと思う。

一方彼は遺書でその道の「一流」や「プロ」を絶賛していた。先程述べた通り彼自身才能や家柄に恵まれなかったものの、その状況を逆転できたのは笑いのプロになれたからだ。その後も笑い一筋で登り詰め、遺書が発売された翌年には芸能人の長者番付で1位を叩き出すほどになった。

何度も述べたよう彼は笑いに魂を売った笑いの「プロ」であり、プロの偉大さは身を染みて感じていたのかもしれない。彼はそれを一点豪華主義と呼び、他はともかくそれに対して一流であることは何よりもカッコイイと述べていた。
余談だがその章では番組を14本持ってたと言うとある芸能人を酷く批判しており、また「スポーツ万能なやつ」も一流、プロから外れた者として批判していた。ここでスポーツを例えに出すのも松本らしいと言える。

他には悪口についても書かれていた。最後の方で何やら自分は悪口を言っていないという詭弁を展開していたが、遺書の3分の1くらいは悪口で構成されている。松本は悪口が大好きらしい。あとがたりでは悪口を書いている時はエッセイを書くスピードがいつもより速いことが明言されている。逆に褒めた章(おっとこまえの芸能人を紹介するというもの)は書くのに3、4時間はかかったことを明かしている。相当褒めるのが苦手なのだろう。実際ダウンタウンが何か誉めているところ、あまり見たことがない気がする。(私だけなのかな?)褒めるより貶す方が得意というのは、やはり彼の根暗な部分が出てるというか、冷笑の松本人志だなぁと思う次第である。その辺は私と同じだ。

一方で人情味のあるエピソードもあった。松本が東京に来たばかりで、まだ東京では無名に近い全然売れていなかった頃、その日の松本はタクシーに乗ろうとするも乗車拒否が続き中々タクシーを捕まえられずにいた。そんな中やっと載せてくれたおっちゃんは、特に松本に話しかけることなく黙々とタクシーを走らせ、しばらくすると目的地に着いて松本が代金を払おうとすると「お金はいいです」と言われ、松本がためらって代金を支払おうとすると「それよりも、絶対天下を取ってくださいよ」という思わぬ応援の言葉を貰いおっちゃんは走り去ってしまったこと、そしてその時に素直に一言「ありがとう」が言えなかったことを今でも後悔しているというものだった。エッセイを書いていた当時の松本はまさに絶頂期、山ほど人が寄ってくる毎日を過ごしていたと思う。そんな中でも忘れがちな最初期に貰った暖かい言葉をずっと忘れずに覚えていることは好感が持てた。


【まとめ】

まあここまで色々書いてきたが、とにかく私の中で松本人志という人間に対する印象は大きく変わった。私はZ世代のクソガキなので、漫才をやってた若き頃のダウンタウンを全く知らなかった。しかし松本は共々恵まれた境遇ではなかったこと、それが笑いという才能を開花させてから大きく変わったこと、浜田との出会いと島田紳助に憧れたことから芸能界に入ったこと、上からの圧力に負けることなく若者(現在の氷河期世代)から絶大な支持が得られるようになったこと、そしてその背景には突き詰めた笑いの才能があること、などがよくわかった。

また「笑いというのは、だれかを傷つけて成り立っていることが多い」という、笑いの本質は攻撃であることを既に見抜いていたのも非常に感心した。彼はまごうことなき天才だし、その才能で一気に成り上がり若者から絶大な支持を得て、著書は合計で500万部近く売れて…なんて凄いとしか言いようがない。

ところであとがたりのところで、いや本文でも度々言及されていたことがある。それは所謂老害についてだ。「ぼくがおっさんになって、いい批評を受けるころには、本当はもうそんなに面白くない」、「笑いに関してだけは、おっさんに仕切ってほしくない」、「結局、批評するのはおっさんですよね」、etc…まるで30年後の自分を予言しているかのようだ。また松本は自分より笑いにおいて優れた人材が出てきたらあの時の島田紳助のように素直に負けを認めると述べていたが、現状松本が作ったルールが芸能界の全て、基本のレールとなっており負けを認めさせるような人材が初めから出てこないような状況にしちゃっているのもなんともなぁ…と思ってしまった。結局そうした若い世代の批評をするのも松本人志なわけで、実はもうそんなに面白くないおっさんが若い世代を自分が使ったレールの上で走らせている、という、遺書内では避けたいと述べていたことが現実になってしまっていたことが少し皮肉を感じた。

まあ松本が作ったルールが現状、笑いに関しては1番優れているし、面白いことをしようとすると結局松本人志のやっていたことに行き着くので仕方ない気もする。稀代の天才故の過ち…なのかもしれない。

あとは「オレのようなコメディアンにとって、家族というものは百害あって一利なしなのではないだろうか。」と述べておきながら結局結婚しているし子供もいるし、それでいて今回のような事件を起こしているなど、やはり色々矛盾が見られる。人は変わると言えばそれまでなのかも
しれないが、個人的には気になってしまった。

あとは引退についてだ。彼は「形態を変えてまで芸能界に残りたくない」、「遺書」という題名にしたのも「やっぱり寿命は短いと思う」かららしい。現状ほぼ引退状態の松本だが、かつて綴った数々の文を鑑みるにやはり復帰はしないのだろう。仮に松本が引退するのなら、日本の芸能界の次のトップは一体誰なのだろうか。いや、個人主義、ホワイト社会にに邁進している今の時代にもうダウンタウンのような人材は現れないのかなぁ…とか、色々考えた。まあそんなことは私の個人的な考察の域を出ないのでどうでもよくて、私が言いたいのは、松本人志が30年前に書いた遺書という本は、30年たった今だからこそ思うことが色々ある名著だということだ。ちなみに私は1時間弱で読み切れたので皆さんも是非メルカリ等で買ってみてはいかがだろうか。


最後まで私の駄文を読んで頂き、ありがとうございました!!!!

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