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ウィーン1ヶ月生活


1.ウィーン,Wien,Vienna

ウィーン「芸術と音楽の都」
ウィーンを英語でVienna(ヴィエンナ)というのを、ここに来るまで知らなかった😅

戦争の被害をあまり受けなかったこの都市には歴史的な建造物がたくさん残っており、とてつもなく大きな建物や彫刻に圧巻させられた。


そして、白を基調とした建物が多く立ち並び、その至る所に自然の緑が彩られ、都市と自然が調和した見事に美しい街並みだった。


まあ、とにかくウィーンはめっちゃ綺麗。なおかつ大きい。
ケルンより全然ゴミとかも落ちてないし(日本よりは落ちてる)、ケルンより公共交通機関も充実していて、全然時間通りにくる(日本よりは遅れがち)。
でも、人はケルンの人たちの方が親切な感じはしたかも。
ウィーンの人たちの方が距離置いて接してくれる感じ。
まあ要するに、イメージとしてはウィーンは日本とケルンの中間って感じ。

一生住むなら日本かケルンって言われたら自分的には日本だけど、日本かウィーンかって言われたら迷うくらいウィーンは生活面においても不便なかった。
ただ物価はちょっと高かったな。


2.最初の1週間

6月14日夕方ウィーンの空港に到着して、そこに代理人が迎えにきてくれて、2人で色々今後のことなど話しながら電車で家に向かった。
 家は代理人と事前に話していて、代理人が用意していてくれたところにそのまま入れさせてもらった。
そこの大家さんは中国人のおじちゃんだったけど、めちゃくちゃいい人で親切で、日本人にすごい信頼を置いていた。彼らはめちゃくちゃ綺麗だって。笑
 そこで家の説明を受けて家賃等を払って、そのあとはすでにスーパーとかも閉まってて、買い物に行けなかったから近くのアジアレストラン的なとこでBENTO BOXてあった安めの焼きそばみたいのを買って家で食べた。

 そして、一つ目のチーム(3部下位)の練習参加が月曜からあったからそれまでは自分で身体動かしたり、代理人とその選手たちとかで3、4人でトレーニングしたりして調節した。

 その週末は、4部リーグの最終節があって、その時点で一位のチームがウィーンの近くにあったから、「優勝かかったラストマッチ観に行こう」と、代理人さんに誘われて観に行った。
 そしたらその代理人の選手がその一位のチームでプレーしてて、他の日本人の選手たちやウィーン住みの親御さんなども応援に駆けつけていた。

試合前、観客席はすでにいっぱい
笛が鳴ってみんながピッチに駆け込む

 結果は4ー1で代理人の選手がいるチームの勝利!
4部優勝をホームで飾って、みんなで祝っていた。

 そのあとたまたま日本人会みたいな、ウィーンで日本人のサッカーやってる人たちがBBQをやるということで、誰も知らないウィーンに来たばかりの自分もお邪魔させてもらった。
カップルや夫婦、お子さんもいたりして、趣味でサッカーやってるおじさんや同じ留学会社の若い選手たちもいて、多分合計で20人くらいいたと思う。
色々話聞けたり、話しかけてもらったりして、素敵な繋がりだなと思った。
この日本人会バーベキューは毎年やっているそう。

最初の頃はウィーンが綺麗で便利で、環境良くて、ここに住み続けられるのかとウキウキで楽しみでしかなかった。


3. トライアウト

 3ー1. 最初の練習参加

 月曜の予定だったんだけど、火曜に変更になった最初の練習参加は、電車で一時間半かかるめっちゃ遠いチームだったのに、代理人ともう1人の選手が観に来てくれた。
 終わったあと、電車に遅れると次が一時間後ということで走って駅まで行って、なんとか間に合って電車に乗って、その中でその練習のフィードバックを受けた。
自分的にはまあまあで良くも悪くもないって感じだったんだけど、そこで代理人から厳しいことを言われた。
全然ダメ。切り替え遅いし、声出してない。ベースの部分でまずレベルが低すぎる。よしくんの武器が全くわからなかった。」
「なにより今日の練習参加で気持ちや覚悟が見れなかったのが残念。」

だいぶダメ出しくらってビビったけど、たしかに自分の考えが甘かった。
サッカー人生の賭けに来ているのに、なんとなくうまくできればいいかという感覚でやってしまっていた。
その帰りの電車で、代理人から今回の自分のプレーを見て、予定していた3部上位のチームの練習参加には連れていけないと言われた。
 しかし、すでに予定されていたのもあり、自分はそこが大きなチャンスと考えていたため、自分がオーストリアに挑戦にきた理由やこれまでの自分、今の課題など、とにかく練習参加をさせてもらえるように説得した。

自分の甘さ、弱さが情けなくて、言われたことに対してというより、自分の不甲斐なさにがっかりした。
代理人がこの時厳しく言ってくれたおかげで、今一度自分は人生を賭けてこっちに来ているということを再認識できた。

 3ー2. 2度目の練習参加

次の日、代理人と改めてカフェで話して、次の練習参加を見て3部上位の練習参加に連れていくか決めたいという話になった。
しかし昨日練習参加したチームに断られた場合、代理人が観る機会がなくなってしまうため、また呼ばれることが最低条件だった。

その次の日、代理人から電話が来て、「チームからまた明日練習参加来てくれと言われた。よかったね。頑張って。全て出し切って。」とのことだった。

首の皮が1枚繋がった。

金曜の練習参加は、20分×3本の試合形式だった。
最初練習用の天然芝でみんなでアップして、ゲームは公式試合用のスタジアムの方で行われた。

ここでオーストリア挑戦の全て決まると言っても過言ではない試合形式。
チームにはもちろん、代理人を納得させるプレーをしなければいけなかった。

自分はとにかく自分のベストを尽くすことだけに集中した。

自分はやりきった。60分で足が攣りかけた。そんくらい走った。
自分のやれること、切り替え、声、運動量、自分のプレー、後悔しないように全部さらけ出してプレーした。

そして、また急いで駅まで向かって、電車に乗った。
再び電車で反省会が行われた。

「よしくん。よく頑張った。よしくんの想いが伝わったし、よしくんの特徴もみれた。チームのプレジデントとかとも話したけど、評価してくれてるし引き続き頑張ってほしい。」

めちゃくちゃ安堵した。
鳥肌が立つくらいホッとした。(矛盾してるけど笑)

代理人から前回の時とは180℃ひっくり返したような感じで話してもらえて、逆にビビったけど、次のチームの練習参加にも行かせてもらえるということで、心の中でめちゃくちゃガッポーズしてた。

その3部の上位のチームの練習参加は、明日の朝10時〜。
そして、家に帰ったのは夜11時。
言い訳はできない。ご飯食べて、湯船に浸かって、ストレッチしてマッサージして、とにかく身体のケアをした。

 3ー3. 3部上位

そして次の日、3部上位のチームの練習参加。
そのチームはウィーン市内にあって、レベルも高く、自分としては入れたら最高だった。
やっぱり前のチームとはスピード感も違って、練習に緊張感があった。
自分のパフォーマンスはそこそこで、ボール回しの時何度かミスしてしまったが、最後のゲームではドリブルから点取ったり、チャンスメイクしたり、存在感は出せた気がした。

監督の反応としては、悪くはないとのこと。
ただほしいとまではならず、今いる選手がもし移籍するなら、そこに入れるかもしれないという結果だった。

1、2週間返事を待って、結局その選手が移籍しなかったので自分もオファーをもらえなかった。

めちゃくちゃ残念だったけど、実力不足。
簡単なミスとか、身体の使い方とか、とにかくまだまだ。

 3ー4. 食中毒??

そして次の週から別の3部下位のチームの練習参加の予定が入っていたが、1個目のチームからオファーが見送られ、また練習に来てくれという話だった。予定していた別のチームは断り、もう1週間1個目のチームの練習に再び参加した。

その週末、そのチームは練習試合が入っていて、相手はなんとウィーンにある2部のチーム。
2部のチームとの練習試合にめちゃくちゃ個人的に盛り上がっていたが、体調を崩してしまっていくことができなかった。

前日少し体調に違和感を感じていたが、練習を休んでしまったら試合にベストな状況で臨めないと思って、無理して練習をした挙句、帰り道に寒気がとまらず家に帰った瞬間にベッドにダウン。
いつもは練習後お腹空いて家に帰ったらご飯をすぐ食べるが、その日はメシのメの字も頭に浮かばず、暑い夜に長袖長ズボンを着て布団にうずくまった。
体温計はなかったけど、体感的に39〜40℃くらいの熱があった気がした。

次の日、熱は下がった感じはしたものの頭がくらくらしていて腹痛と下痢が治らず、少し無理して試合に行こうとしてたが、チームから無理をしないでくれと断られた。

契約の話はどうなるんだろうと思ってたけど、チームは試合を見たいとのことで、週末の練習試合とその前日の練習にまた行くことになった。

金曜の練習でダウンして、土曜の試合は行けず、日曜は体調が回復しつつあったが、腹痛と下痢が続いていて、昼からやっといつも通りご飯を食べれるようになったくらいだったので家で安静にしていた。

そしたら代理人に、「もし今のチームに断られた時のために4部のチームに連絡した」と言われ、火曜日に4部のチームの練習参加が入った。
その4部のチームは、環境がめっちゃ良くて、スタジアムがあって、その隣に人工芝のグランドと天然芝の練習場があった。
それだけじゃなくてクラブハウスにはバーとジムもあり、話を聞くとサウナもあるらしい。

月曜は軽めのジョグ、ストレッチをして、無理しない程度に身体を動かしたが、腹痛は一向に治らず、火曜の練習参加では見事に身体に力が入らず、いいパフォーマンスはできなかった。

そのチームからは悪くはないという評価だったらしいが、来てほしいとまではいかず、どっちにしろまた木曜から一個目のチームの練習参加があったので、そっちに行くことになった。

 3ー5. 運命の練習試合

 そして木曜日、そのチームは明日(金曜日)に練習試合が入っていたので、ボール回しやシュートなど軽めのトレーニングとセットプレーの練習。かと思いきや、意外としっかりとゲームっぽいトレーニングもして、ある程度負荷のかかるトレーニングだった。
 コンディションは悪くなくて、前回の4部の練習参加より全然動けたけど、身体を当てた時に踏ん張れず体重が減ったのか、(いい意味でも悪い意味でも)身体の軽さを感じた。
ラッキーなことに、明日の練習試合の相手はまた2部のチーム。また気合い入れて、ワクワクしながらしっかりと身体のケアをした。

 そして運命の練習試合。相手はウィーンすぐ近くの2部のチーム。相手にとって不足なし。
ずっと試合をみたいとのことで、これまで契約を引き延ばされてたチームに自分の力をみせつける最後のチャンスだった。
いい準備して、以前の紅白戦のように自分の全力を出すことだけに集中して臨んだ。

 スタジアムでの練習試合で、さすがに2部なだけあって、ピッチの芝生はめっちゃ綺麗で、スプリンクラーで水が撒かれて、ボールの滑りがめっちゃ良くて、観客席も大きくて、ベンチも車のシートみたいなすごい椅子で、まさにテレビで見るようなプロがやっているスタジアムだった。

 さすがにスタメンではなかったけど、後半からの出場。
前半はほとんどこっちのチャンスはなく、いい攻撃が一回くらいで、すぐボールを失ったりしてほぼずっと相手の攻撃だった。
相手も最後のところの質がそんな高くなくて、もったいないシーンとか結構あって、結局2ー0で折り返し。

 こっちのチームは何もできない感じで、失うものがないような状態だったから、とにかく自分のやるべきことに集中した。
最初のファーストプレーをミスってしまったけど、徐々に試合に入っていけて、自分自身得点はできなかったけど、攻撃の起点になったり顔出して展開したりはできたつもりだった。
最終的に結果は4ー0で、後半も2ー0だった。
自分たちのミスと、真ん中で簡単に崩されての失点。
でも正直、前半よりは後半の方がチャンスもあって、観ている人からは絶対面白い試合ができた自信はあった。

とりあえず契約の話は後日また代理人に連絡するということで、その日はそのまま家に帰っていつも通りの夜を過ごした。

 3ー6. ある日曜日

その週末はいつ連絡が来るのかとドキドキしながらでも待ってても何も起きないから、自主練や他の日本人選手達とトレーニングしたりして、コンディションを整えた。

日曜日、午前中は代理人がやっているサッカースクールの手伝いだった。この日は特別スクール生が少なかったみたいだったので自分1人でやった。
3人の5歳くらいの子たちにサッカーを教えた。サッカーを教えたというか、ボール遊びを一緒に楽しんだ。
そしてそのあとは、家にWi-Fiがないので、帰る途中の駅の近くにあるIKEAの4階のカフェみたいなとこで昼ごはんを食べてから、コーヒーを飲みながらお母さんと久々に電話した。
家にWi-Fiがなかったのもあって、ウィーンに来てから家族と電話ができてなくて、今の自分の状況やウィーンの様子を見せてあげられてなかった。
お母さんは少し酔っ払ってて、とても嬉しそうにしていた。話しながらちょっと泣いたりもしていた。
今の自分の現状を話して、日本にいる家族みんなのことも話して、遠くからずっと応援してくれているお母さんに勇気づけられた。
お母さんのエネルギーはすごい。
もっと頑張ろうと思えた。

そして家に帰って、夜いつものように彼女と電話していたら、再び代理人から電話がきた。
そろそろずっと練習参加していた3部のチームから合否を聞かされてもおかしくないと思ってたから、ドキドキしながら電話に出た。

「よしくん。お疲れ様。結果から言うと、3部下位のチームダメだった。」

とりあえず、「はい。わかりました。」と言って、落ち込んだ風には返事をしないようにした。
でも、わけがわからなかった。
どういうことですか?と聞き返したかった。
頭が真っ白になって、理解できなかった。
シンプルに終わった。と思った。
自分のサッカー人生のプランが全て崩れた。
まさに地獄に落とされた気分だった。

その電話のあと彼女に折り返したけど、Ich weiß es nicht. (わからない)としか言えなかった。
このあと自分はどうしたいのか、どうするべきなのか、どうすることができるか、
何も考えられなかった。

代理人からも彼女からもとりあえず今日は寝て、また明日考えようと言ってもらえたので、とりあえず寝ようとベットに入った。

練習試合でも全て出し切ったつもりだったから、これでだめならしょうがないと割り切っていたつもりだった。
でも、ただの「つもり」だった。

ベッドに入ると、あらゆるシーンが頭によみがえってきて、なんであんなミスしたんだ。なんであそこであのプレーをしたんだ。なんでダメだったんだ。
なにがそんなに悪かったんだ。
めちゃくちゃ悔しくなって、イライラして、叫んで、泣いた。

何回も寝ようとしたけど眠れなくて、そんな時にルイくんのnoteを思い出した。
スペインに挑戦をしたルイくんの日々を記されたスペインサッカー体験記。
一回読んだことあるけど、めちゃくちゃ長くて半分も読みきれなかった記憶があった。
海外でサッカーをして、同じように苦しんだルイくんの言葉たち。
その時々に類くんは何を感じて、どう立ち向かって、どう乗り越えたのか。
きっと全く同じなんてことはないのだろうけど、なぜか同じような苦しみを味わったのではないかと思えた。
 そのnoteを読んで少し力をもらえた。
もう終わったと思ってたけど、もう少し踏ん張ってみようと思えた。

そして、夢の中で山さんの夢を見た。

「覚悟が足りねぇんじゃねぇか?」

こんな状況の自分にこんなことを言ってくるのは、やっぱり山さんだった。

朝起きて、鏡を見たら、田畑さんのTシャツを着ていることに気づいた。

NEVER GIVEUP FOOTBALL.  DEN

 3ー7. トライアウトは続く

 代理人は万が一の時のためにすでに次の練習参加を手配してくれていて、昨季4部の5位だったチームの練習参加が月曜日に入っていた。

月曜の練習参加はそのチームの今シーズン初練習だったっぽくて、クラブハウスでのミーティングから始まった。
トレーニングとか設備もしっかりしていて、3部よりはレベルは落ちるものの、何人かいい選手もいて悪くないチームだった。

練習後いつも通り、練習のフィードバックを代理人と話して、チームからは悪くないという評価だったという話を聞いた。
そして、3部に入ることが最低条件としてオーストリアに来た自分は、もし入れなかった場合、最低月500€もらえるならこのチームでもいいということを代理人に伝えた。

翌日、チームからは、「500€は出せないから、それならもう練習参加に来なくていい」とのことだった。
そのチームはお金がないわけではないことを聞いていたので、もし自分が本当にいいプレーをしてたら、500€くらい出せてもらえたと思う。
実際以前所属していた日本人選手は520€くらい?プラス勝利給(勝ち点×50€くらい)もらえていたらしい。

自分としてはもうあとがなくて、お金は少なくてもウィーンでサッカーやれるなら、働きながらやってもいいと少し思っていた。
でも、ありがたいことに、代理人が昨季4部2位で今年圧倒的優勝候補のチームに自分のことを話してくれていて、その日練習参加に行けるように話してくれていた。

 3ー8. 最後のチーム

 本当のラストチャンス。

昨日の練習参加したチームは断って、4部の優勝候補のチームの練習参加にいかせてもらった。

1週間でこのチームからオファーをもらえなければ、オーストリアの移籍市場が閉まってしまうので、オーストリアでサッカーを続けることはできない。

さすがに優勝候補なだけあって、練習の緊張感が違った。
3週間練習参加に行っていた3部のチームより練習の質は高かった。
選手も平均年齢が他のチームより高くて(オーストリアのチームはかなり若い選手が多い)、上手くてクオリティーの高い選手が多かった。

しかもウィーン市内だったので、自分的になんなら、このチームに入れたら、その3部のチームよりいいんじゃないかと思った。

緊張感のある練習の中で、自分も全力を出せて1回目の練習は手応えがあった。
次の日の水曜はオフで、木曜また練習で、金曜日が試合だった。

 2回目の木曜の練習はあまり良くなかった。
スタメン組とサブ組に完全に分かれて、スタメン組だけのための練習みたいなメニューだった。
スタメン組とサブ組のレベルの差が激しくて、サブ組は守備だけとか、超数的不利とかで、アピールするのがそもそも難しいトレーニングだった。
 それでも、球際で身体張ったり、ボールをもっと要求したり、やれることはあった。
でも、その日は自分の調子も悪く、球際も勝ちきれなかったり、プレーもあまり良くなかった。

 そして次の日、またまた運命の練習試合。
試合の相手は、なんと、3週間練習参加に行って断られた3部のチームだった。
 その3部のチームのウィーンに住んでるやつと少し仲良くなったから、その日は相手だったけど車に乗せてもらって一緒に行った。

グランドに着くと、相手と一緒に来た自分のことを不思議そうに見てくるチームメイトたちと挨拶して、もちろん顔見知りの相手チームの選手にも挨拶した。

オーストリアで最後の試合になるかもしれない練習試合で、1番お世話になったチームが相手で、自分は今のチームに入るためにアピールする。
不思議な感じだった。

でもこの試合で、その3部のチームからやっぱ欲しいと言わせるくらい活躍してやろうとやる気はみなぎっていた。

 正直今のチームは4部だけどレベル高くて、この3部相手なら勝つと思っていたが、蓋を開けてみると、やっぱり3部のチームの方が優勢だった。
 4部の方は初の練習試合で、新しい選手を試したりしていたのもあるけど、やっぱ3部の方が全体的にチームとしてしっかりしていた。

後半から何人か交代して、ラスト30分くらいで他のサブ組の若いやつらと一緒に出たけど、前半と比べて自分たちの質はガクンと落ちた。

まともにポゼッションもできなくて、ロングボールで背後に蹴るのがやっとで、守備も簡単に崩されてやられるシーンが多かった。

 自分は右ウイングで出て、まともに良い状況でボールを受けられず、背後に抜けたり、落ちてボールを受けにいったり、なんとかアピールしようとしたけど、うまいこといかなかった。
 最後はこのままじゃダメだと思って逆サイドまで行って顔出したり、ボランチのとこまでいって守備したりしたけど、結局あまり良い場面は作り出せなかった。

自分的には、やれることはやったけど、どう評価するかはあっちだからどうなるかわからないという感じだった。
今回ばかりは、だめでも仕方ないと思えるような試合内容だった。

4.結末

そして、その日の夜、代理人から電話がきた。
「残念ながらダメだった。チームからは、悪くなかったし、難しい試合だったと思うけど、また次の機会で。と言われた。」
みたいな感じだった。

まあしょうがない。
悔しいけど、実力不足。
3部の時に相当落ち込んだ分、落ち込んだけど、そんなに地獄のようには感じなかった。

ただ、眠れなかった。

代理人には、4部の下位のチームに入れてもらえるか聞いてみることはできると言われたけど、すぐにはお願いしますと言えなかった。

もともとウィーンでチーム決めて、ウィーンに住む予定だった。
彼女が9月からこっちに来る予定で、9月から住むめっちゃ良い感じの家も決まっていて、ケルンの自分たちの家に9月から新しく入る人とも話はしていた。
ドイツを出る時もケルンには戻ってくる予定はなかったし、ケルンで知り合ったみんなにも別れを告げてウィーンに来た。
彼女も家族や友達みんなにウィーンに引っ越すことを伝えていて、ウィーンに来たらあれをしよう、これをしようと、楽しみにしていた。
8月9日の結婚式のためにそこの1週間だけケルンに戻る往復の航空券はすでに買ってしまっていて、結婚式の準備や配偶者ビザの申請など順調に進められるように、彼女にたくさん手伝ってもらっていた。

4部の下位のチームになんとか入れてもらって、予定通りウィーンで暮らしてサッカーしていくのか、3部が最低条件で挑戦したオーストリアを諦めて、ドイツに戻るのか、そして戻ったとしたらサッカーを続けるのか、どうするべきかわからなかった。

その日は本当に寝れずに頭の中でいろんなことを考えてしまって、ベッドに入ってもいてもたってもいられなくなって、深夜2時ごろに散歩しにいった。
ウィーンの夜は涼しかった。けど、明るかった。
ドイツより街灯が多くて、へんな男たちも駅周辺でちらほらしていた。
駅のWi-Fiを利用してYouTubeをみたり、何を見たか覚えてないけど、何も考えたくなくてとりあえず色々な顔をみせるケータイの画面を見ていた。

考えて、考えて、考えて、、。
思考は同じことばかりの繰り返しで、中々前に進まなくて。

オーストリアの目標であった3部に入れず、4部でほとんどお金をもらえずサッカーを続けるのは、なんか違う気がした。
今回の挑戦はサッカー人生を決める勝負で、だめなら終わりにしようと思っていた。

でも、オーストリアでサッカーをするとすでにみんなに伝えていて、お別れもしてくれて、彼女も家族や友達に話をしていて、結局ダメでしたと言ってまたケルンに戻るのが、すごいダサく感じたし、プライドが全然許してくれなかった。

せっかくこっちに来たのだから、4部でも5部でもチームに入ってなんとか這い上がっていこうとも思ったし、なによりこの挑戦にかけたたくさんのお金や時間、苦労を無駄にしたくなかった。

ケルンに戻ったら全て元通り、いや、それどころかマイナスからのスタート。
すでにプレシーズンも始まっていて、チーム探しも難しくなり、5部に戻れる保証もないし、仕事も新しく探さなければいけない。

プライドとの戦い。
負けを受け入れて、全てを捨ててケルンに戻るのが、なんていうのだろか、恥ずかしいような情けないようなダサいようなかっこわるいような、嫌な感情だった。

でも現実を見れば、ウィーンに住むなら家賃も全然高くなるし、結婚もあってビザもあって、手続きに何度もドイツに戻らなきゃいけない可能性もあって、サッカーだけでは到底生活できず、彼女に苦労ばかりさせることになり、仕事もビザ問題などでちゃんと働けるかもわからない。

せめて3部に入れれば、その苦労を惜しまずに今シーズンがんばって、次のシーズンからサッカーで生活できるようになればいいとか思ってたけど、そのチャンスもない。
4部から上がれる可能性もあるけど、あがってもすぐ良い給料でるかわからないし、可能性の中に生きてる間は、一生夢を見続けることはできる。

理想と現実。夢と金。

プライドをとって、夢と理想に生きるか。
地に足つけて、現実を見つめて生きるか。

自分は最終的にドイツに戻ることを決断した。

正直、めちゃくちゃウィーンに残りたかった。
ウィーンでもっと生活したかったし、オーストリアでサッカーを続けたかった。
でも、
それは自分だけでなくて、彼女を苦しめることもわかっていた。

今まで彼女は常に自分の夢を応援してくれていて、道を見失った今の自分に、戸惑いながらも、
「自分で決めて良いよ。どっちに決めても、私はあなたを応援し続けるし、あなたが思うように決断して。」
と、言ってくれた。

そんな優しすぎる彼女を苦しめてまで、自分のためだけに、終わりの見えない理想を追いかけることはできなかった。
またケルンで1からやり直すことを決めた。

お腹が空いたので、プロテインヨーグルトにオートミールとバナナとブルーベリーをのせて、ハチミツをかけたいつもの朝食を食べた。
そしたら眠気がきたので、6時ごろにやっと眠りにつくことができた。

5.そしてケルンへ

2時間ほど寝て、8時過ぎくらいに起き、代理人から返信が来ていたので、電話してドイツに戻ってサッカーを続けることを伝えた。
そして彼女にも電話してケルンに帰ることを伝えた。

そこからの気持ちの切り替えは早かった。

結婚式の前に予約した飛行機で帰ることはできたけど、それまでウィーンにいてもどうしようもなかったし、帰るなら帰るで早くいって色々新しいチームや仕事も探さないといけない。
その日の夕方に出発するFlixbusというバスをすぐに予約した。
大家さんに連絡して、荷物をまとめて、昼飯を食べて、家を隅から隅まで掃除した。
残ったたくさんの食材たちは、捨てるのがもったいなかったから、大家さんに連絡して置いといた。
いざ、家を出る時はなんだか寂しくて、胸がぎゅっと締めつけられる思いだったけど、ありがとうと心の底から思えた。

そこからたくさんの荷物と共に電車でバス停まで迎い、大きなバス停の中からアムステルダム行きのバスを探した。
荷物を預けてバスに乗り込み、17時55分の予定から20分くらい発車が遅れたバスがやっと出発して、途中休憩とかも挟みながら、ケルンに着いたのは次の日朝の7時すぎ。
約13時間の長距離バスを寝ながら過ごした。

ケルンに到着すると、彼女が車で迎えに来てくれていて、そのまま一緒に車で帰った。

実は彼女は1週間ウィーンに来ていて、一緒に観光しにいったり、寿司食べにいったり、ご飯作ってくれたりした。
「次会う時は1ヶ月後だね。寂しくなるね。」
とか言ってバイバイしたけど、1週間後またすぐ会うことになった。

それでも再会するとやっぱ嬉しくて、顔見るとほっとするというか安心できて、自然と笑顔になる。
今回ばかりは、申し訳ない気持ちがいっぱいで、ごめんね。と何回言ったかわからないし、おそらく悲しい顔を帰り道ずっとしてしまっていた。

それでも彼女は「大丈夫。会えて嬉しい!またケルンで一緒に暮らせるね!」とポジティブに明るく振る舞ってくれて、本当に無力で情けない自分を何から何まで支えてくれる素敵な人で、本当にありがたい存在でしかない。

家についたら荷解きを手伝ってくれて、泣かないようにしようと思ってたけど、自分の情けなさに涙が出てきて、彼女はそれを見て抱きしめてくれた。

これからはもっとこの子のためにも頑張りたいと思った。


こうして、オーストリアの挑戦は終わり、予期せぬ新しいケルンでの生活が始まった。


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