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日本語ワープロ専用機もデジタル遺品に入る?

 スマホやパソコンはデジタル終活のなかでも重要な位置を占めるし、デジタル遺品の一種ともみなされる。では、故人が残した日本語ワープロもデジタル遺品に入るのだろうか? いや、そもそも入れる必要があるのだろうか?

折り畳みケータイは遺品化しなくなるかもしれない

 朝、ポストに届いた新聞を取りにいくと、なかに「折り畳みケータイご利用の皆様へ 3Gサービス終了します」と警告色で描かれたチラシが入っていた。

 折り畳みケータイの全盛を支えた3Gサービスは、2022年3月までにauが終了を予定している。ソフトバンクやワイモバイルは2024年、NTTドコモは2026年までと告知済みだ。3G回線の契約数は2019年6月時点で3900万弱あり、ここ最近は4Gへの移行需要を狙ったキャンペーンが活発になっている。チラシには悩ましい表情を浮かべた高齢者が大きくプリントされていた。つまり、メインターゲットはその年代の人たち。シニア層をまとめて4G≓スマホへ移行させようという通信キャリアの狙いが覗える。

 だから、あと数年もしたら折り畳みケータイが遺品として残されることもかなり少なくなるんじゃないかと思う。持ち主より先に道具としての寿命を迎え、持ち主が死ぬ前に過去に置いていかれるわけだ。

 私はこれを「ワープロ現象」と勝手に呼んでいる。

バブル時代に広まった日本語ワープロ専用機

 日本語ワープロ専用機(ワードプロセッサー)は、バブル時代の日本における代表的なデジタル機器だった。無数の文字がある日本語を英語のタイプライターのようにキータイピングで入力し、液晶モニター上で推敲してレイアウトを調整したうえでプリントアウトできる。自分が物心ついた1980年代にはもう家電量販店に並んでいて、フロッピーディスクに保存できるモデルも登場していたように記憶している。90年代に入るとカラー液晶タイプやインターネットに接続できる機種もラインアップされたが、パソコンの台頭で急激に市場で立場を失っていった。

 最後に登場したのは2000年にシャープが発表した「書院 WD-CP2」だ。そのシャープもワープロ専用機のサポートを2014年1月に終了している。およそ6年前。たった6年前のことだ。

 そんなごく最近まで現役でいた機器なのに、私が受けたデジタル遺品の相談でワープロ専用機について言及されたことは一度もない。取材して出合ったこともない。2000年以降に亡くなった人がワープロ専用機を所持していたというケースもそれなりにあったはずだが、驚くくらいに存在感がない。

ワープロにはデジタル遺品特有の面倒がない

 理由はいくつか考えられる。おそらくもっとも多いのは、持ち主が元気なうちにパソコンに移行していて押し入れの肥やしになっているパターンだ。所持していても現役で使っていないなら、遺品になったときも遺族がわざわざ中身を調べる必要はあまり生じないだろう。これはまあ仕方ない。

 亡くなるまで現役で使っていたケースはどうだろう? 遺族が中身に興味を持たなかったというパターンや、ロックがかかっていないのでとくに意識することなく中身をチェックしたパターンが考えられそうだ。

 ワープロ専用機には表計算や住所録、ゲームアプリを搭載した機種もあるが、金融資産やオンラインの持ち物と直結しているスマホやパソコンと比べると、遺族が血眼になって探すほどのモチベーションを持つデータが保存されることは相当少ないのではないかと思われる。中身を見る気が起きないデジタル機器は大きな置物と変わらない。遺族もデジタルデータの遺品がつまった「デジタル遺品」とわざわざ特別視しないだろう。

 一方で遺族が保存されたデータに価値を見いだしたとしても、電源を入れて普通に中身をチェックすればいいだけだ。最近のデジタル機器のような強固なロックはかかっていないし、選べるコンテンツも少ない。デジタル特有の見えにくさがなく、これまたデジタルの遺品という認識をする必要がない。システム手帳を開いて中身を調べるのと何ら変わらないのではないだろうか。

 以上のように、デジタル機器でありながらデジタル遺品特有の厄介さや存在感が消失するのが「ワープロ現象」だ。

中身を完全にクラウド化できたら端末の意義は?

 折り畳みケータイもやがてワープロ現象が起きて、遺品としての存在感が薄くなっていくだろう。2019年9月に東京テレメッセージが個人向け呼び出しサービスを終了したポケベル、あるいは2G以前の携帯電話端末と似たような道を辿って、「そういえば、そんなのもあったよね」となるはずだ。

 スマホやパソコンも、いつかわざわざ遺品とはみなされないようになる可能性がある。データをすべてクラウドにバックアップするのが当たり前になれば、いくら金融資産のデジタル化が進んだとしても端末に固執する必要はなくなるし、もっと別の便利なツールが誕生したら市場から姿を消すかもしれない。少なくとも手元にあるスマホが5Gの先の6Gの時代に突入した頃、いまと同じ財産価値を有していることはないだろう。

 「父の形見の万年筆」や「祖母の家にあった置き時計」などは現役で使われている可能性があるし、遺品になったらそれなりの存在感を持ちつづけるだろう。デジタル機器はそのレールには進まない。

 ウニは200年以上生きることがある一方で、ミズダコの寿命は3~5年だという。どちらも好きな寿司ネタだけれど、時間軸が全然違う。アナログとデジタルの遺品にも似たようなスケールのズレがあり、今後多くの人が実感しそうだ。

※初出:『デジモノステーション 2020年5月号』掲載コラム(インターネット跡を濁さず Vol.48)

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