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僕らは「デジタル最古」を味わう時代に生きている

 自分の学生時代はインターネット黎明期だった。あまりITやパソコンに詳しくなかった自分は、当時の記録がデジタルでほとんど残っていない。デジタルで表示できる生データと、アナログで残る最古の記録に何年もの開きがある。それって案外貴重なことなのかもしれない。

デジタル写真と動画はZOOM呑みの肴に最高

 週末に旧友と何度かZOOM呑みをして気づいたのは、対面で呑むときよりも思い出で盛り上がりやすいということだ。パソコンやクラウドで管理している昔の写真を引っ張り出してきて共有表示にすれば、皆で同じ写真を眺めて当時の懐かしい話に花を咲かせられる。過去の写真が皆から何十枚と出てくるというのは、対面で呑んだときも味わったことがなく、思い出の洪水を浴びたようで楽しかった。

 ただ、悲しいかな、私が共有できる写真はライター事務所に入ってデジタルカメラを手にした2002年以降のものばかり。学生時代はデジタルカメラに触ったことがなく、カメラ付き携帯電話を持ったのも社会に出てからだ。10代の頃にインスタントカメラで撮った紙焼き写真もいくらか残っているけれどスキャンしていないのですぐには出せず、専ら懐かしい気持ちにさせてもらう側にしか立てなかった。申し訳ないかぎり。

 そこでふと思った。ああ、自分はデジタルネイティブではないんだなと。

筆者にとってのデジタル最古は2002年

 2011年に生まれた我が子の記録は、妻の腹の中にいるときからデジタルの動画と写真で残している。だから彼女が将来自分の人生を映像で振り返ったり友達と見せ合ったりするときは、(多少解像度は低く感じるかもしれないが)すべてデジタルで完結できるだろう。

 しかし、1977年に生まれた私の人生はアナログ時代とデジタル時代に分断されている。さらに細かくいえば、カメラ付き携帯電話に撮ったいくつかの写真はデジタル時代のなかでも独立国のように別枠で存在しているし、1998年頃に実家が購入したパソコンにも何らかのデジタルの痕跡が残っていたかもしれない。

 けれど、自覚的にデジタルを扱うようになり、こまめにバックアップをとってデータを引き継ぐようになったのはやはり2002年からだ。2002年当時に務めていたライター事務所で使っていた作業日報用のエクセルシートは今もメインパソコンからすぐに取り出せるし、同年に新婚旅行で撮った写真も「マイピクチャー」フォルダーの下層にある。

 つまり、私にとってのデジタルでの最古の記録は2002年ということになる。本誌の執筆陣や編集陣にはコアな人が多いので、1980年代まで“デジタル最古”が遡れるケースもあるかもしれない。基点は人によってバラバラだろう。

終活において重要なものは最新情報につまっている

 このデジタル最古という概念は、人生の終盤を見据えて生き方や持ち物を整理する「終活」においても、なかなか日の目を見ないように思う。

 終活において求められるのは、意外と最新の情報が多い。最新の資産情報、最新の連絡先、最新の購入履歴、最新の閲覧履歴などなど。遺影写真だってそうだ。

 古くなればなるほど、現在進行形の役割を終えていることが多く、優先順位が低くなる。時間が経っても残る価値は思い出くらいだろう。実際、私が保存している2002年のデータで失うと困り果てるものは、思い入れのあるいくつかの写真程度だし、それを失っても経済や人間関係などに実害が及ぶものではない(新婚旅行の写真を消してしまったら妻は怒るだろうけれど)。

古い情報を引き継ぐ習慣はデジタル時代に育った?

 古くてほとんど役目もないけれど、デジタルだからパッと表示できるし、劣化もしない。イチかゼロかの存在だからこそ、現役並みのアクセス性を保ち続けているのがデジタル最古の面白さだと思う。

 そこで思い出すのが、auの「おもいでケータイ再起動」だ。家に眠る古い携帯電話を再起動して保存された写真などにアクセスする大人気イベントで、2017年8月から全国で実施している。初期から携わっている同社宣伝部の方はこんなことを話していた。

「カメラ付き携帯電話が流行してしばらくは、『アドレス帳は次の端末に引き継ぐけれど、画像や着メロなどは移せなくて当たり前』という風潮がどこかにあって、その端末にしか残っていない写真などを持たれている方が多いように感じます。microSDカードが挿せる端末が増えて、じわじわと丸ごとバックアップする考え方が普及していって、スマホの頃にはそれが当たり前になったというところがあったのかもしれません」

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僕らは「デジタル最古」を味わう時代に生きている

 過去の日記帳に書いた文字を新しい日記帳に書き写す人はいない。けれど、デジタルデータの日記なら、新しい機器にデータを引っ越すのは当たり前になっている。これは数年単位で乗り換えて使うデジタル機器が普及してからできた常識といえるだろう。アナログとデジタルの間には、そういう進化過程の化石みたいなものがゴロゴロしている。

 人生の途中でデジタルが染みこんでいった非デジタルネイティブな世代は、自分の人生の最古の記録とデジタル最古の記録が分離している。そして、そのときの戸惑いや驚きを無劣化なデジタル最古の記録によって呼び覚ますことができる。それはとても贅沢なことなのではないだろうか。

 新しモノ好きで、学生時代の写真もデジタルでたくさん残してくれた友人に感謝しつつ、そんなようなことを思った。

※初出:『デジモノステーション 2020年7月号』掲載コラム(インターネット跡を濁さず Vol.50/最終回)

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