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身体がないデジタルデータは消滅したらどこに行くのだろう?

 人が死んだら肉体が残り、骨が残り、遺品が残り、墓も残る。けれども、デジタルデータが消失しても何も残らない。けれど、名残りは残ることがある。じゃあ、「魂」的なものは残ったりするのだろうか?

遺体の堆肥化法案がワシントン州で可決された

 2019年4月、米国ワシントン州の州議会で人間の遺体を堆肥として活用する法案が可決された。遺体を木片や藁と一緒に埋葬して微生物の活動を促進することで、3~7週間の短期間で堆肥化するという。

 このニュースを読んで思い出したのが、同国のベンチャー企業が2016年に開発した「インフィニティ・ベリアル・スーツ」だ。遺体を包み込む布製の道具で、内側に塗ったキノコ菌により、土中での分解を促すというも。ただ、今回は行政が積極的に関わっており、社会的な影響力は桁違いに大きそうだ。

 環境に優しそうだし、土に還るという観点からすればとても合理的な法案だ。とはいえ、日本ではなかなか受け入れられないだろうとも思った。日本では領海内で行われている事業者による海洋散骨は漁場と被ることが強く忌避されているし、墓地はいわゆるNIMBY(Not In My Back Yard=必要だけど近所にあるのは勘弁)施設として扱われている。死んだ人の肉体から養分を得た作物が世間に広く受け入れられるかといえば、なかなか難しい印象を受ける。


 とかく、遺体の処理は大変だ。数10kgの肉塊としてみても跡形もなくすには相当な手間や時間が必要になる。そこに文化背景や心情的な面が加わってくるので、プロセスはさらに複雑になる。元の存在がすべて分解されて無になる状態というのは、なかなかの道のりの先にあるわけだ。


 家やクルマや家電、ガジェット、調度品・・・。故人が残していった遺品にしても、物体である以上は似たような事情を抱えるだろう。

 それに対して、デジタル遺品というのはなんてシンプルなんだと最近よく思う。

情報はいつでも消滅するけど、遺体処理はいらない

 2019年3月末、日本のホームページ文化を支えた大手サービス「Yahoo!ジオシティーズ」が終了した。閉鎖を告知した2018年10月時点での保有サイトは約400万件あり、管理人が飽きたり亡くなるなどの事情で放置状態となっていたサイトは半年後に一斉消滅したことになる。ヤフーは最終的な消滅サイト数を公表していないが、2016年10月に終了したニフティの同種のサービス「@homepage」は50%程度のサイトが最後まで移行手続きをとらなかったという。仮にその割合を当てはめたとすると、消滅サイト数は200万件程度となる。


 それだけ大量のサイトが“廃棄”されたのに、廃品回収や微生物による分解の必要はない。ヤフーのサーバー内で、残存サイトのデータをしばらく保管し、FTPでのデータダウンロード期限である2020年3月を過ぎたら消去するだけでいいはずだ。


 また、2016年3月にマイクロソフトが立ち上げたAIチャットロボ「Tay」の事例もある。人間との対話によって様々なことを学んで賢くなっていくという触れ込みで、Twitterなどを通して全世界に公開された。しかし、Tayは不特定多数のユーザーから寄せられる質問や悪態を学習するうちに、ナチスを賛美するような発言をするようになり、直ちに公開停止となった。その間、わずか16時間だった。


 Tayのために作られたサイト「Tay.ai」はいまは外部からはアクセス不能な状態になっている。Twitterアカウントは残っているが、非公開設定となって当時の学習の過程は目にすることができない。そうした遺品を残してはいるが、用済みとなったTayの亡骸の処理に頭を悩ませる必要はなかっただろう。彼女(?)の構成要素には堆肥にする有機物もないのだから。

「死ぬ」はかつて「萎ぬ」だった

 民俗学者の折口信夫によると、昔の日本では「死ぬ」を「萎ぬ」と書かれていたという。死ぬと魂が抜けて身体が萎(しな)びていく。その状態が萎ぬ=死ぬであり、死ぬの語源は魂が抜けた亡骸の状態にあったと論じてる。

 また、「死」という漢字も、上半身の骨を表現した「歺(がつ)」の横に人をあらわす甲骨文字(ヒ)を並べて作られている。亡骸の状態から生まれた字だ。


 そう考えると、デジタルには身体がない。容れ物としてHDDやSSDなどがあるが、いくらでも容れ物を移れるし分身もできる。容れ物=身体と“魂”が元から別物で、主体となっているのは明らかに魂のほうだ。消滅しても身体が残らないのだから、萎れることもないし、「死」という文字を生んだ骨も残らない。デジタルが死ぬときはただただ消える。もしも古来の日本にデジタル環境が存在したら、デジタル上の死は「消ぬ」なんて表現されていたのかもしれない。

 そういえば、死の婉曲表現として西日本には「広島に行く」、沖縄や奄美大島には「奥武に行く」という言葉がある。英語でいえば「buy the farm」だ。いずれも、かの人は遠くに行ってしまったというニュアンスになる。Yahoo!ジオシティーズのサイトたちやTayはどこに行ったと表現するのが適切だろう? インターネットの彼方、いや磁気の彼方か。

※初出:『デジモノステーション 2019年7月号』掲載コラム(インターネット跡を濁さず Vol.38)

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