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視力の弱った母のスマホに便利なアプリを入れていて思ったこと

 シニアが「スマホを持ちたい」「機種変したい」といったらシニア向けスマホが候補に浮かぶ。けれど、実母とのやりとりから、シニア向けスマホが必ずしもシニアに向いているとは限らないと思うようになった。「シニア向け」について考えてみたい。

フリーランス向けって案外フリーランス向けじゃない

 最近はフリーランサーに向けたサービスやサポートが充実してきているようで、新聞をめくっていると「フリーランスのための保険」や「政府がフリーランス保護へ」のような見出しをたまに見かける。

 自分もフリーランスなので読んでみると、クラウドソーシング系だけをターゲットにしたものだったり、ひとつの組織からの下請けを想定した施策だったりで、どうも関係なさそうだ。外れクジを引いた気になる。フリーランスというくくりが業務も業態も幅が広すぎてぼんやりしているからだろう。“フリーランス向け”というワードには期待させられて裏切られる感じというか、隔靴掻痒な感じがいつもついて回る。

 先日、それと似たような思いを母のスマホに感じた。

定番の視覚補助アプリが入らない

 母は近所で一人暮らしをしているが、白内障と緑内障を患っており、最近は体調が悪いときは視界がぼやけていろいろと苦労するという話をよくするようになっている。そこで市営の視覚障害者情報文化センターにお邪魔して、生活の不便を解決するグッズや視力との向き合い方について教えてもらうことにした。

 センターには十円玉や百円玉を別々に収納できる小銭入れや、便せんに文字を書く際の補助に使う黒い格子状のシートなどがたくさん展示されている。スタッフの方に紹介してもらいながら母も「あぁ、これは見やすいわぁ」などと感嘆し、しきりにスマホでメモ撮りしていた。

 そんな姿を見て、「目が見えにくくなった人の間で定番のアプリがありますよ」と紹介してもらったのだから、当然母も食いつく。浅田一憲氏が作成した読字補助アプリ『明るく大きく』。直感的なインターフェイスで、紙面を拡大したりコントラストを強調できたりして確かに便利だ。

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 けれど、インストールできなかった。母のスマホはシニア向けに機能をシンプル化した古めの機種で、どうも一般的なPlayストアからは追加できないらしい。

 そのスマホについては、母からしばしば不満を聞いてきた。文字をちょうどいい大きさにできない、音声読み上げが使いにくい云々。ならば、この機に機種変してしまおう。そう母に強くプッシュしながら、どんなスマホがいいだろうかと考えた。

母にシニア向けを勧めない3つの理由

 シニア向けのスマホといえば、NTTドコモの「らくらくスマートフォン」や、auの「BASIO」、ソフトバンクの「シンプルスマホ」などがあり、最新機種ならアプリの追加に制約がないし、ユニバーサルデザインで整えられているので、目が悪くなっても可能な限り見やすい環境を提供してくれるだろう。

 とても便利だし、母のスマホに比べたら拡張性も十分高い。ただ、どれも勧める気になれなくなっている。iPhoneにしろPixelにしろ、なるべくプレーンなスマホに移ったほうがいいと、確信に近い思いが頭の中ですぐに固まった。

 理由は3つ。

 ひとつは使用年数だ。内閣府が2019年4月に発表した消費動向調査によると、携帯電話の平均使用年数は4.3年となっている。20代以下の2.6年から右肩上がりして、70歳以上は5.8年。実際、70代の母も現在のスマホを6年前から使っている。それだけ長期間使うのなら、OSのアップデートが頻繁にある機種のほうが長い目でみて安心できるのではないかと思った。

 ふたつめはプレーンなスマホのカスタム性が高まっていること。iPhoneなら「アクセシビリティ」、Androidなら「ユーザー補助」のメニューをカスタムすれば、持ち主の傾向にあわせて見やすさを調整したり、速度や音量を細かく調整してテキスト読み上げ機能を最適化したりできる(母のスマホはテキスト読み上げ機能の速度が3段階しか調整できなかった)。

 ドライな見方かもしれないが、6年後の母は今より視力だけでなく耳も悪くなっている可能性がある。指が震えてうまくタップできなくなることも考えられる。逆に音声操作を使いこなしている姿も想像できるし、医師からの勧めでスマートウォッチを導入しているかもしれない。6年もあれば人や環境はいくらでも変化するだろう。その変化にその都度フィットするような柔軟な機能性とサポート力を備えた機種のほうが頼もしい。

 そしてみっつめは、私が使いやすいからだ。iPhoneや普通のAndroidに慣れていると、シニア向けスマホはレスポンスの間やインターフェースが独特で正直面食らうことがある。上記のような細かなフィットを母が勝手にやってくれればいいが、おそらくはしない。しないで「最近スマホが使いづらくて…」とこぼす。だから私が管理者のような感じで触っていくことになるはずで、それなら自分が使い慣れた環境に近いスマホを持っておいてほしい。

 以上のような考えをもって熱弁を振るったら、母から「まぁ、コレ(いまのスマホ)が壊れたら考えるわ」と言われた。何なんだ、もう・・・。

シニア世代に本当に向いたものって何だろう?

 「シニア向け」とは何だろうかと、たまに思う。動物学者のアドルフ・ポルトマンは名著『人間はどこまで動物か』(訳・高木正孝)のなかで、老年の特殊性についてこんなことを言っている。

 われわれが年をとると、人間の特殊性の一般的な特徴がたいへんきわだってあらわられてくる。つまり個性が高められ、個々人の特殊性がきわだってくる。この現象に対しては、生物学的な物の見かたがまったく役立たなくなってしまう。というのは、生物学的な見かたは植物や動物の研究で訓練されているので、典型的なもの、一般的なものにとくに重点をおいてみるからである。

 つまるところ、シニアは身体の衰えも嗜好も考え方も、若い世代に比べて際立っている。だからひとくくりにするのは難しいという側面があるわけだ。

 フリーランスである私がフリーランス向けサービスにピンとこないのと同じように、母も私が熱くプッシュする“これからのシニア向けスマホ”考にピンとこなかったのかもしれない。うーん、人間って難しい。

※初出:『デジモノステーション 2020年2月号』掲載コラム(インターネット跡を濁さず Vol.45)

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