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短編小説「制服の記憶はインソムニア」

君が死んだ夏の日。
僕はその日、それが最後になってしまった彼女との道草(ほんとうは「デート」と言いたいけど、正確には付き合ってなかったから言えないと思っている)となった、高校から船ですぐに行けた、とある島に向かった。

その島には、何度か一緒に行ったことがあったのだけど、船に乗ってさえしまえば約20分で着くものの、1日に何便もある訳ではないので、行く時は決まって学校を抜け出して行っていたのだった。
もっとも、一緒に学校を抜け出す仲、と言っても、僕と母子家庭で育った彼女とは幼馴染で、家族ぐるみでの付き合いはあったが、恋愛という意味で付き合っているという訳ではなかった。

その島は、いつも風が強くて、島に渡る時には、結構な波の中を進むことになる。なので、甲板に出ているとびしょ濡れになってしまうのだけど、夏の暑い頃はそれが気持ちよくて、髪も制服もびしょびしょにして島に上陸したものだった(風が強いせいか、すぐに乾いた)。
島の中には、至る所にアート作品が置かれていて、それを目当てに来る観光客も少なくなかった。
高校生の僕たちには、あまりピンと来ないアートもあって、「なんで島の真ん中に船が置いてあるんだろうね?」とか、「この島バスなんて走ってないのに、バス停なんてあるんだ?」などと、話していたことを思い出す。
中でも、お気に入りの場所だったのが、『おひるねハウス』と名付けられたアート作品だった。これは、おしゃれな人の家にありそうな、3×3の木製の棚のような形状のアート作品で、各マスには、人が十分入れる大きさがある。海岸沿いに設置されているので、そこにはしごで登ってマスの中に入り、そこから海を眺めるのが、毎回のルーティーンだった。

そんな思い出が強く残っている島に、今、僕は大学生になって、戻ってきたのだった。

僕は彼女が死んでから、彼女のことが好きだったんだ、ということに気がついた。いなくなって初めて分かる、というやつだ。もう、死んでから3年経っているが、その想いは、いや後悔は日々強くなるばかりだった。
さっき、死んでから気持ちに気付いたと言ったが、実は、中学、高校と歳を重ねるにつれて、昔は男の子のように真っ黒に日焼けしていた彼女が、肌も白くなっていくとともに、実は整った顔をしていることに気づいたとき、彼女を女性として見ている自分に気がついてはいたのだ。
だけど当時、僕にも家庭の事情があり、自分と彼女は”幼馴染”なんだ、と、自分に言い聞かせるような形で、極力意識しないように心がけていた。なので、次第にその美しさに気づいた時の、はっとした、心臓ってこんな音がするんだというくらいの胸の高鳴りを、それ以降は徐々に感じなくなっていただけだった(いや、正直に言うと、たまには感じていた)。

僕は、彼女と永遠に別れてしまった後は、一人東京の大学に進学し、彼女のことも忘れようと、何人かの女性ともお付き合いをしてみたりもした。だが、どうしても女性を見る時には、彼女を基準に考えてしまい、「こういうとき、あいつならどうするかな?」とか、「あいつなら、プレゼントは何が欲しいっていうかな」などと考えてしまって、相手をちゃんと見ることができず、結局すぐに別れてしまったりしていたのだった。そんな行為は、行き着くところ、彼女への想いを確かめることにしかならず、ますますその想いを深めるだけの結果となった。
そんな日々が、3年も続くと、僕は立派なメンヘラになっていた。それは時は戻せないという単なる後悔だけではなく、家庭の事情なんかより、目の前の本当に大切な人への気持ちを優先しなかった自分への怒りから来ていた。そして、その反動として気持ちが暗闇に落ち込んでしまうことを繰り返してきた。このまま生きていても、ずっと彼女のことが忘れられないし、彼女に縛られて生きていくことができるとも思えない。
今は、まだ学生だからいいものの(といっても、大学もバイトも身が入らず、すっかり足が遠のいている)、社会人になって、自分の力で生きていくことが、全く想像ができない。そもそも、就活なんてどこも受かるわけないだろうし、万一受かったとしても、仕事になるわけがない。そう、生きていけないんだ。文字通りに・・・

今日、この島に来たのは、どうせこれから生きていくことが出来ないんだったら、もうこんな人生を終わらせた方がいいのでは、という気持ち半分、そしてもう半分は、もしかしたらこの島に来たら、気持ちの整理が付くかもしれないという期待が半分だった。
そんな思いを胸に抱きながら、いつも二人で歩いた道順で、島を歩いている。交わした会話だって、同じ場所で、1回目に来た時と、3回目に来た時と、5回目に来た時とで、それぞれ何を話したかも、鮮明に再生することが出来た。

「あぁ、やっぱり、僕はあいつが好きだったんだな」
そんなことをつぶやきながら、でも、気持ちは少しずつ晴れていくのを感じた。と同時に、心が満たされていくのも感じた。この3年間感じたことがなかった、この充足感。幸せ、なんて言葉で表現してしまうのがもったいないくらいの、この感情。

そして僕らの定番だった『おひるねハウス』にもやって来た。島に到着するまでは、このアート作品は特に思い出が強く残っているので、来るかどうか正直なところ迷っていた。だけど、ここに来るまでの間に気持ちが軽くなっていたせいか、自然と足が向いたのだった。

「あれ、2つある」
思わず、そう、声に出してしまった。
僕らがここに来ていた頃は一つしかなかったのだが、なぜか同じものが2つあった。

訝しげに、そして、思い出が書き換えられてしまいそうで少し嫌な気持ちもありながらも、作品の近くまで歩いてみると、小さな看板が立てられており、それを読んでみると、どうやらアート作品の老朽化により、新しい作品を設置し、その後、古い作品の方は撤去されるとのことだった。
「そんな偶然ってある?よりによって……」
と、やっぱり少し嫌な気持ちになってしまったが、でも、あの時僕らが確かに座っていたのと同じ作品に、思い出に、最後にもう一度触れられたと考えれば、今日来ておいてよかったのだと、言い聞かせた。

さて、登ってみるか、と思って、あの頃のように登ってみることにした。
だけど、どっちに登ろうか。あの時に僕らが登ったのと同じ古い作品か、あるいは、ある意味あの時の気持ちにけじめをつける、整理をするために、そして前を向くために新しい作品に登るかーーー

僕は、新しい方に登ることにした。
どうやら、かなり気持ちが前向きになっているようだ。やはり島に来たのは正解だった。
備え付けてある同じ黒い色の木製のはしごを使って、いつも僕が入っていたど真ん中のマスに入った。
僕はいつも、このマスの中で、うつ伏せに寝転がり頬杖をつきながら海を眺め、隣のマスの端に腰掛けて、足をぶらぶらさせながら話す彼女の声を、波の音とともに聴くのが好きだった。そうしている時間が、本当に心地よかったし、幼いながらも幸せってこういうことなのかな、と思っていた。

ふと、男女が会話する声が聴こえてきた。声質からすると、若い男女、高校生くらいだろうか?
「ねぇ、この後どうする?」
女の子の声。
「そうだなぁ、いつも通り、東の船着き場の方に向かって歩くか」
少しそっけない男の子の声。
「そうだね」
波の音が聞こえる。
「……あのね、私ね、大学に進学するの、やっぱりやめようと思うの」
ふーん、そういえば彼女もそんなこと言ってたな。
「なんで?一緒に東京の大学に行こうっていってたのに」
「ごめんね。うち、ママが病気してるじゃない?先月も入院したし…… だから、東京に行くのって、ちょっと気が引けるっていうか……」
「でも、この前、君のお母さんも、二人で東京に行くの応援してるって言ってくれてたじゃないか」
「そうなんだけど……」
また、しばらくの間、波の音だけが聞こえる。

だけど、どうもこの話、聞き覚えがある。いや、この話というか、この会話、一言一句、3年前に最後に来た時に話してたのと全く同じだ……
そんなことあるのか?全く同じ会話、それも一言一句同じ言葉で会話がなされる確率って、どれだけあるんだ?
混乱した。
ちょっと気が引けるけど、二人を見てみたいという衝動が押さえきれず、少しだけマスから顔を出してみた。

そこには、マスの端に腰掛けているセーラー服姿の少女がいた。
あの制服、スカートから伸びる白い足、風に靡く黒髪のロングヘアー、そしてあの整った美しい顔。
間違いなく彼女だった。
それに気づいた瞬間、すぐに出した顔を引っ込めて、自分のマスに戻った。
「いやいや、あり得ない。あり得ないだろ、こんなの。何なんだ?え、幽霊?いや、でも透けてなかったしな……、足もあったし……」などと思考が混乱する。こういう時って、幼稚な思考になってしまうようだ。
「え、ってことは、一緒にいる男の子は僕?」
ますます混乱した。訳がわからない。

聞き逃してしまったが、僕が一人混乱する間も会話が続いていたようだ。
「だからね、私東京に行けない……」
「なんでだよ!」
そうだ、この会話は全て知っている。僕は、あの時、彼女から一緒に東京に行けないと言われて、つい激昂してしまったのだった。彼女の事情を考慮せずに、自分勝手に、独りよがりに。
今思うと、なぜ彼女の気持ちをもっと汲んであげられなかったのかと思う。もっと彼女の事情に寄り添って、一緒になって彼女を支えることだって出来たはずだ。
今だからこそ、この時の会話を冷静になって聴くことが出来た。当時は、理不尽な怒りで彼女の言葉が頭に入ってこなかった。実際、ここからの会話の記憶はあいまいだ。
「一つだけ分かって欲しいことがあるの。私ね、一緒に東京に行こうって言ったのも、別に幼馴染で、ずっと小さい頃から一緒だから大学も一緒で、っていう単純なことじゃないの。私ね、ずっと君と一緒にいたいの。離れたくないの。」
「なんだよそれ」
「だからね……、私、君のことが好きなの」
「……何言ってんだよ」
そう言って、男の子は(いや、僕のことだが)、マスを抜け出して丘の方に歩いていった。

「いや、僕、何やってんだよ……」
「……って、えー!?今、僕のこと好きって言った?え、そうなの?これ、ほんと?」
今までの会話は、完全に記憶と一致していたのだが、ここは記憶にはなかった。
もし本当だったとすると、これが実際に過去の出来事を再現している幻想か何かだとすると、僕たちは実はお互いに好きだったってことになる。

あれ、二人はどうなった?
記憶を辿った。僕の方は、あの時、気が付いたら東の船着き場の近くの防波堤に座っていた。そこで、船の出る時間になって現れた彼女と、無言で一緒に船に乗った。
そう、その後だった、彼女が死んだのは。
僕らは、無言のまま船を降りて、バスで家に帰った。近所に住んでたものの、僕と彼女は、バス停で3駅離れたところに住んでいた。彼女が「じゃあね」と、ようやく僕に届くくらいの声を残して、先に降りて行った。
僕は何となく、つい怒ってしまったことへの負い目も感じ始めていたので、最後列に座っていた僕は、はっきりと分かるように振り返るのも気恥ずかしいので、気付かれないくらいに振り返った。
そこには、まだバス停でうつむいて立っている彼女がいた。
「悪いことしたな……」
そう思いながら、目線を戻そうとした時、彼女も一歩前に足を踏み出したのが見えた。と同時に、すっかり暗くなった道で、彼女が明るいヘッドライトの中に消えていくのが、ぎりぎり見えた―――

そうだ、その後の展開はこうだった。
「待てよ、これってもしかして、この後の展開を変えれば、あいつはあそこで死ななくて済むんじゃないか?」
映画や漫画の世界のような話だが、もしかしたら現実が変えられるのかもしれない。もし、あそこで死ななければ、あいつは今も生きてることになるのでは。

僕は、すぐに、”僕”を追いかけた。
東の船着き場までは、真っすぐ歩いても20分はかかる。たぶんまだ着いてないはずだ。僕は”僕”に、君は大切な幼馴染を傷つけるようなことをしたんだ、今すぐ謝って来い、というようなことを言おうと思ったが、だけど、何て言えばいいんだ?そもそも、お前誰だよってなるよな、などと頭をぐるぐると回転させながら走って追いかけた。
だけど、なかなか追いつかない。
一体、僕はあの時、どういうルートで船着き場まで行ったんだっけ?などと思いながら走っていると、東の船着き場が近づいてきた。
「おかしいなぁ、どこだ?」
辺りを見回した。
すると、東の船着き場の手前にある海岸に、人影が見えた。
少し日が落ちてきて、白い光に包まれているが、それは確かにさっき見たセーラー服を着た彼女の姿だった。
「え、いつの間に?あ、そうか幽霊だから瞬間移動出来るのか?」などと、また混乱すると幼稚な考えになってしまいながらも、自然と彼女の方に足が向いていた。
”僕”に会えなければ、彼女に何かを伝えれば、状況を変えることが出来るかもしれない。
けど、何て伝えたらいいんだ?そう思いながらも、足は止まらず、彼女に近づいていく。

向こうを向いていた彼女が、不意に振り向いた。
目が合った。
久しぶりに、間近で見る彼女は、やはり美しかった。
強い風に靡く髪。制服がはためく。
まっすぐにこちらを見る目。
あの日の感情が蘇る。

「あの、僕のこと分かる?」
「もちろん分かるよ。大人になったね」
「そう、もう二十歳になったよ」
「そっか。ちょっと垢抜けたね」
「そうかな……」
会話が通じてる。不思議な感覚。

「あのさ、さっき実は『おひるねハウス』のとこでさ、僕隣にいてさ、会話聞いてたんだよね」
「うん……」
「でさ、僕、3年前のあの時、君から一緒に東京行けないって言われて、すごい怒っちゃってて、その後の君の話をあんまりちゃんと聞けてなかったんだけど、その……」
「……」
「あの時、僕のこと、好きって言ってくれてたんだね」
「……そうだよ。私、ずっと君のことが好きだったんだよ」
「そうなんだ…… 実は、僕もずっと君のことが好きだったんだよ。それを、僕はずっと隠してきて、好きになっちゃいけないというか、自分の気持を押し殺してたんだ。だけど、君が死んで、そんなことをしていた自分をすごく恨んだんだ。なんで、素直に好きだって言わなかったんだろうって」
「……」

「私もね、あの時、言葉にしたけど、ちゃんと伝わってなかったのかもっていうのが、心残りだったの。だから、こうして、まだこっちにいるみたいなの……」
「ごめん、ほんとに酷いことをした…… あの時が最期になるなって思ってもなくて、ずっと、この先も一緒にいるのが当たり前だと思ってたんだ。小さい頃から一緒にいて、君の家の事情も分かってるのに、何でもっと寄り添ってあげられなかったんだって、何で理解してあげられなかったんだって、後になってものすごく後悔した」
「いいの、私も一緒に東京に行くっていう約束したのに、それを破るようなことを言ってしまったんだから」
「いや、悪いのは僕の方だよ、本当にごめん……」

日が沈んで来た。お互いに、足元をしばらく見つめていた。
「あのさ、この先もずっと一緒にいたい。僕はもう君とは二度と離れたくないし、離したくない。このまま、こっちにいて、こうして姿を見せて欲しいんだ」
「……ごめんね、それは出来ないの」
「どうして?」
「さっきも言ったでしょ。私は、自分の気持がちゃんと伝わってないかもしれないっていう思いが残っていたから、こっちにまだいるって。だけど、それがちゃんと伝わったし、君の気持ちも聞けたから、もう思い残すことはないの。だから、私は、もうここにはいられないの」
「いや、そんなの駄目だ。一緒にいよう!」
「……ありがとう」

そう言うと、日が沈む前に一瞬明るくなった光に包まれて、身体がだんだんと透き通ってきた。
「駄目だ、なら、僕も連れて行ってくれ!」
聞こえたのか、もう聞こえないのか、彼女はこっちを見て微笑んだまま、光になった身体の粒子が空に立ち昇っていった。
あぁ、このままだと行ってしまう。また一人になって、あの鬱屈とした日々に戻ってしまう。せっかく、こうして想いが通じあって、お互いの気持ちを確かめ合えたんだ。そうだ、自分ももう思い残すことなんてないじゃないか―――

そう思った瞬間、僕は走り出した。
正面にある橋は、海にせり出していて、その海は、風が強いせいで波も荒れていた。
この島は、いつもこうだったな。
ふとそう思いながら、僕は橋の欄干に勢いよく足をかけ、そして海に向かって飛んだ。
これで、あいつと一緒にいられる。もう、苦しまなくていいんだ。
波に揉まれる。意識が遠のく。
あぁ、あいつどこまで昇っていったかな。追いつけるかな。早く追いかけないと。これからは、いつだって、ずっと一緒なんだから。


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