Too Much To Read:英語で人文系学術書を読むためのノート

 自分の好きな本を、好きな速度で読むことは楽しいことです。しかし、わたしたちの読書というものはこうした楽しい読書に限定されるものではありません。読書は何かを学び、情報をえる手段でもあり、特定の目的を実現するために行われることもあります。大学においてはしばしば限られた時間の中で学術書を、特に英語で、読むことが必要となるでしょう。
 日本語などの非ヨーロッパ言語を第一言語とする話者が、英語での学術書を読むのはわりと大変です。大学受験レベルの英語をきちんと勉強できていれば、文法わからなくて文意がとれないということはおそらくそれほど多くありません(修辞的な倒置表現などにでくわし戸惑うこともあるかもしれませんが、文構造が取れないときは倒置の可能性があるので、倒置のパターンを文法書でひけば解決すること多いです)。大学受験レベルの英語に不安があれば、参考書を買えば大体のことは書いてあります。一方、冠詞の微妙なニュアンスなどはかなり難しく、また文法書を読めば解決するというものでもありません。ですが、冠詞がわからないせいで文意がまったくとれないということはそれほど多くありません。とりあえず、冠詞についてはだいたいのレベルで満足して読み進めるしかないでしょう。
 実際に本を読んでいく上で一番大きな問題になるのは読む速度の遅さでしょう。文法を理解していても、慣れないうちはそれを実際に運用するのに時間がかかるものです。また、語彙や、慣用句についての知識の不足も読書速度を落とす理由の一つです。学術系の文章は格式が高いとされるラテン語由来の高級表現が多くでてくるため、フランス語などのラテン語との親和性が高い言語に習熟しているとこの問題はそこまで大きなものとならないようですが、非ヨーロッパ語話者には結構しんどいものがあるでしょう。わからないところで一々辞書をひいてもかまいませんし、それはそれで重要なことですが、自分の第一言語で読む場合に比べて、やはり読む速度が大幅に遅くなってしまうことは否めないでしょう。これは慣れによって多少改善することもありますが、少なくともわたしの個人的経験ではこの問題が完全に解決されることはないように思います。わたしは日本語を第一言語とし、日本で修士まで教育を受けた後でイギリスの大学でイギリス史で博士号を取得しましたが、依然として英語を読むのは日本語で読むのより遅いです。これは、たぶん今後の人生を通してもさほどかわらないでしょう。19世紀イギリス統計学史など、わたしの専門どまんなかのトピックであれば英語で読んだ方が早いかもしれませんが、これは日本語でイギリス史の本を読むと翻訳されている言葉の原語を推測しないといけないなど無駄な作業が発生するからであって、基本的な速度は依然として日本語の方が速いように思います。特に漢字が使われていない英語では視覚的に即座に文章の意味を理解することがわたしには難しく感じられるため、流し読みの速度には日本語と英語ではかなりの差があるように感じます。
 このように、非ヨーロッパ言語を第一言語とするものが英語を読む際には、かなりの程度の訓練を経ても第一言語と同じ速度で読むことが出来ない、さらに不満を感じるほど読むのが遅いという問題がしばしば発生します。卒業論文、博士論文執筆といった学問的目的であれ、ビジネスや政府での仕事においてであれ、限られた時間で一定量の情報を読み出していくことが要求される局面において、読む速度が遅いというのは大きな問題となってしまうでしょう。
 これに対するもっともストレートな解決はさらなる訓練によって読む速度をあげるということでしょう。これはこれでもちろん大事なのですが、かなり長い時間がかかるので、それと同時並行で行える次善の策として、読書を効率化するのがよいでしょう。
 読書効率化の上でもっとも重要なことは、できる限り読まずにすますということです。そもそも、いま自分が読もうとしようとしている本が本当に今このタイミングで読む必要があるのか、と問うてみてもいいでしょう。趣味であれば何をいつ読もうがまったくかまいませんし、究極的に読んだ後で無駄だったとわかったところで別に誰も困りませんが、時間が限られている仕事で使うとなると、いま読まなくていい本は読まずにすますというのは戦略的にかなり重要となります。特に学術書は際限なく増殖していくので、関連するものをすべて読むことは不可能であり、優先順位をつけて、適切な文献を適切な密度(全体流し読み、部分読み、精読)で読むことが必要となります。問題なのは、その判断は通常かなり難しいということです。

専門家、およびブックリストの活用
 これに対する解決策は、ある本を今このタイミングで読むべきかどうかを、それが詳しいひとに聞くと言うことです。具体的には、自分の指導教官や、その分野に詳しい友人に、自分の興味関心とその時点での知識量を説明した上で、判断を仰ぐのがいいでしょう。大学という場所の利点は、そのへんにいくらでも専門家がころがっているので、こうしたアドバイスが簡単にえられることです。これが難しい場合は、たとえばインターネットである特定の分野・授業について関連書籍・論文一覧をまとめた読書案内やReading Listなどを集めて、その中に自分が読もうとしている本が挙げられているかを調べてみるという方法です。Reading Listはだいたいそのトピックの初学者向けに編集されていることが多いので、初学者には特に便利です。
 また、分野によって異なるとは言え、少なくとも人文系の英語圏の学術書はしばしば大学出版局を頂点としたピラミッド構造になっていることが多いので、どこから出版されているかという情報を使ってどの程度いい本なのかを判断するという方法もあります。といっても、この方法はかなり粗く、必ずしも信頼できないので、参考程度にとどめておくべきでしょう。たとえば、科学史であればUniversity of Chicago Pressが強いことが知られているので、そこから出ている本はだいたいおもしろそうだ、といったことがわかるかもしれません。技術やメディア系の議論ならMIT Pressもいいかもしれません。一般的には、いまあげたChiagoとMITに加え、Princeton, Harvard, Cambridge, Oxfordなどの有力なuniversity press系がよいとされていますが、これは分野によってどこが好まれるか異なるので一概にはいえません。たとえば、Columiba University Pressは有力university pressですが、科学史系ではあまりみかけませんが、文学系の本を探すときにはよく見かけるといったことがあります。また、それでは非大学出版系の出版社からでている本がだめかといえばまったくそんなことはないでしょう。ドイツのメディア理論家Friedrich Kittlerの英訳書『Optical Media』や文化史家Peter Burkeの『A Social History of Knowledge』(邦訳:井山弘幸・城戸淳訳『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』新曜社/井山弘幸訳『知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで』 新曜社)はPolityから、科学人類学者Donna Harawayの『Simians, Cyborgs, and Women』(邦訳:高橋さきの訳『猿と女とサイボーグ』青土社)はRoutledgeからでています。科学史家Lorraine Dastonは『Objectivity』(邦訳:瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪訳『客観性』名古屋大学出版会)や他の本をZone Booksから出しています。そして、美術史家/批評家のJonathan Craryの『24/7: Late Capitalism and the Ends of Sleep』(邦訳:岡田温司・石谷治寛訳『24/7 :眠らない社会』NTT出版)を出しているのはVersoです。商業系や独立系出版社などの非大学出版は客層や思想、ブランドイメージによって棲み分けが行われており、どの出版社がいいとされるかなどの細かい判断は業界事情について詳しくないと難しく、また分野ごとにかなり振れ幅があります。ですので、繰り返しになりますが、これはあくまで参考程度にとどめておいたほうがいいでしょう。

書評
 ある本を読むべきか、読まないべきかで迷っているとき、便利なのが書評です。書評は書籍の概要を要約し、評価しているので、自分がその内容に興味がもてそうか判断する大きな材料となります。推理小説と違って、学術書は特にネタバレを気にしなくていいので、普段書評を読む習慣がないひともどんどん読んでみましょう。
 さらに、読むべきだとわかっている本についても書評を読むのは有意義です。なぜなら、書評には内容の各章ごとの要約や、書評者がおもしろいと思った/つまらないといったポイントなどが記されていることが多いので、本を読まずに全体像、特におもしろそうな章、論点・評価などが抽出できるからです。長さはまちまちですが、1〜2ページで終わることが多いのでこれならさすがにすぐ読めるでしょう。本格的な書評論文などで10ページ以上あるものもありますが、300ページ以上ある原書を読むのに比べればかなり短いと言っていいでしょう。
 当然のように、書評には良し悪しがあります。驚くほどとんちんかんなことが書いてあることもしばしばあります。こうした質の低い書評による誤解を避けるためには、クオリティーの高い書評を見つける必要があります。一般的には、その分野でトップとされている雑誌にはクオリティーの高い書評が掲載される確率が高いと推測できます。たとえば、歴史学だとAmerican Historical Review、科学史だとIsisである。また、特定分野に限定されないものとしてはLondon Review of Booksなどもあります。もう一つ、より簡単な自衛策はたくさんの書評を読むことです。書評をさがしてもせいぜい全部で5個くらいというがザラなので、書評一つが1ページなら、5個読んでも5ページにしかならず、しかも要約部分などは大体同じことの繰り返しなのでそこまで時間はかからずに読め、全体像がはっきりつかめます。図書館のサーチエンジンなどを使ってできるだけたくさんの書評を集めてみましょう。日本語で書評が書かれることも当然あります。国内で出版された学術論文についてはCiNiiを使って調べることが出来るので、そこで書評が出てないかも調べてみましょう。

IntroductionとConclusionだけ読む
 書評を読んでみてどうやらこの本は重要そうだと思ったとき、あるいは対象が書籍ではなく論文/パンフレットであり書評がない場合は、IntrodcutionとConclusionを読むという方法があります。これは、だいたいIntroductionで内容の要約と、内容のポイントを説明するきまりとなっているからです。分野によってIntroductionの書き方は結構ちがっている印象があります。社会科学系はわりとIntroductionで先行研究レビューなどを細かくする印象がありますが、歴史学などではかならずしもそうではないようです。ただ、どちらにせよIntroductionとConclusionは本の全体像をつかむのに適切なのにかわりありません。300ページの本であれば、Introductionはせいぜい30ページくらいでしょうから、これでずいぶんと楽が出来ることになります。

特定の章/ページ/キーワードだけ読む
 IntroductionとConclusionを読むことで、さらに各章でどのような議論が、なぜ行われるのかについての見取り図が得られます。この見取り図をつかって、どの章をどの程度の密度で読むべきかを決めましょう。理論系の書籍などですべての章がとても重要で細心の注意を払って読むべきというケースもありえますが、関連する部分だけ読みたいといった場合もかなり多くあります。その場合は(1)強く関係する章だけを精読、(2)全体を読むが、強く関連する章は精読し、あとは流し読み、(3)関連する章だけを流し読みetc.といったさまざまな読み方が可能です。
 章全体を精読する場合でも、各章においても最初と最後でその章で何を行うか/行ったかのまとめを行っている場合が多いので、章の最初と最後だけを軽く読んで概要をつかんでから行うのは有効です。
 また、特に歴史学系などで特定の人物や出来事、組織などに興味があるときはそこだけを抜き出して読むという方法があります。書籍をebookなどで入手し、PDFファイル化している場合は単純に関連単語を検索すればいいでしょう。紙の書籍の場合でも学術書は普通後ろに索引がついているので、それをつかって関連部分だけ読んでみましょう。
 たとえば、近代イギリス全般を扱った歴史書において「Statistical Society of London」がどのように位置づけられているのか知りたければ、索引・検索で「Statistical Society of London」をキーワードに調べてみましょう。もしかしたら、本文での実際の表記が「Royal Statistical Society」(19世紀末にStatistical Society of LondonはRoyal Statistical Societyに改名します)や「London Statistical Society」になっている可能性もあるので、複数のパターンを試して漏れなく探すことが重要です。この読み方で目当てのものだけ読むと、数ページだけですむ場合もあります。

翻訳・解説を読む
 そもそも、本当に英語で読む必要があるのでしょうか?日本語や自分が読めるほかの言語での翻訳がでていないか確認してみてください。また、たとえその本が翻訳されてなくても、その著者が別に書いた本や論文なら翻訳されている可能性があります。同じようなトピックを扱っている場合は、翻訳されているものを先に読んでおいた方が、トピックの見通しがよくなることがあります。また、翻訳にはしばしば訳者解説がついており、そこで著者の基本的なアイディアや、研究上での文脈、さらに翻訳されていない書籍の概要などもまとめていることがありますので、こうした訳者解説をよむことも読書効率化に役立つかもしれません。翻訳や訳者解説を利用して参考になったときは、注の中で参照するのを忘れないようにしましょう。

 異なるタイプの本には、異なるタイプの読み方があります。学術書の読み方と、小説の読む方は大きく異なっているでしょう。そして、百科事典の読み方と、ファッション雑誌の読み方と、数学ドリルの読み方は異なっています。自分が扱っているメディアの最適な扱い方を知ることはいつだって難しいことですが、このノートが人文学術書を外国語としての英語で読むさいに何らかの役に立つことを願っています。

本ノートについての注記:これはもともと京都大学文学部での外書講読授業で配布するように作成されたものですので、大学学部生を対象として書かれています。また、記事のタイトルは初期近代科学史/書物史家のアン・ブレアによる『Too Much To Know』のパクりです。この本は「情報過多information overload」という経験についての歴史書で、『情報爆発』という日本語タイトルで中央公論新社から翻訳書が出ています。詳しい書誌情報は以下の通り。Ann Blair, 2010, Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age, Yale University Press.(=2018, 住本規子・廣田篤彦・正岡和恵訳『情報爆発:初期近代ヨーロッパの情報管理術』中央公論新社

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