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海外在住日本人の話

前回は、「人形を売っていた話」をした。その続きです。


「冬のソナタ」という韓国ドラマが社会現象になったことから、2005年頃から韓国大衆文化の熱狂的な流行が始まりました。「第1次韓流ブーム」とも呼ばれるこの時期、韓国ドラマに夢中になった日本のおば様たちは、韓国での撮影地めぐりや演者のファンミーティングに参加するなど、韓国旅行が当たり前になったのです。

そんな韓流ブームに乗って成長していた韓国の旅行ベンチャー企業が、2006年頃に日本市場に参入する計画を立てました。

このベンチャー企業は、2000年にソウルで創設され、日本人向けの旅行情報サイトを運営していました。当時、日本人旅行者が韓国を訪れると、現地のガイドや業者に連れられてお土産物屋に行かされ、ガイドにリベートを支払わなければならないなど、古い商習慣がまだ残っている時代でした。この問題に気づいた企業の代表は、正確な現地情報を日本人旅行者に提供しようと考え、それが「日本人向けソウル旅行情報サイト」の始まりでした。

当時は、企業や一部の個人のウェブサイトなどしかなかったのです。海外の情報はなかなか手に入りませんでした。そこで、この先駆的な事業に取り組み、個人で海外旅行をする人々の増加とともに成長していきました。その後、ソウルだけでなく釜山や台北にも同様のウェブサイトが立ち上がり、2006年頃には世界中に事業を広げる計画を立て、日本国内で本格的な営業を開始することにしました。

実は、釜山のウェブサイトの運営者は私の大学の先輩で、「人形ビジネス」を一緒にやっていた仲間でした。私が釜山を訪れた際、旅行記としてウェブサイトに私が登場するなど、私はその韓国の会社の存在を知っていました。その関係もあり、日本市場への参入に際し、ウェブサイト全体の管理や運営を任せられる人材を探していたのだとか。そして、WEBコンサルタントとして独立し活動していた私に声がかかり、チームの一員として参加することになりました。

当時、私はWEBコンサルタントとして常駐先の企業で仕事をしていました。自分の経験を活かすことができ、相手先からも必要とされるなど、充実感を感じていましたが、この状況をどう続けるべきか迷っていました。そんな時に声をかけてもらい、新たなステップを踏み出すチャンスだと感じ、2007年に日本本社の立ち上げメンバーとして参加することにしました。

多くの海外在住者が副業をしたくても出来ない現実

2007年に本社スタッフとして参加し、グループ本社の統括としてさまざまな役割を果たしてきました。
当初3つだった運営サイトは最終的に世界15都市に広がり、日本人海外旅行者に向けて輝かしい現地情報を日本語で発信するWEBサービスとして独自の地位を築いていきました。

サイトの特徴として、現地在住日本人のライターが一人で現地で取材をし、写真撮影や記事の執筆を行い、リアルな情報を現場から発信してきました。現在は、個人ブログやSNSなど、日本語の海外情報が増えてきていますが、当時も現地観光情報を一カ所でまとめて閲覧できるサイトは数少ない存在でした。海外旅行をする人にとって「地球の歩き方」のWEB版といえるでしょう。

新しいエリアの開拓やサイトの立ち上げを経験した後、私はサイト全体の運営責任者として管理業務に就きました。各サイトの基準や方針の統一がされていなかったため、まずはそれに取り組み、現地ライターの採用やコンテンツ編集なども行うようになりました。

ライターが不足しているエリアでは、積極的にライターを募集しました。旅行者向けのサイトにもかかわらず、サイト上で募集を行うと、現地在住者からすぐに応募がありました
当時は、私たちのサイトが現地で評判だから応募があるのだと思っていました。しかし、後にわかったのは、海外在住者が副業やお小遣い稼ぎの場所がほとんどないということでした。

海外で日本人が仕事をする場合、まずは現地の住民と競い合わなければなりません。事業者側の視点では、地元の人を優先的に採用したいと思うのは当然です。日本人を採用するためには、日本語が必要であり、日本人であるだけではなく、求められている仕事のスキルや差別化要因が必要です。言語の壁を乗り越えるには、ローカルの人と日本人では、どれだけ流暢に現地語を話してもその差は明らかです。
そうなると、インターネットを使って日本国内の仕事を探すことが選択肢として出てきます。しかし、インターネットは場所を問わないため、日本全国や世界各地から応募が殺到します。仕事を勝ち取るためには高い専門知識や経験が求められます。または、他の応募者よりも低い報酬を設定することで仕事を得るしかありません。

これが海外在住日本人の副業の現実でした。

仕事はあるのに、記事を書けない

海外在住者が、インターネットを通じて日本の仕事に取り組むためには、プログラミングや翻訳、ライターなど、特定のカテゴリに偏ってしまいます。そのなかでも、最も身近に感じられるのが、ライターの仕事だろうと思います。

私が運営していた海外旅行情報サイトでは、ライターが不足すると、サイト上で募集をかけることになります。すると、すぐに応募が殺到し、現地の日本人ライターを募集するために苦労することはありませんでした。

ただし、最も困難を伴ったのは、応募してきた人々のほとんどが、ライターとしての日本語記事を書くことに難航していたという事実です。彼らは日本人であるから、日本語で文章を書くことはできます。しかし、それを他人に自信を持って披露できる記事として仕上げることは、また別の話です。
私たちは海外でライターを探しているため、プロフェッショナルなスキルを持つ必要はありません。一貫性のある記事内容や構成を重視し、違和感のない日本語の文章を書ける人を現地のライターとして採用しました。しかし、現実に仕事を依頼すると、何も記事を書くことができない人もいます。彼らは現地を取材し、たくさんの写真を撮ってきますが、記事として仕上げることができず、ただフェードアウトしていくのです。中には、なんとか頑張って文章を書き上げたものの、指摘して修正を依頼すると、やる気をなくしてしまったり、怒り出して辞めてしまう人もいました。

応募は多くあるものの、実際に記事を書けるライターはほんのわずかであることが、その経験を通じてはっきりと分かったことです。

彼らが持っている能力を知る

世界の主要15都市に日本語の「現地旅行情報サイト」を起ち上げ、全体運営の基準や編集方針を統一され、各サイトの現地ライターも確定し、毎月計画通りの記事が届くようになりました。

事業の安定感は手に入れたが、以前応募してきても、記事が書けずに立ち去ってしまった多くの現地在住の日本人たちに対しての胸苦しい思いは残った。

彼らは長く現地に住んでおり、言葉はもちろん、現地でのさまざまな経験やスキルを持っている。現地でサラリーマンやフリーランス、主婦などとして生きながら、自分の現地での経験をライターとして生かせると信じて応募してくれた。現地に足を運び、地元の人々に話を聞き、写真を撮り、現場の状況を緻密に理解することもできる。しかし、記事を書くというスキルにはまだまだ不足していた。

当時の自分にできることは、ただライターとしての仕事を提供することだけだった。彼らの持っている能力を十分に生かせていないという、漠然としたジレンマが常に内に渦巻いていたのでした。


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