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ガイドラインだけ守っていればいいのか。


 先日、とある絵師さんが東方界隈を風刺したツイートをされ、私がそれを引用RTした。

 そしてそれが、このように拡散(微量だが)された。

 私の元ツイが消えているため(消した覚えはないが消したらしい)、正しい段取りを説明することは難しいが、まず言わせてもらおう。
 この文に誤解を招く可能性があったことは認める。
 しかし、私は違反していいなどと一言も言っていない。

 これを説明するために、今から二つの話をしよう。

 ※この記事に書いてあることは一個人の意見です。

うまいことまとめてくださった方がいたので、長いの読みたくないという人はこれを読んでください

二次創作ガイドライン

 二次創作のガイドラインは、二次創作に対して原作者がこれを守れば訴えられませんよ。と、ある意味二次創作者を守るためにあったものだ。

 つまりガイドラインの制定は二次創作者と原作者のためであり、ガイドラインを行使できるのは原作者のみ。
 よってガイドラインの対象は二次創作における信用を持っている相手、つまり原作に対して愛があるものに限る(後述)。

 東方においては

ファン「東方が大好き!」
ファン「二次創作がしたい!」
 というものに対して
ZUN「じゃあ活動ができるようにガイドラインを示しますね」

 
という流れで制定されたものだ。

 ところが、ガイドラインを勝手にユーザーが行使するという状態が発生してしまっている。
 本来、原作者が創作者の創作の機会と作品を守るためにあったガイドラインが、ファンが創作者を攻撃し、機会と作品を消すために使われている。

そこに愛はあるんか

 そもそもとして、二次創作は、原作者が自分のコンテンツを使いたい人との間接的な(原作者に許可を直接取っている場合が少ないためこう表現する。)信用で成り立つ。

 二次創作というものは本来、原作への愛があるからこそ行われる行為だ。愛を持たず、ただ営利目的などで行うものは同人イナゴとして大きく批判されてきた。

その時々に流行している作品を題材とすることを重要視し、その作品への愛情や敬意が全く感じられない頒布物を制作し、それによって金銭的利益を上げている作者やサークル。

こうした意味に転じた時期や原因は定かでないが、その背景には現在の同人活動における二次創作作品の位置付けがファンによる作品への愛情表現の延長として行われてきたという暗黙の共通認識の存在があると考えられる。

ニコニコ大百科より

 東方においては上記のような

ファン「東方が大好き!」
ファン「二次創作がしたい!」

 という流れがあって初めて二次創作になる。

 ところが東方界隈、特にゆっくりにおいては原作である東方projectを知らない人が二次創作活動を行なっている。条件としては同人ゴロに当てはまるのに、である。

 上の流れでいえば、

創作者「何か作品を作りたい! お、東方(ゆっくり)という有名なコンテンツがあるのか。ガイドラインを守っていればいいのか。これで作品を作ればみんなに見てもらえる!」

 のようになってしまっているのだ。

 上で述べた
「ガイドラインを勝手にユーザーが行使するという状態が発生してしまっている。本来、原作者が創作者の創作の機会と作品を守るためにあったガイドラインが、ファンが創作者を攻撃し、機会と作品を消すために使われている」
 という問題。これは由々しき問題だ。なぜなら、例え愛を持って創作するという二次創作の根底に則っていたとしても、その上部だけで判断されてしまう。

ゆっくり魔理沙(以下魔理沙):
 二次創作という場においては、ルールとは他に全ての人間が確実に守らねばならない道義の範囲というものが存在する。

ゆっくり妖夢(以下妖夢):
 ルール以外に、ですか?

魔理沙:
 それを説明するために、一つ質問をしよう。
 過去誰かに、金を貸したことはあるか?

ゆっくり霊夢(以下霊夢):
 まあ、それくらいありますけど。あると言っても借用書書いて何百万貸すとか、そんなんじゃないですよ? それこそ自販機の前で100円程度のものですけど。

魔理沙:
 いや、額は関係無い。ではそんな人間が相手だったら貸すことができる?

霊夢:
 まあそれは、知り合いというか……信用できる人ですかね? この人ならちゃんと返してくれるだろうな、っていう人ならその場で貸せますが。

魔理沙:
 まあそうだろうな。そしてそれは金に限った話ではない。
 どこのどのようなものだろうと、学校で隣の席のやつに消しゴムを貸す行為に至るまで、我々は何かを貸し借りする時、物とは他に常に信用というものを貸し借りしている。この人なら返してくれるだろうという信用と、信用に応えて返そうという意思が交わされることによって、初めて貸し借りという行為が成立する。

霊夢;
 そうですね。

魔理沙:
 さて、今この動画に出ているこれ(ゆっくり霊夢らの立ち絵)は投稿者の所有物ではない。これはある方からお借りして、使わせていただいているものだ。
 ただ借りているだけか? 違う。これは持ち主が定めた条件の下で借りているものだ。それが何かはわかるな?

妖夢:
 それは、「ガイドライン」ですか? ガイドラインに従うことを条件に貸してもらっているのでは。

魔理沙:
 違う。何度も言うが、ガイドラインとはあくまで活動の機会を守るためにあるものだ。あるいは界隈の善良さや公正さを保つためのものであり、決して単なる契約内容などではない。
 活動をする上での条件とも言えるが、それ以前に満たさねばならん条件がある。それは何か。

霊夢:
 「二次創作」……ですか?

魔理沙:
 そうだ。そもそもとして原作者がこのように会ったことも無い名の知らぬ人々を信用し、自分のキャラクターを利用することを許可しているのは何故か。
 それは原作者が自分の生み出したコンテンツを、楽しむというファンの活動を認め信用し、貸すと言っているということだ。であればその信用に応えた上で、我々は二次創作という活動を行う必要がある。
 ではその貸された信用に応えるためにはどうすればいいのか。それはコンテンツを別の何らかの「目的」を達成するための「手段」や「道具」としてではなく、二次創作という活動そのものを目的としコンテンツを楽しむこと。
 さらに言えば、キャラクターを使うという行為それ自体を目的として活動するということ。
 これが二次創作において、確実に全員が守らねばならない道義だ。

※句読点や、話がスムーズに通じるように一部改変

ゆっくり解説の闇のどこが問題なのか教えてやるよ、放送【ゆっくり解説】【ゆっくり雑談】


 東方projectは二次創作ガイドラインがあるコンテンツとしてあまりにも有名になり、ガイドラインの意義が一人歩きしてしまった。
 つまり

創作者「東方が大好き! 二次創作をしたい! でも今の界隈おかしい、訴えたい!」
ファン「おい、こいつガイドライン守ってないぞ! 二次創作の条件を守っていない。消せ!」

 という構図になってしまった。「東方が大好き」という二次創作の前提である愛があるのにも関わらず、である。

 大切なのは、全部のデータを自分で作ること。もしくは誰かに依頼して作ることです。原作を流用したら海賊版になっちゃうので、あくまで創作してやってくださいということですね。

東方我楽多叢紙

ZUN氏:
 最近(2019年)は中国のファンの人たちがよく揉めていて。向こうのファンは「原作を遊んでいない」と言うと“東方警察”に取り締まられるので、みんな必死に原作を買おうとしているんですよ。

ひろゆき氏:
 でも、「東方」を中国で手に入れるのは大変じゃないですか。

ZUN氏:
 だから僕は、「二次創作を楽しむのに原作を遊ぶ必要はない」と言っているんです。すごくマニアックなゲームだし、「東方」の二次創作を楽しんでいる人たちみんなが遊べるような難易度でもないので。

ひろゆき氏:
 じゃあ“東方警察”は、いったい誰の意思の元に取り締まっているんですか(笑)。そのうちZUNさん本人も“東方警察”に「間違っている」と言われるようになったりして。

ZUN氏:
 僕もけっこう取り締まられますよ(笑)。原作がいちばん原作ブレイカーだと、よく言われるので。
 原作は別に、過去の原作に忠実である必要なんかないですから。だから、突然ヘンな世界観や、ヘンなキャラクターを出したりするんだけど、それは原作しか原作を壊せないので。
 でもまぁ、そういうことをやってもたいていは、「ZUNさんだからしょうがないか」という反応ですけどね(笑)。

東方我楽多叢紙

 そしてガイドラインだけを重視する、もはや「東方警察」によって作品が淘汰されてしまう。これは東方二次創作界隈を破壊することにつながる。それは、いいことなのだろうか?

 「ゆっくり茶番劇」を商標登録した柚葉氏がかつて投稿した動画で、「東方ファンは原作を第一とし、二次創作を絶対に認めない」といった内容のものがあった。(下の動画は転載動画)

 「ゆっくり茶番劇」を商標登録した彼(彼女)本人と行動を私は全く擁護する気はないし、悪くないなどというつもりは一切ない。しかし上記の「警察」の行動を、過激差はあれどこの動画はある意味本質をついているのではないだろうか(ただしレッテル貼りなどの誹謗中傷行為があるため動画自体を認めるわけではない)。

「前提として」、愛はあるのか

 さて、最初の話に戻ろう。私が言ったのは、
 「ガイドラインを守ってなくても」愛があればいいのではなく、二次創作は愛により成り立つため、ガイドラインよりも、前提として「原作に対する愛を持った」二次創作活動かを大事にしようという話である。
 誤解のなきように言っておくが、ガイドラインを守らなくていい(愛さえあれば違反してもいい)とは言っていない。ガイドラインよりも大事なものがあるという話だ。

「愛がなくてもガイドラインさえ守っていればいい」

 ガイドラインがあるから、東方(ゆっくり)だけが例外か? それは違う。

 ええ。私の解釈です。しかし私はここの愛の話は「結果」ではなく「動機」の話です。

 ガイドラインだけを一つのものさしのように良し悪しを決めていれば、正しい手順

ファン「東方が大好き!」
ファン「二次創作がしたい!」

 で二次創作を行なっていても、それが破壊されてしまい、
 逆に正しくない手順

 創作者「何か作品を作りたい! お、東方(ゆっくり)という有名なコンテンツがあるのか。ガイドラインを守っていればいいのか。これで作品を作ればみんなに見てもらえる!」

 の二次創作が正当化されてしまう。
一体どういう茶番だ。
 もちろんガイドラインは守るに越したことはないが、それよりも原作に対して愛があることが大事なのだ。
 でなければ、正しい意味で二次創作を行なっている二次創作がいずれ消え去ってしまう。

 私も東方projectが大好きで、自分も二次創作を行う一人だ。自分の人生を一番変えた作品でもある。
 それである以上、愛する東方projectの正しい二次創作が破壊されることを恐れた。私にも二次創作界隈を守りたいという思いを持つことは許されるはずだ。
 ガイドラインにそんなことは書いてないし、ね?

 以上。

追記
・2022/7/11
 柚葉氏の話と参考動画を追加。
 タイトル変更。
 構成変更。
 Rindow氏の動画からの引用を追加。
・2022/7/12
 一部構成変更。
 誤字修正。
・2022/7/13
 誤字修正。
・2022/7/15
 Twitterでまとめてくださったツイートを追加。
・2022/7/17
 一部言い回し修正

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