その編集は必要だろうか?
今回は、noteを始めるきっかけである「ゆっくり研究」のような記事だ。
ちょっと待て。
ゆっくり実況者のらいむれいむさんが以下のようなツイートをした。
らいむさんは立ち絵をぬるっぬるに動かすスタイルの動画を投稿している。それ自体は問題ないのだが、そのような表現があるのは問題ないのだが、そのような技術は界隈の滅亡につながるのではないか?
ゆっくり投稿者の私だが、あえて言おう。
ちょっと待て。
ゆっくり実況の発展
ゆっくり実況は、
黎明期の声だけの実況。
画面の端に饅頭立ち絵のついた実況(場合によっては口パクする)
字幕がつく。
立ち絵がなくなり字幕のみになる
字幕や立ち絵に個性が出る。
テンポが早くなる。
立ち絵が動く……
とこんな具合に発展してきた。創作者ならわかると思うが、誰かが新しくテンポも立ち絵も見やすい動画を作ったとしよう。そしてそれが伸びた。
するとそれを羨ましがり、自分なりに再現する人が出てくる。そしてそれが増殖し、やがてそれが界隈の一般となる。
そしてしばらくすると、そこからの脱却のためまた新しいスタイルの動画が現れる……
創作、文化の発展の手順としては非常に正当なものだ。この流れが悪いわけではない。
しかし、この発展によって増えるものがある。製作者の負担だ。
実のところ、トーク力があってもなくても、定義的に「ゆっくり実況」は成立する。あの音声が実況していればそれはもう「ゆっくり実況」なのだ(ゆっくりの成立的には、厳密に言えばあの饅頭を使わないとゆっくり実況とは言えないのだが、それは置いておく)。
無論トーク力があればそれだけで面白く、実況を回すことができる。
しかしそのようなトーク力を持っている投稿者はかなり少ないだろう。私もその一人だ。
するとその投稿者は編集力でトーク力を補うようになる。立ち絵の顔芸や、字幕の大きさ、効果音などを工夫して飽きない、面白い動画作りを行う。
一回ゆっくり動画を作ればわかるが、この工程は非常に面倒くさい。セリフベタ打ちでトークだけで回していった方が幾分も楽だ。
だが、動画の面白さとその編集の大変さを天秤にかけたとき、編集の大変さの方が軽いなら、そのときはじめて大変な動画作りを行うのだ(凝りたいからという理由でトーク力があるにも関わらず大変な編集を行う人もいるが、その人は人外なので今回はそっとしておく)。
その編集は必要か?
ここからが問題である。結果的に大変な編集をすることになったうちはまだいいのだが、その大変な編集が当たり前となり、ゆっくり実況とはあちこちを凝った動画であることが前提となってしまうことがある。
これは既に発生しており、あまり伸びていない投稿者を見ると、とりあえず大袈裟な凝った編集をしていることが多々ある。
これはゆっくり実況はこのような編集をしないといけないという前提にすり替わっているから起きるものではないのだろうか?
先も述べた通り、ゆっくり実況はあの声(と立ち絵)を使って実況していればゆっくり実況として成立する。それは今も昔も変わらない。
だが、このようなゆっくり実況の前提の誤解が続いたとき――大変な編集がデフォルトとなりさらに大変な編集が加わり、またそれがデフォルトとなることを繰り返したとき――、そのときの投稿者への負担は言葉では言い表せられないものになっているだろう。
このような制作の高負担化は、新規の投稿者が失踪する原因にもなりうる。ましてや毎日投稿が必須とされる今(これとは別件で私は毎日投稿に反対である)、このような大量の編集を費やす編集時間と締切の関係は非常に相性が悪い。
それこそ一日中編集をしていないといけないくらいに。
かつてゲームの華の一つだったSTGは、高難易度化の一途をたどり、「怒首領蜂」などによる弾幕STGで多少延命されたものの、結果的にSTGの衰退を起こし、今や弱小ジャンルの一つに成り下がってしまった(少なくとも90年代当時ほどの熱はない)。
同じことが今ゆっくり実況にも起きている。
ジャンルの進化や発展は大切である。しかし発展しすぎというのも考えものである。
だからこそ今、本当のゆっくり実況を振り返なければならない。
その編集は本当に必要なのか。別のところで面白さは引き出せられないのか。
この編集の必要性に関しては、映像学区でお馴染み雪原てとらさんが問いを明らかにしている。
この動画は6分ほどと短いので、編集に費やす時間よりは短いはず。必ず目を通そう。
その編集は「ゆっくり実況」としてどこまで必要なのか。本当に必要なのか。一回立ち止まって考えてみよう。
P.S.
自分の強みがすごい編集ならそうすればいいし、自分のトーク力を強みにしたいならそうすればいい。ただそれだけの話だ。
あの声を使った実況というサラダの上に、自分なりの解釈などを盛り込み、自分らしさを出していく。それが創作だ。
あくまでもゆっくり実況の前提は他人が作ったドレッシングの入った完成形ではなく、ドレッシングのかからない不完全なサラダである。ドレッシングを神主がサラダと思わないように、編集がゆっくり実況ではない。そこを履き違えないようにしたい。
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