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代表下川のご紹介① 生い立ちと東京でのキャリアスタートについて


YSGSは代表下川が個人事業主としてドイツのデュイスブルク(デュッセルドルフ近郊)をベースに展開しています。これからドイツやヨーロッパで採用を考えられているお客様やキャリアのご相談をいただく求職者の方々にはどんなコンサルタントと仕事をするのかということを知っていただけたらと思いすこし詳しく自己紹介と人材紹介コンサルタント、ヘッドハンターとしてのキャリアについて紹介させていただきます。如何せん39年の人生、16年ほどのキャリアの道のりについて書くと長くなるので分けて書いていこうと思います。海外で仕事をしていきたい方、特に海外でキャリアを積んでいきたい女性には参考になるかもしれません。

生まれ、育ち

1985年2月生まれ。福岡県北九州市小倉出身、高校卒業まで小倉で育ちました。一人っ子で、美容師でずっと自営でサロンを経営している母に育てられました。考えてみると祖母も料亭を経営しながら母を含め3人の女の子を育てた強い女性。私の父も経営者、親しかった叔父も経営者だったので自分でビジネスをするということが身近にある環境で育ったのだと思います。

小学校の頃に一度母の生まれ故郷の若松から小倉に引っ越し転校を経験。中高はミッションスクールの女子校へ6年通いました。英語が好きで高校1年生のときに通っていた高校のアメリカ、ノースカロライナ州にホームステイし英語を学ぶという短期のプログラムに選ばれアメリカに行ったのが初海外。この初海外、初アメリカ経験を通して海外志向がとても強くなりました。いつか長期留学するという希望を持ちながら、大学からアメリカ留学も考えましたが結局は高校の担任の先生のアドバイスもあり、受験して立教大学観光学部に入学しました。大学受験はつらい思いもありましたが、目標に向かって突き進み、やり遂げる力を身に着けることができたので経験してよかったと思っています。

大きく世界が広がった大学時代

大学は私にとって人生で大きなターニングポイントになりました。立教大学に入って経験したこと、多くの素晴らしい出会いを通して今40歳を手前にしても一生の友人と呼べる大切な先輩、同級生、後輩たちと出会うことができました。そして、大学時代からアジアとの接点ができ自分自身の視野が大きく開きました。フィリピン、ベトナムなど大学のサークル活動や一人旅で行き、アメリカだけでなくアジアへの関心が強く湧きました。2年生の後期からアメリカオレゴン州のリベラルアーツカレッジへ1年半自費留学しました。アメリカ留学中の夏休みに帰国中タイに一人旅に行ったことをきっかけにタイの魅力にどっぷりハマり、いつかアジア特にタイで仕事をしたいと思い始めるようになりました。憧れだったアメリカに長期で住む経験をしたことで、アジア人としてアメリカに住むことの厳しさや現実の部分を知れたこともその後の私の選択に大きな影響を与えていると思います。

東京での就職活動と人材紹介という仕事との出逢い

アメリカ留学から帰国したのが大学三年生の年末。留学のため一年休学したため、同級生はすでに就職活動を終え卒業間近とい時期、一学年下の後輩たちと卒業したのですが一学年下の友人たちもすでに就職活動をスタートさせ説明会に参加したり自己分析を始めていました。アメリカにいるときにリクナビを見たりと気休め程度に企業を調べたりはしていたものの、いまいちピンと来ていなかった私は帰国後に同級生へ就活についての感覚の大きなギャップを感じることになります。心の準備ができておらず、いざ業界リサーチや自己分析と言われてもどうしたらいいかわからない状態。周りの就活生の中には完ぺきに作りこんでいる学生もたくさんいて、違和感を感じながら就職活動をしていました。当時私は「海外で活躍したい」「女性でも長く働ける仕事をしたい」「人のターニングポイントにいい影響を与えられる仕事がしたい」と思っていて、仕事選びの軸としていました。国際協力に関わる国際的な機関や人材業界、教育関係などの面接を受けていました。国際協力に携わる国の機関などは専門性が足りない私にはハードルが高く、結局縁がありませんでした。選考を受けていく中で人材業界、特に人材紹介の仕事に強く興味を持ちました。就活生のときには人材紹介の仕事が営業職であることは本当の意味で理解が出来ていなかったと思いますが、選考の中でお会いした先輩社員の方々の中に多くの自立した女性が多くいたことで、自分が目指している自立した女性像に近づくには人材紹介の仕事がいいのではと思いはじめました。その後複数社人材紹介会社の選考を受ける中で、女性がファウンダーでしかも海外で一番早くから事業を展開して拡大している会社、JAC Recruitmentが第一志望の企業になりました。アジア特にタイでいずれは仕事をしたいと思っていたので、タイに現地法人を持っているJACは希望にたどり着く可能性がある会社だと思いました。幸いにも第一志望となったJAC Recruitmentから内定をいただくことができ2008年新卒入社をしました。初めから仕事の内容をよく理解できていたとは言えませんし、実際入ってみると想像していた何倍も厳しい世界でしたが、私はキャリアのスタートから人材紹介のコンサルタントという仕事に出逢えたことは本当に幸運だったと心から思っています。

人材紹介会社でのキャリアのスタートと波乱の新卒一年目

2008年は大手人材紹介会社が新卒の大量採用を行った年でした。JAC Recruitmentの私の同期は約180名。研修後の配属は国際部のキャリアコンサルタントでした。外国人の企業担当コンサルタントとペアを組みキャンディデイト側のコンサルティングを担当するというチームに新人として入りOJTを始めたところ一か月だったのですが、当時の社長が退任することになり社内で大きな組織再編成が行われました。所属チーム自体が解散することになり、同じくOJTを同じチームで受けていた同期とは離れ私は新入社員で当時唯一両面(企業担当とキャンディデイト担当を一人が行う360度のコンサルタント)でコンサルティングを行うチーム、外資コンシューマーFMCGチームに配属になりました。今では両面で企業とキャンディデイトを360度で担当し人材紹介を行うことは一般的ですが、当時大手の人材紹介会社は企業担当とキャンディデイト担当を分けて仕事をしていました。私自身は自分自身はキャンディデイトを担当するB2Cの仕事のほうが向いていると勝手に思い込んでいたため、両面担当のチームに異動になったあとに新規クライアント獲得のために新規開拓営業をする毎日が本当につらく、日々のKPIを負うことや同期との競争も正直苦痛でした。毎日100件近くの新規開拓のコールドコールをし、冷たく対応されることのほうが多く、アポイントがとれることは本当に稀。ビルの上から下まで飛び込み営業をしても担当業界の企業にたどり着くこと自体はほぼなく、とにかく目標のアクティビティ数をこなすことで必死の毎日でした。何のために仕事をしているか初めは理解できず、自分が役に立っている実感が持てず泣きながら通勤をしていたことを思い出します。でも当時二人三脚で指導をしてくれていた先輩には営業として売り上げをあげられないうちから残業をして会社に残業代をもらうべきではない、ちゃんと自分で計画をして定時内で最大限のパフォーマンスを出すこと、目標とする数字をしっかりやりきること、クライアントに対しての姿勢、社内の先輩たちに対しての向き合い方、コミュニケーションの取り方など営業として社会人として必要なことを叩き込んでいただいたおかげで入社して半年くらいたったころから何とか成約をすることができました。当時の直属の上司は新卒入社からずっと一線で活躍し実績を残してこられた女性だったのですが、根気強く指導をしてくださいました。少しずつ自分でゼロから開拓したクライアントから求人をいただけたり、面接同行させていただいたり、社長様から直接感謝のお言葉をいただけたりと自分が間に入り縁を繋ぐことで役に立てるという実感を持てるようになってきました。

新卒入社一年未満で起こったリーマンショック

2008年9月に起こったリーマンショック。人材紹介会社は採用の支援を行う会社なので、リーマンショックで軒並み新規採用がフリーズになった当時の状況は深刻で大手人材紹介会社トップ三社が2009年年明けに早期退職制度の発表を行いました。JAC Recruitmentはその中でも一番先に早期退職制度を発表し第一段階の発表の時点で約200名の募集を出しました。私の同期は約180名、早期退職制度で多くが退職希望を出しました。私自身は非常に迷い悩んだことを記憶しています。幸い肩は叩かれなかったのですが、仕事がようやく楽しく感じ遣り甲斐も感じ始めていたころだった一方、たとえ残ったとしても以前よりも組織が縮小しリーマンショックの影響で新規採用がストップし組織の縮小を行っている企業がほとんどの厳しい経済環境の中、新人の私が生き残っていけるのか・・・ 
この状況で目標にしていた海外拠点への転籍なんてまた夢の夢の話になるのでは?そうであれば、自ら他の方法で夢を目指したほうがいいのでは?と考え始めていました。そのころ、以前からキャリアの相談をしていた人事部の先輩が、近い将来海外勤務を希望していることを覚えていてくださり当時日本人の新規開拓担当を募集していたタイ法人の社長と部長に私のことを推薦してくださったのです。すぐに面接を組んでくださり、早期退職制度への応募の締め切りに間に合うようにオファーを出してくださるようにサポートしてくださいました。タイに転籍したのち知ったのですが、当時の直属の上司のマネージャーと部長も私がタイ法人で仕事が出来るように話をしてくださったとのことでした。新人でたくさん心配と迷惑をかけ結果がようやく少し出せるようになったくらいの新人の希望を叶えるために応援してくださった上司や先輩に本当に感謝しています。今でもチャンスをくださった先輩とは仲良くさせていただいていて、キャリアの相談に乗っていただいています。私は本当に人の縁と運に恵まれていると思います。入社したばかりの会社で経済危機が起こり早期退職制度に応募して仕事を辞めるか、続けるかというというピンチに立ったときに大きなチャンスを与えていただくことが出来ました。チャンスを掴んで想像していたよりもずっと早いタイミングで希望していた海外就職をすることが出来ました。人材業界では通常駐在はなく転籍になります。私も東京オフィスからバンコクオフィスへ転籍という形で日本法人をいったん退職してタイ法人に再度現地採用として入社しました。当時24歳になりたてのころでした。

この出来事を通して学んだことは、自分の希望や夢はだれに無理だ、難しいと言われようと自信を持って伝え続けることの大切さと自分の一度きりの人生、どんなに大きな安定した会社に入ったとしても経済環境は変化し続けるから会社にも、誰にも守ってもらえないということ。自分の人生を切り開くのは間違いなく自分の強い意志とその意思に伴う行動力だということ。運や縁を引き寄せられるように自分と向き合い努力をすることの大切さ。基本的にターニングポイントに立ったときに決断をする場面で今まであまり悩んだり迷ったりすることはありませんでした。親不孝かもしれませんが、タイに行くことを決めたときも、その後30代半ばでスペインに留学することを決めたときも、結婚するときも親には事後報告でした。自分の人生は自分で拓いていく。自分の心の向く方向を信じて決断をし、選んだ道を成功にしていくしかない、そう信じて生きてきました。何事においても自分自身の中の納得感が大切だと思います。一度きりの人生なので、後悔だけはしないように自分との対話を大切にしています。

次回に続く(次のnoteではタイでの10年間について書いていこうと思います。)

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