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ガンダムと「きけ わだつみのこえ」

ガンダムにおける若者の言葉遣い

▼Netflixで『機動戦士ガンダム』の映画版を公開し始めました。懐かしくなって仕事の合間に見たのですが,以前から気になっていたことがあります。それは登場人物の年齢とセリフの整合性の問題です。

▼たとえば,以下のやりとりは,テキサスコロニーのエレベーター内でシャアとララアが交わす会話の一節です。

ララァ「私には大佐を守っていたいという情熱があります。」
シャア「しかし,私はお前の才能を愛しているだけだ。」
ララァ「それは構いません。大佐は男性でいらっしゃるから。ですから私は女としての節を通させてもらうのです。これを迷惑とは思わないでください。
『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙 編』

▼シャアは20歳,ララァは17歳という設定だったはずなのですが,このやり取りはどう見ても円熟した大人の会話だとしか思えないのですね。他の登場人物のセリフについても同様で,十代や二十代前半の若者の言葉遣いとは思えないのです。

カイ「俺たちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬのは嫌だってことなんだし。」
ミライ「カイの言ってることは正しいわね。でも,今の相手はザビ家,そのものよ。」
カイ「じゃあさ,そのあとで連邦も叩くかい?セイラさん。」
セイラ「え?あ,私には政治のことはわからないわ。自由のための闘いとしか理解していないから。」
カイ「あいまいなのね。セイラさんみたいに利口な人はさ。」
『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙 編』

▼ちなみに,主な登場人物の年齢を並べてみると次のようになります。

ギレン 35歳
ドズル 28歳
キシリア 24歳
シャア 20歳
ブライト 19歳
ミライ 18歳
ララァ 17歳
セイラ 17歳
カイ 17歳
アムロ 16歳
フラウ 15歳
ハヤト 15歳
(Wikipediaより)

▼しかし,放映当時(TV版1979年/映画版1981年,1982年)の同年代の若者がそういう円熟した大人のような話し方をしていたか,というと,それも想像しがたいのですね。もちろん,この舞台となっている時代は遠い未来のことではあるので,その時代の若者の話し方はこうなのだ,と言われればそれまでなのですが。

きけ わだつみのこえ

▼『きけ わだつみのこえ』という本があります。第二次大戦で亡くなった学生が残した手紙や日記の文章を集めたものですが,ガンダムの若者たちが使う「円熟した大人のような言葉遣い」について考えながら,ふとこの本のことを思い出しました。

▼ここに遺された当時二十歳前後の若者の言葉は,私が若かったころと比べても,非常に大人びたものでした。あるいは,今の私の年齢ぐらいでようやく発することができるような言葉ではないかとさえ思いました。

▼ガンダムの脚本を書いた冨野監督が『きけ わだつみのこえ』を読んだことがあるかどうかはわかりません。ただ,ガンダムの中には第二次世界大戦を連想させるような言葉がいくつか使われてもいます。デギン・ザビが息子のギレン・ザビを「ヒットラーのしっぽ」と読んだり,「学徒動員」「特攻」という言葉が登場したり,カイ・シデンという人物名はおそらく「紫電改」からであったり。そして,そのシデン・カイにこう言わせているのも象徴的だと言えるでしょう。

カイ「俺たちが連邦の無能な官僚や参謀の盾となって死ぬのは嫌だってことなんだし。」

▼また,ソーラ・レイは核兵器のメタファーではないか,とも思うのです。アムロが「あれは,憎しみの光だ!あれは光らせてはいけないんだ!」と叫んだ時,そんな思いもふとよぎりました。

▼ガンダムに撃墜されたザクのパイロットは,末期にこう叫びます。「ああ…母さーん!」と。

▼その意味では,今,ガンダムを観返してみると,子どものころに見た時とは異なる印象を受けます。ひょっとしたらこれは冨野監督が描いた,フィクションとしての「きけ わだつみのこえ」のようなものなのかもしれない,と。

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