見出し画像

長年の謎が,解けた…?

▼先日,Kindleで,今尾恵介著『地図で解明! 東京の鉄道発達史』(JTBパブリッシング,2016年)という本を購入しました。それを読んでいて,今まで記憶の片隅に追いやられていたことが蘇り,「あ!なるほど!そうだったのか!」と思うことがありました。

▼それは,京浜急行の北品川駅のことです。

▼この駅は上下線が対抗式ホームになっているのですが,上の航空写真で見ると,上下の本線に加えて,第一京浜国道側に2本の引き込み線が分岐して存在していることがわかります。この引き込み線は,品川駅から八ツ山橋を渡り,旧東海道の踏切を越えたところで上り線から分岐しているもので,2番線ホームに沿って駅舎のところまで伸びています。

▼北品川駅を通る時,この引き込み線に保線車両が留置されているのを見かけることが多かったのですが,なぜこんなところに引き込み線があるのか,若干の違和感を感じつつも,そのままになっていました。

▼ところが,先ほどの本を読んでいたら,その61ページに大正5年,昭和4年,昭和30年の品川駅・北品川駅近辺の10,000:1の地形図が掲載されていて,昭和4年の地形図に既にその引き込み線らしき線路が敷かれていたことがわかりました。

▼北品川駅は,以下のような変遷をたどっています。

1904年(明治37年)5月8日 - 品川駅として開業。当時の場所は八ツ山橋南詰。
1924年(大正13年)4月 - 国道(現在の15号)改修のため、下り方(200m神奈川寄り)へ移転。開業時の駅舎などは取り壊されて、軌道敷と共に国道用地になる。
1925年(大正14年)3月11日 - 当駅から高輪駅(現ウィング高輪WEST付近)まで併用軌道線が開業し、北品川駅に改称。当駅までの東京市電乗り入れ開始。
1933年(昭和8年)4月1日 - 当駅から高輪駅への路線を廃止し、八ツ山橋南詰から専用鉄橋と高架で品川駅へ乗り入れ。東京市電の乗り入れ終了。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85)

▼1925年から1933年にかけて,東京市電が京浜急行の前身である京浜電気鉄道の北品川駅に乗り入れており,先の本の中にあった昭和4年の地形図ではその東京市電の軌道と京浜電気鉄道の線路が区別されて表記されていました。そして,東京市電の軌道を示す線が,あの例の引き込み線になっていたのです。

▼先ほどのGoogle Mapの航空写真では,引き込み線のうち1本は2番線ホームに接していることもわかります。まるで「3番線」のように。だとしたらこの引き込み線は,単に保線車両置き場として作られたのではなく,もともとは東京市電の軌道で,この「3番線」に東京市電が乗り入れていたのではなかったか,と思うのです。

▼当時のダイヤグラムがないのであくまでも推測に過ぎませんが,高輪方面から京浜電気鉄道に乗り入れていた東京市電のうち,北品川駅で折り返す電車がこの「3番線」ホームを使用していたのではないでしょうか。実際,Wikipediaには「一時は当駅まで東京市電が乗り入れ、専用ホームが造られるなど結節点となった」と書かれているので,このホームがその専用ホームだったのではないかと思います。

▼今度,北品川駅を訪れることができるのはいつになるかわかりませんが,機会があったら下車してみて,じっくり観察してみたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?