問題が表面化する=成長のチャンス

 

20代、30代前半、私は教師として様々な場で「子どもの成長のため」と思って良かれと思って規律を重視して強めの指導を心掛けてきた。ルールを守らず、規律を乱す生徒には厳しく指導をしてきた。

所謂体育会系の上からのトップダウン指導。

子どもとの関係性など気にもとめていなかった。

それで表面的には私の前では上手くいっているようにみえた。

ビシッとして真面目な行動をしていて、それなりに実績も残せた。

それが正義で正解と信じて疑わなかった。

なぜなら、結果を残しているチームや組織はそういう方法だったからだ。

しかし、徐々にその反動で子どもから反発があったり、保護者からクレームがあったり、職員との亀裂が生まれるなど上手くいかない事が起こってきた。

何より、自分の本性と違うキャラクターでの教師だった。ありのままではなかった。

よって疲れは溜まる一方だった。

あることを転機に、30代後半から完全に教師として、人として在り方を180度近く変えた。

初めは慣れないところもあり、今でも葛藤はあるが、

子どもに寄り添い、率先垂範で行動し、関わり方を子どもとしてではなく、対人として自分の素のままで働く教員として今はいる。

私と関わるときに子どもの表情、対話、関係性が変わり、本音で話す子どもが増えた。

その分、問題が表面化し、緩みも出たり、甘い部分も出てくるようになった。

しかし、その分、問題に対して向き合うことができ、それを機会に成長の場にでき、また1つ階段を登ることができた。

何より、私自身の心の持ち様が変わり、重くのしかかっていた変な壁、構えがかなり消え、楽になった。

これも成長過程のプロセスと考えれば伸びしろがまだまだあると思えた。

私はまだ42歳。

これからもまだまだ可能性に満ち溢れていると思うと楽しみでいっぱいだ。

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