「教育にお金をかけない日本の実態」
今日は打って変わって教育時事のお話。
職業柄教員ということもあって、毎日教育に関わるニュースは否が応でも耳に入ってくる。
ここ最近、やっと教員の働き方がブラックだの給特法がおかしいだの、残業代ゼロだとか世間にも教員の実態がやっと認知されてきた。
それはそれで現場で働く我々としては追い風ではある。
ただ、実際の現場感覚からすると、ほとんど何も変わっていないというのが正直なところだ。
全く変わっていないとは言わないが、変化のスピードはおそらく一般企業や私立の学校と比較すると雲泥の差であり、かなりのスローである。
数十年前から働き方については言われており、残業代に関わる給特法はもちろん、この働き方の実態に関わって教員人気が低下しており、各地の自治体で教員不足が課題の1つでもある。
今年度から教員採用試験の日程を早めることで受験者人数、採用人数の見込みを増やす想定で文科省は策を打ってきたが、結果はひどいもの。
昨年度の8割の自治体が受験者が減っている事実。
https://news.yahoo.co.jp/articles/24ef66b53c0dc2a8a21510aacafb4e0300898ecf
正直、日程を早めたところで何の解決にもならないことは、私でも予想できた。
そもそも教員になりたいと思えるような魅力ある現場の実態を変えない限りは、受験者など増えるはずもない。
正直私が今生まれ変わったら教員になりたいとは思わないし、子どもにもおすすめできない。
結局現場の大きな改善要求としては、大きく2つ。
「仕事を減らす」
「人を増やす」
この2点しかない。
もちろん現場としてできることもある。
ただ、現場ではどうしようもできずに国全体として取り組んでいかないできないところもある。
公立の学校は独自で教育課程や授業時数、カリキュラムを変えることは難しく、学習指導要領や法律で決められたものがある。教員の定数も同じ。もちろん給料もその一つ。
現場は現場で、改善をして仕事を減らし、外部に委託するなどいろいろなことをしたいが、なかなか進まない。
未だにエアコンのない教室はある。体育館は雨漏り。トイレは和式もある。冬はストーブ。紙だらけの資料。ブラック校則。前例踏襲の学校文化。無駄の多い調査、アンケートなど。
公的な施設でこれだけ老朽化と古い体質なところがあるだろうか。
こればかりはその学校の管理職ならびに職員や風土文化にもよるが、根本的に学校の教員は残念ながら変化を好まない体質が多い。一般的に言えば仕事はどれだけやってもやらなくとも成果を出す出さずとも給料に反映しないからだ。
教員(公務員)というのは特殊な仕事で金銭のためというよりは、公(子ども)のためという大義のもと精神的な報酬にあり、それは目に見えにくいやりがいや一人一人の捉え方次第にもなる。
そしてただでさえ定時で帰れる日などないなかで、多忙のために仕事を減らしたり改善しようという余裕や思考がない。
という現場の実態をどれだけ認知しているかは分からないが、そのための人員や時短、仕事を外部に委託するにも、すべてに必要なことは財源だ。
これが自治体にもよるが、全体的に日本はこの教育予算が諸外国と比べてかなり少ない。
https://project.nikkeibp.co.jp/pc/atcl/19/06/21/00003/091400129/
この実態にもかかわらず、財務省はどういうわけか文科省からの教育予算案に対して相いれない雰囲気がある。
最近話題の給特法や教員不足に対してのニュースでもこの通りだ。
https://www.sankei.com/article/20241123-KUPUI54FVVKBHB2SEWMCFI43SA/
それでもやっと動き出したというところではあるが、これではまだまだ教員の働き方どころか、将来を担う若者の教員へのイメージが良くなることなど、何年先になるのだろうか。
そのうちまた社会の発展と学校現場の隔たりが広まるばかりで、その度にまた新たな調査や仕事が増え、減らすことができない実態になると予想される。
教員は崇高な仕事であるし、未来の宝である子どもを育てる素晴らしい職業であるが、今後ずっとこの仕事を続けていきたいと心から思えないのが正直な気持ちだ。
愚痴のような記事になってしまったが、私は私なりにできることを行動にうつし、自分の役割とともに自ら動いて学校に留まらずに良質な情報と出会いを探して、私にとってよりベターでベストな仕事を探していく。