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コロナ騒動4年目を前に(前編)

コロナ騒動が始まって3年。まさかの(日本だけ)4年目に突入しようとしている今、改めてこの3年間を振り返ります。聞き手は尾身茂子さんです。

危機を身体で判断しない現代人

(茂子)ー 今年もマスク、外せませんでしたね。

芳田 外せませんでした。もう驚く気にもなれません。もちろん個人個人では外す人も増えましたが、電車では99.9%着用が99.7くらいに変わったかなというくらい。来年子どもが小学校に上がるというお母さんが、「さすがにうちの子が入学する時には外せているだろう」と、今年の2月ごろには期待していたのが夏頃からは完全にあきらめています。「コロナ騒動4年目突入」ってパワーワード過ぎてクラクラします。

-この3年間を振り返って問題だなと感じたことはありますか?

芳田 主に3点あります。1つ目は、未知のウイルスが登場しましたと言われて、それがどの程度危険なのかを「身体で判断していない」ということです。本当に騒動初期から振り返りますけど、「コロナで叔母も職場の同僚も子どものクラスメートも亡くなりました。」なんて人いますか?いつも行くスーパーも従業員不足で休業、眼科も整形外科も朝から晩までコロナ患者の治療をしている、なんてこと起きましたか?普段新聞もテレビも一切見ない人が「自分の住んでる国でパンデミックが起きた」と実感しようと思ったら、こういうことが起きないと実感できないはずです。なので「猛威を振るうコロナウイルス」という報道と現実が合わないと感じていましたが、多くの人は「テレビがヤバいと言うからヤバいんだろう」と判断した。頭だけで判断して身体で恐怖を感じないから余計パニックになるんでしょう。

-武漢の映像を見て大変だと思った人も多いでしょうし、クルーズ船内で集団感染が発生っていうのもパニック映画のようで恐怖が高まりました。

芳田 危機を身をもって知らなくても、メディアが危機だと言えば危機だと判断してお上の指示通りに動き、従わない市民を別の市民が監視し、義務ではないものを実質義務してしまう、これはかなり怖いことだと思いました。

-国民の行動に制限をかけるって最後の手段なはずですが、最初から現在まで最後の手段だけをお願いされている感じがします。経済だけでなく心身にも負担が大きいのに、これに反対する人は驚くほど少なかったですよね。

芳田 メディアが危機だと言ったから危機だと判断したと言いましたが、未知のウイルスに対してどの程度危険だと思うかの判断に「普段の支持政党」が混ざる、これが問題というか驚いた点の2つ目です。

規制を強めろと主張するリベラル

騒動初期に「4日以上発熱が続くようなら連絡を」という方針を「絶対に4日以上経たないと連絡しちゃいけないのか!」と野党が批判することがありました。そこからは検査の拡充が遅い、緊急事態宣言を出すのが遅い、ワクチンの準備が遅いなど、遅い遅いのオンパレードで、「欧米はしっかりやっているのになにもかも遅い安倍・菅政権」という批判ばかりでした。「国民を大切にしない自民党だからコロナ対策でも失敗して命を危険にさらすはずだ」、こういうバイアスが野党・リベラルの人たち絶対なかったと言えますか?これがベースにあると、「どの程度対策するのがベストなんだろう」という最初に絶対考えないといけない部分がごっそりと抜け落ちて、「欧米は大変かもしれないけど、一旦日本は落ち着こう」とはならず、「ウイルスに恐怖する国民を安心させなきゃだめだろー!」となり、度重なる緊急事態宣言へと続きました。メディアが過剰に騒ぎ、煽られた国民の声を聞かざるを得なくなる国という流れは戦時中と同じです。

-どちらかというと保守の人たちが規制に反対し、リベラルの人が強い規制を望むという、ねじれたような現象にかなり混乱しました。百田尚樹とか小川榮太郎、門田隆将といったリベラルの人が大嫌いな人たちの方がよっぽど冷静に見えました(笑)。

芳田 月間Hanadaの前編集長も高齢者なのに全然怖がってなかった(笑)。でも結局こういう人たちの主張もリベラルの人からしたら「科学を信用せず根拠なくコロナを軽視するネトウヨたち」としか見られない。

「コロナはただの風邪」。騒動初期から目立つワードですが、尾身会長が「多くの人のコロナに対する不安感や恐怖心がインフルエンザと同等になれば終息」と去年始めに発言しました。ワクチンや治療薬の充実ではなく国民の気持ちの話をしています。ウイルスがなくなることも、ウイルスで死者がゼロになることもないので、風邪やインフルエンザと同じ認識に変えていくしかないのですが、初期の頃にコロナは風邪と主張する人たちがトランプ支持者に多かったり、ノーマスクで山手線に乗ろうと企画して炎上する人たちがいたりして悪目立ちしたので、感染対策をやめるとヤバいあの人たちと一緒になってしまう。彼らを批判した人ほどやめるにやめられないみたいな悪循環に陥ってる気がします。

-陰謀論もよく聞くワードですが「陰謀論かどうか」の判別の仕方がすごく雑だったと感じます。「コロナは最初から仕組まれた陰謀」だと主張する人なんて実生活でほとんど会ったことがなく、過激な反マスクの人もごく一部なはずなのに、マスクの使い方やワクチンの必要性に疑問を抱く人は陰謀論者ばかりであるかのような報道だったような。

芳田 悪目立ちしたというより「悪目立ちさせた」が正確ですよね。「行動制限やマスクに懐疑的な人間はデマに影響を受けた人ばかりなので無視していいですよ」と言えるので、ワクチンで5Gに繋がるぞ!とか荒唐無稽なことを言う人がいた方がむしろ推進する側にとっては都合がいい。極端なデマを目立たせて「マスクは飛沫の飛ぶ量、距離を減らすのに有効だったのに急に防御にも有効だとわかりましたっておかしくない?」みたいな冷静な意見を隠す。SNSは極端な意見だけが拡散されるので、陰謀論の判別の仕方が雑になったと感じるのはSNSの影響でもあります。

-SNS、特に世間体のフェイスブックは(笑)、特に一般ワクチン接種が始まった去年夏頃は接種報告一色に染まりました。そうした投稿を見て接種を決めた人もいたのではないでしょうか。

芳田 「無敵になった気分」、「マリオでスター取った気分」、「無惨様に血を分けてもらった気分」。これらの例えでどれだけワクチンに期待していたかわかりますが、3回接種が始まった頃にはこんな例えもなくなり、接種報告も激減しました。去年「一人でも多くの人に打って欲しい」と医療者でもない、ごく一般の人まで書いていましたが、今彼らの口からワクチンのワの字も出ず、「触れてはいけない話題感」だけがひしひしと伝わってくる。元の生活に戻せるのなら…と急いで打ったのに戻すこともなく戻す意志もない。その上戻そうとする人をわがままであるかのように批判する人もいる。

話が逸れましたが、問題だなと感じた3つ目は「ワクチンの必要性についてしっかり考えたとは思えない」ことです。

ワクチンが有効な感染症か?

芳田 反ワクチンとレッテルを貼られた人たちの主張はワクチン接種が始まる前から一貫して、「変異しやすいウイルスに対してワクチンを作ってもまた変異していたちごっこになるだけではないか」、「ワクチン以前に生活習慣が大切ではないか」でした。

Google、YouTubeはコロナの危険性に地域差があるといった主張は削除対象になっていました。実際は極度の肥満や高齢者の多い欧米で死亡者が多く、肥満は多いけど平均年齢が低いアフリカは少なく、高齢者は多いけど肥満の少ない日本も少ないなど、国ごとの年齢層や生活習慣、既存のコロナに対する免疫、医療体制の充実度などによって地域差は自然と出てきます。コロナが国によって表情を変えるというと確かにデマでしょうが、こうした地域差が一切ない、考えさせないようにして、「全世界の人が満遍なく同じ脅威にさらされているのでもれなく接種してください」というのはいかがなものかと思います。

ーワクチンを打っている人は安全、未接種者は危険みたいな思想が広がるものも怖いですし、重症化するかしないかはワクチンを打っているかいないかの違いだけ、感染するかしないかはマスクをしているかしていないかだけというような考え方になるのも危険ですよね。

芳田 昔は風邪をひいた時に「疲れが溜まってたのかな」と、どういうタイプの風邪かわからなくても、なんとなくでもそう思えていた頃の方がまた良かった。これが「誰にうつされたんだろう」、「どこでうつされたんだろう」と感染していたどこかの誰かのせいにするようになったらそれは生きにくいだろうなと思います。

後編に続きます。


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