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目の付けどころが、邪悪でしょ。

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1983年の広告


常識は、作れる

昔のシャンプーの広告を見ていると、髪を洗う回数が徐々に多くなっていることがよくわかります。浴槽のある家が増えた、シャンプーの質向上、これだけでも洗髪頻度は増えたでしょうが、より売り上げを伸ばすためには製品の良さをアピールするよりも「◯回洗うのが常識ですよ」、という常識作りの方が効果的。動画のCM(1983年頃)では「信じられる?ティーンの2人に1人が毎日シャンプーしてるって」と言っています。毎日洗髪することが「信じられないこと」だったけれども、今は毎日洗わないなんて信じられないと思う人の方が多いでしょう。自分の思っている常識は、物を売りたい企業によって作られています。1日3食食べねばならない、という常識も似たようなものです。

体は毎日洗剤で洗わねば綺麗にならないという常識を定着させ、多くの人がそれを昔からの常識だと思い込んだとしてもそこまで大きな問題は生まれません。職場で「私シャンプー使わないんですよね〜」と人に話しても、それで「近寄らないで!」と怒鳴られることもないし、解雇されることもない。「へぇ〜変わってるね」と言われるくらいでしょう。洗髪の回数が増えて清潔が少し潔癖に近づく程度であれば良いのですが、コロナ騒動におけるマスクとワクチンを含めた感染対策は、「何が清潔で、何が不潔か」「何が健康で、何が不健康か」という人それぞれの基準を根底から揺るがしてしまいました。

マスクをしていれば清潔、素顔で吐く息は不潔。
ワクチンを打っていれば健康、未接種は不健康。
陽性なら無症状でも病気、陰性なら健康。

こうした常識の変化は、大人の間ではまだ浸透しきっていないものの、「マスクを外すと絶対に喋ってはいけないと思う子ども、手で口を覆う子ども」が少なからずいるように、大人よりも子どもの方が常識として定着しつつあるという実感があります。私が感染対策の弊害を何度も発信するのは、こうした変化に加えて「風邪をひくこと」「発熱すること」に対して忌避する傾向まで、とんでもなく加速していると感じるからで、風邪ひくことを良いこととして捉える整体の考えとは真逆の方向に世間が進んでいます。風邪はひけた方が良いんだという考え方を多くの人に持ってほしいなんて贅沢は言わないので、せめて2019年以前の「誰にうつされたとか、どこでうつされたとかを考えない世界」に戻してあげてほしいと願います。

風邪は、見せ方次第

「倍の倍の倍で伸びるかもしれない」コロナ急増の沖縄、日増しに高まる医療現場の負荷 感染拡大の要因は(沖縄タイムス)
BA.2の約18倍に…オミクロン「BA.5」肺で増えやすい可能性(報道ステーション)

2022年7月、さすがにもう陽性者が増えても無視するかと思われた第7波に騒ぎ始めるという信じられないことが起きています。多くの国がマスクを外し、コロナのコの字も出なくなった国もあるというのに、日本がなぜここまで終わらせられないのか考えるたびに、やはりコロナが未知なのではなく「多くの人が風邪について考えてこなかった」のだなぁと感じると同時に、あいまいな存在だった風邪を利用した製薬会社のマーケティングに感心してしまう自分がいます。

コロナは重症化したら怖い。
コロナは後遺症が怖い。
コロナは無症状が多いから怖い。
コロナは無症状でもうつすから怖い。

これらはどれもコロナに限った話ではなく風邪「も」そうなのですが、コロナ「は」と言うことによって「コロナだけの特徴」という印象が強くなります。インフルエンザとは違い、既存のコロナを風邪と呼んできたために、その名前に親近感がなく恐怖が増しました。未知のウイルス出現!といってもしばらく経てば徐々に恐怖は薄らぐものですが、変異するたびに名前をつけて恐怖を更新させるという手法も見事でした。

メジャーな陰謀論として「コロナは存在しない」と言う人がいますが、「たしかに存在し、たしかに一定数の人が亡くなる感染症」だからこそ、レアな重症ケースであってもそこだけクローズアップして「ほら恐ろしいだろう」と脅して行動変容を促すことができ、「わずかでも重症リスクがある」と言えばワクチンが必要な感染症なんだ主張することができ、感染対策に疑問を呈しても「コロナ死を軽視するのか!」という正義で封じ込めることができる。

薬は何かしら症状のある人にしか売れませんが、ワクチンというものは病気でない人に売れる。打つことで人を守れると言えば重症化リスクの低い人にも売れる。「みんなやってる」と言えばすぐ動いてくれる日本人にはもっと売りやすい。

自分が製薬会社の社員だとして考えた時に、自社の製品を売るのに一番邪魔なのは「人間がタダで持っている免疫力」であり、「寝て休めばタダで治る」ということです。タダで治る病気なんてあってたまるかと思うでしょう。今回の感染症は死亡率にかなりの地域差がありますが、地域差があると知られると被害の少ない国でワクチンが売りにくい。地域差もなく、自然の免疫力も効かないと強調するでしょう。

2回打てば正常化させるという話がやっぱり3回必要だ、最初から2回で終わるとは言ってない、高齢者は4回目も必須だと、まるでシャンプーの回数のように徐々に増えていく。今騒いでいるのは「秋発売のオミクロン対応ワクチン」まで感心を持たせるためでしょうか。「来年にはインフルエンザ・コロナ混合ワクチンが登場予定」ということは、毎日洗髪を常識として定着させたように、「コロナは定期接種が常識」というところまで持っていきたいのではないでしょうか。新たな常識が作られて得するのはもちろん製薬会社だけでなく「人が家から出ない方が儲かる会社」もです。行動制限のやり方にしても、情報の規制の仕方にしても「ちょっとやり過ぎじゃない?」と思うことばかりでしたが、より強い規制を望む人も多かったのは、それだけ上手く怖がらせることが出来たということでしょうか。少し楽しみながら自粛生活を送った人もいたというのは以前も書いた通りです。

国を挙げて特定のワクチンを接種させるというのは陰謀論ではなく、昔から製薬会社が行なっているマーケティングです。ただ、その手法が人の衛生意識を大きく変え、かなり潔癖気味だった日本人がさらに潔癖になり、匿名を好む日本人がマスクに依存し、同調圧力の強い日本でワクチンの実質強制が起こったということで、日本人が一番被害を受けたのではないかとさえ思います。地域差や生活習慣の良し悪しもすべて無いものとして、あらゆる薬に対して拒否する権利が今後の日本にもないのだとしたら、それは大きな問題でしょう。だからこそ、製薬会社の目の付けどころが、邪悪でしょ。


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