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なぜ「英語業界」は進化しないのか?

武蔵野市がヤバい条例の「仕込み」を提案してきた。どんな風にヤバいかというと、住民投票で外国人と日本人を区別せずに投票権を認める条例案を市議会に提出したのである。

投票権(voting rights)の問題は、英語圏ではデリケートな問題。市議会に提出した(A draft ordinance has been submitted to the City Council.)のだけで結構ヤバい。これは完全に移民政策(Immigration Policy)だからである。

私が米国フロリダの大学に勤務していた時、いろんな場所で市場調査を行ったが、皆アンケートには快く答えてくれるどころか「え?キミは俺の(私の)意見を聞いてくれるのか?」みたいな勢いで、向うのほうから待ち構えていたフシさえあった。一方、日本人は大した仕事もしてないのに忙しいフリして(失敬)、市場調査やフィールドワークのアンケートは「怪しく話しかけられる人」みたいにあしらわれることが多く、日本では「生の」情報収集に意外に苦労する。日本の政治無関心は昔からいわれることだが、興味を持った後のアウトプット活動もかなりレベルが低い。政治活動というと「面倒くさいやつ」みたいに思われる風潮がある。

海外で英語を使って、ワチャワチャやっていると「自分の意見」と「それに伴うアウトプット」が連動することが多々ある。日本は、どれだけ英語の勉強をやっても「テスト止まり」で、このような思考に届かせられる先生は皆無であり、語ったところで「先生が何か言ってる~」くらいにしか思われない。TOEICはクソだし、英検1級も難しすぎる。TOEFL、IELTSは留学用だと少し調べれば誰でも分かるような「教材屋」の先生が多く、そういう先生が市場では有利。このような日本では「英語学習の本質」を常に失わせている。高校、大学で英語を教える先生は「せめて英検1級」は取得してほしいものである。英検1級2次やIELTSなどのスピーキングテストのみ英語学習の本質にタッチしている。

英語の先生ほど、今回の武蔵野市の提案は即座に反応してほしいものだ。深読みすれば、この裏には「移民の受け入れ」もからんでいるのだから。

最近、更新頻度が減っているので、やや強引にコラム化してみました。笑

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