「アサヒ」の鍋焼きうどん@松山
四国、松山の中心街の一角、狭い路地に「アサヒ」と「ことり」という2軒のうどん店が、向き合うように店を構えている。鍋焼きうどんが松山のソウルフードともいわれているのをご存知だろうか。鍋焼きうどんといっても、東京のそばのお店などのメニューにある、麺類の具オールスター全部乗せ、味つけ濃いめ、カロリー高め、土鍋でぐつぐつ煮込んでアッツアツ、風邪っぴきにはぜひどうぞ、という存在とは似て非なるものである。
若いころ、月刊のコミック誌の編集部に在籍したことがあり、松山在住の漫画家さんの連載の担当になった。打ち合わせを口実に何度か出張し、松山ファンになった。
司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の読者でもあり、松山城から道をゆっくり下って市内を散策すると、江戸時代の城下町の風情と、正岡子規、夏目漱石、秋山兄弟などのゆかりの地に触れて、なんとも豊かな気分になってくる。子規や秋山兄弟は、幕末期に下級武士の家に生まれ、時代の変わり目の激動のなかで東京に出て、苦心の末学問をおさめ身を立てる。やがて子規は明治期の文学に大きな貢献をし、秋山兄弟は日露戦争における日本のきわどい勝利の立役者となる。
1961生まれの私は、高度経済成長の時期に育ち、1980年に大学に入学して、東京に出てきた。あのころ、親の学歴は大学卒ではなく、その子が受験をして大学生になり、親はやりくりして仕送りをして、というケースの家が多かったと思う。私もそうだった。田舎の子が大学で都会にきて、なんとか身を立てようとする、という一個のパターンは、考えてみると私たちのころまでは、明治期とその基本的な発想においては変わらなかったのではないかと思ってみたりする。子規や秋山兄弟と自分を比べるのは、かなり誇大妄想的で不遜な感もあるが、松山の街にはそんな思いをめぐらせたくなるような懐の深さがあるようにも思う。
1998年の青春映画の佳作『がんばっていきまっしょい』は松山が舞台で、主人公の女子高生を演じる田中麗奈(デビュー作)が、ボート部の部活の帰りにうどん店(たぶんことり)により、おやつ感覚でたいらげるシーンがある。「アサヒ」の1杯も麺は比較的柔らかく、やさしい味つけのおだしをよく吸って、しみじみほっこりする味である。ハードな揚げ物の具はなく、金属製の容器もなんとも懐かしい風情がある。松山は、何度も訪れたい街である。
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