新卒一年目で働き始めて早半年以上経過したわけですが。 ここまでですでに何度も「限界、辞めてやる」と思うこともあった。 しかし、そんな日々の中で働き続けれた大きな理由であった先輩社員が今日で異動前の最終日であった。 なので、行動としてよくわからないが、その先輩への感謝を表現しておこうと思う。 その人は初めて社会人、そして正社員として働くぼくにとってはかっこよすぎて、尊敬する存在だったのだが、そう思うに至ったきっかけがある。 カッコ良すぎるセリフ 働き出して1、2週間
嫌われる勇気も必要かもしれないけど、あえて嫌われにいく必要はないんじゃないかなぁ、 でも、そんな簡単にいかないこともわかっています。
「自己肯定感が低いからダメなんだ」とか「前向きじゃないから幸せになれない」 とか絶対にそんなことはない。いや、前向きだから幸せになれる人はいるだろう。けど前向きじゃなくて、毎日悩み続けている人が幸せになれないなんて、そんなわけない。 それだけは、考えを変えたくない。
転職一歩目として「楽な仕事」と調べてしまう自分は転職に向いていないと思う。
会社とかで弱音をはくことは周りの空気から良くないことだと感じるけど、絶対に弱音をはくことは間違いではないと思う。 というか、弱音とかめっちゃはいてほしい。ききたいし。
ただただ毎日働いても終わりが見えなくて、同じことの繰り返しということがとても贅沢で幸せなことなのかもしれないけど、辛くて仕方ないと思ってしまう。
自分で選んでいる居場所ではないけど、逃げ出せる勇気も持ち合わせていなさすぎるんだよなぁ
仕事をしているときはできる限り思わないようにしているけど、ふと家に帰った時とかにこの先の人生を考えると「今、何のために働いているっけ?」って思う。 割と多くの人が考えることだろうな。 この先、だいたいの日は仕事に行って、家に帰って寝るという生活。 ただそれの繰り返し。 少し前ならそういうことを考えると死ぬほど落ち込み、散歩に出かけ、公園のブランコに座って泣いてた。 けど、疲れてるからだろうか、死ぬほど落ち込むことも難しくなってきた。 そんな自分が、薄っぺらく、つま
働き出して1ヶ月が経った。 大変だけど他に辛すぎて逃げ出したいという人と比べるとまだマシな方なのかもしれないと思う。 しかし、日を追うごとに自分がつまらなくなっているとも感じるし、以前なら生まれていた感情が無くなってきてるようにも思える。 働く中で感情の振れ幅が少なくなっているのを如実に感じる。 そんな中で違和感もかなりある。 社会というのは「優しさ」の規定が緩すぎることを感じる。 こんなことを言うと「甘えだ」とか「弱すぎる」とか「会社は学校じゃない」とか言われるの
依存しないことの答えが浮気っていうなら気持ち悪すぎるな。
「愛されたいなら愛しすぎ」と言われた。 また独りで泣いてる。
年末は幸せそうな人が増えるように感じるなぁ。 今年はそんな風景を見て素直に笑えるほどの気持ちにはなれないかなぁ。 せめて、大晦日くらい幸せだった出来事でも書こうかな。
辛いときに心の底で「もしかしたら上手くいくかもしれない」というなんの確証も持てない期待がさらに辛さと虚しさを加速させていく。
今日はみんな機嫌が良かった気がする。クリスマス前だからかな。 よく喋りかけてくれたし、よく笑っていた気がする。 自分もちょっとは楽しい気分になってた気がするな。 でも、やっぱり次の不幸が気になって仕方ないや。 本当に申し訳ないけどぼくにとって幸せに感じることは、ぼくが望む人に好きになってもらう、愛してもらう、追いかけてもらうっていうことなんだなぁ。 やっぱりこれって間違ってるのかなぁ。
良いことと悪いことは半分半分であるみたいなこと聞いたことないだろうか。 僕も頻繁にSNSで見たりする。 けど、そういうときいつも思うことがある。 良いことが起こってる時も、「あぁ、どうせこの後悪いこと起きるんだろうなぁ」と思っているから実際、良いことが起きていても悪い気分になっているからそれ良いことではないのではないか。 では、良いことはいつやってくるのだろうか。 というか、良いことを期待しても裏切られるので良いことを待って気分が良くなってもそれは良いことではないよ
「理解を示してほしい」も「愛してほしい」も我儘で、難しすぎることらしい。ということを自分から見れば愛されている人が言っていた。