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文章がうまかったら読まれるのか?

答えはノーです。

こんにちは、大山です。
こちら札幌は朝から雨が降っていましたが、午後になりようやく晴れ間が見えてまいりました。
とはいえ、気温はそんなに高くないので風邪ひかないようにマフラーと手袋をお忘れなく。

気温のせいか分かりませんが、朝から身体がダル重。

そんな話はさておき、本題に入ります。

文章がうまいと読まれるのか?

ここで、まず読まれる文章と読んでしまう文章というのが存在します。
そもそも「うまい」の定義が分かりませんが、うまい文章なんてものは存在しないと思っています。

読んでしまう文章は存在します。

あくまで私の意見です。

では、どんな文章を書けば読んでもらえるのか。
結論ですが、それが分かれば読まれる文章を書いていると思いますので、私には答えが見えていません。

ですが、一般的に読んでもらえるための技術は存在しているのは確かですよね。
noteでも読者やファンを集めている人はたくさんいますし。

ですが、その方々が「うまい文章を書いてますか?」
例えばどこが?と聞かれて答えられる人はいないと思います。

いや!いますよね。

読んでしまう文章を、「この辺がうまい表現よね。」と思いながら読んでいる人はいません。

いや、いるか。

何が言いたいのかというと、読んでしまう文章が重要なのではなく、読んでしまう内容。
コンテンツの方が重要で、

欲しい情報があればヘタな文章だって読まれるんです。
タイミングが重要!


今日は、何を思ってこの文章を書いているのかというと、先ほどYouTubeを見てたんですが、歌がうまい人って多いなぁと感じました。

で、
「歌がうまいって何?」

という風になった訳です。

プロの世界を知っている人であれば、どこがどううまいか分かるとは思いますが、素人には違いが分かりません。
でも、聴いてしまう人というのは存在しますよね。

文章も、音は出ないし、自分の色を出そうと思ったら結構難しいのですが、文章の書き方を学んだからといって読まれる文章とはイコールではないということです。

歌も文章もタイミングが大事で、欲しい情報が書いてある文章がタイミングよくあれば読みますよね。
聴きたい歌がちょうどよく表示されれば聴くんです。

多くのミュージシャンの方がいて、うまい人がたくさんいます。
歌がうまくて人気が出るのであれば、ほとんどの人が人気者になります。

うまいだけじゃない!ってことです。


大事なのが、自分に必要なものかどうか。
これだけ。

文章の書き方にこだわるくらいなら、欲しいと思われる場所に行くことにこだわった方がいいのかな、とそんなことを思いました。

そして、何より発信力がものを言う。

人間関係も同じで、すごくいいことを言っている嫌いな人の言うことと、どうでもいいことを言っている好きな人だったらどちらの言うことを聞くかってことです。

どうでもいい話ではありますが、楽しく聞くことができたり、それが上司ともなれば、効率がいいのは分かるけど全然入ってこないんだよなぁということってありますよね?

その場合、タイミングとはちょっと違ってきて、人柄だったり、人望だったりもするのですが、今の時代。
新時代に突入したわけですから、効率のいいことよりも効率よくないけど楽しめること。

一等賞を狙うのではなく、楽しく完走すること。

目的はシフトしていっているように思えます。

とはいえ、成果が出さなければいけないと思いがちですよね。

成果とは、会社の業績だったり、売上だったりするのですが、一緒に苦労するとか、楽しいことを思い出させてくれた仲間だったり、何より楽しむことを教えてくれる人。

今までの自分ではたどり着けなかった「楽しさ」を気づかせてくれる人ではないでしょうか。


文章を書いている方なら、うまい文章を書く人は山のようにいますが、楽しさを気づかせてくれる文章を書く方はどれくらいいるでしょうか。

美味しさを提供する飲食店が当たり前のように、完成したものが当たり前の時代です。
完成形で勝負するのはキツイし。
未完成の部分に何かが隠れているような気がします!

学ぶとは真似ること。

そんなことはもういいね。

学ぶなら学ぶな!


では、今日はうまい文章をかけば読まれるのか、というお話から逸れまくっていろいろお伝えしました。
的外れかもしれませんが、的の外の方が広いよね。

ありがとうございました!

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